今日は7時20分〜11時近くまで健診の仕事に行ってきた。 水木金と、集合が5時半5時半7時20分という早朝スケジュールだったので、めちゃくちゃこたえた。 水と木の健診は、宅急便屋さんだったので 6時半から健診開始という超激早スタートだったのに 社員の人たちはぜんぜん眠そうな様子もなく しゃっきりと?起きていて 健診する側の私たちに気持ちよく、お願いします、 ありがとう、ってみんながみんな挨拶してくれた。 すごーく感じのいい、気持ちのいい人たちだった。 水曜日帰ってくると6
昨日1年と2ヶ月働いた職場を退職した。 最後の日は春が来たと思うほど天気が良くて、朝車の中で「まだ、もう少し看護師をやりたい」という気持ちと「ほんとに辞めちゃうんだなあ」というさみしい気持ちもあって、そう思える最後の日でよかったと思いながら出勤した。 職場について朝礼で産休に入る先輩のあとに退職の挨拶をした。 産休の先輩は育休が明けたら戻ってくるのだけど、挨拶の後それはもうまわりの寂しがる声で大盛り上がりで、そんな声がなかなかやまなくて挨拶を切り出せずにいると、師長さんから
今までで一番忙しかった夜勤だった。 点滴もめっちゃ多くて、 患者さんは不穏で頻コールで、 フリーの仕事たくさん手伝ってもらってしまった。 本当に本当に余裕がなくて、 患者さんにいらいらしてしまってきつい言い方も してたと思う。 仕事が終わってめちゃくちゃ自己嫌悪だ。 私ほんとにこの仕事を、 この職場で、 ずっと、 続けていくんだろうか。 今すぐ転職する元気も、そこまでの強い理由も、 ないけれど、漠然と結構考える。 長時間で、残業代もあんまりもらえなくて、 定時には帰
BUMP OF CHICKENは 私をつくる、いちばん深いとこにある。 BUMPとの出会いは オールウェイズ三丁目の夕日、という映画だった。 お花屋さんだった両親は休みなんてなくて、 夜早めにお店を閉めて映画に行くっていうのが 本当にささやかで大きな楽しみだった。 エンドロールで初めて 花の名 を聞いた両親が あまりに感動してCDを買って その日からお店を閉めるまで何度も何度も BUMP OF CHICKENが流れた。 私が自分からBUMPを聴くようになったのは 高校
中学のときは別の部活で たぶんグループみたいのも違かった。 中学卒業くらいから、 そして高校生になってから、 なんでだろーね覚えてないけど 回転寿司もイオンもラザも バッティングもボウリングも プリクラもごはんも 何回も何回も何回も行ったね。 8年?とかになるのかな 部活、初恋、失恋、また次の恋、 就職、卒業、進学、 友だちのこと、家族のこと いろんないろんなことがあった。 高校卒業してすぐに私が山梨を出る時も、 卒業式前日に家出してたくらいだから もうそこから1
ストーリーの過去の投稿?みたいなので 国試前泊の時のストーリーから一年って でてきた。 え!感慨深い!!!!! 一年ってすごい!!! と思っていたら 母から 7年前の今日、 地元で大雪が降った時の写真が送られてきた。 え!感慨深い!!!!! 特になんの日でもないのだけど、 7年前も、1年前も、 ちゃんと覚えてて たしかに甲府で暮らしてた毎日があったんだな、 国試どっきどきで受けたんだな、 とか、 うーん感慨深い笑 いろんなことがあって、 乗り越えたり乗り越え
自分の勤務の時間帯に亡くなった患者さんは、 自分がいるときを選んでくれたんだ。 って思ってる、 と看護系の記事かなにかで読んだ。 今日の朝、 働き出した春からずっと関わらせてもらった患者さんが亡くなった。 ご家族が集まれる金曜日を、 旦那さんが最初で最後に一晩付き添った朝を、 看護師が朝のバタバタが少し落ち着いた時間を、 選んでくれたようなタイミングに 穏やかに亡くなった。 最初は送迎で、 しばらくしてから受け持ちで、、、 たくさんたくさん いろんなことがあった。 あ
流れ星が消えないうちに、 という私が大好きな本がある。 その中で という、言葉がある。 初めて読んだのは高校生の時だったけれど それからずっとずっと 1人で立てるってどういうことか、 私は1人で立てているんだろうか、と いろんなタイミングで何度も考えてきた。 1人で立てることは、 誰かの支えを全く必要としないことではきっとない。 だけど、今私が思うのは、 1人で立とうと頑張ってるかどうかなんじゃないかと思う。 誰かがいないと日々をやっていけない、 そんな風に思うほ