ヒエロニムス・ボスの魅力
こんにちは。今回は教育ではなくアートについてです。
タイトルにもあるヒエロニムス・ボスという何やら奇妙な言葉をご存知でしょうか?
美術史をかじったことのある方ならご存知かもしれません。
ボスはルネサンスの時代にオランダで活躍した画家です。
以前美術科の先生と話していたときにボスの話題になったのですが、その際に彼を特集した映画があると教えていただいたので鑑賞してみました。
ヒエロニムス・ボスについて
ヒエロニムス・ボスについてですが、彼はルネサンス期に活躍したネーデルラント(現オランダ)の画家です。フランドル派と呼ばれる画派に含まれ、他にもヤン・ファン・エイクやピーテル・ブリューゲルなどが有名です。
代表作に「快楽の園」が挙げられます。この作品は三連祭壇画と呼ばれる3枚の絵が1組になっており、左右の絵が三面鏡の様に開け閉めできる仕様になっています。
「快楽の園」(1490-1510)-Hieronymus Bosch, プラド美術館
「よくわからないけれども、何か凄い」というのがこの絵を見たときの感想でした。象徴的に書かれた様々な人物や動植物、現実離れした構造物や風景、そして3つの世界に隔てられた物語。
夢の中の世界の様でいて、妙に現実的な人物たちのギャップが鑑賞者に違和感を与えます。左右の「楽園」と「地獄」に挟まれた「快楽の園」とは一体何を表しているのでしょうか。
同時代の画家たちが宗教画や風景画をを描く中で、なぜボスはこの様な異様な世界を表現したのでしょうか。
映画『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』
さてさて本題の映画『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』についてです。この映画は様々な分野で活躍する世界の著名人たちによる絵の解釈がまとめられたものとなっています。
前半はボスやこの絵にまつわる歴史の変遷が紹介され、次に絵に込められたシンボルや世界観の考察、そしてこの絵に対する各々の解釈が述べられます。
聖書の物語やキリスト教社会における道徳観、西欧絵画における動植物のシンボリックな意味合いなど様々な知識がなければこの絵を解釈することはできません。
映画でもそれらについても色々と語られているため、ただ絵を見ただけでは思いつかない様な意味を知ることができます。
もちろん絵画は鑑賞するものであり、必ずしも解釈しなけらばならないというわけではありませんが、作者によって散りばめられたコンテクストを繋ぎ合わせてその意味を読み解くことも鑑賞の楽しみの1つと言えます。
劇中にでも描くという行為の意味が度々言及されていました。
「描くとは名付けるという行為である」
「中世の人々にとっての聖典は2つあった。1つは聖書(Bible)でもう1つは自然(Book of Nature)であった」
「自然は経典であり、その文字は動植物たちである」
つまり絵画とは物語であり、描き出された人物や動植物たちによってその物語が紡ぎ出されています。鑑賞者はそこから作者の意図を読み取り、絵画に込められた物語を見つけ出す。それが鑑賞の面白さであり意味であるということです。
絵の解釈は人それぞれ
作者なき今、この絵の真意を確認することはできません。ですので見る人によって様々な解釈があっていいと思います。劇中でも各々の立場から見た解釈が語られていました。
ただし大筋は決まっており、「楽園を追放された人間たちが世界を混沌へ導き、快楽(原罪の中でも最も重いとされた色欲)を追求した結果、地獄での苦しみが待ち受けている」というストーリーになっています。
しかしストーリーのわかりやすさとは対照的に、人間を取り巻く動植物や非現実的な建造物、象徴的に描かれた地獄での苦しみがこの絵に重層的な意味を持たせています。
それこそがこの作品の最大の魅力であり、ボスという画家の才能を物語っているのだと思います。
教育としてのアート
私は美術の先生ではないので美術教育に口出しできる立場でもなければ、確固たる信念があるわけでもありません。しかし今の美術教育には内面を表現したり他人の作品を解釈したりするという「物体を通してのコミュニケーション」が足りていないと感じています。
「一度近代フランスに基づいた抽象主義、象徴主義的な美術教育を捨て、中世ヨーロッパ的な解釈と議論に基づく鑑賞を取り入れるべきではないか」と、先日美術科の先生と話しているときに仰っていました。
作者が表現したものを読み取る読解力や、自身が伝えたいものを形にする表現力を身につけることが美術教育に求められる能力なのではないかと思います。