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Ave Mujica8話を見てすべてを理解しました


序言

この前の7話感想を熱量使い切って書いてたから少なくとも短期間内でnote書くことありませんと思ったらなんと次の日に書いてます。
それほどに私はいま宇宙猫になっています。

私はAve mujicaの制作陣に謝らなければなりませんでした。
作劇の素人があることないこと言って制作陣を批判して申し訳ございませんでした。
なぜなら私は最初からAve Mujicaの制作意図自体履き違えてました。
MyGOの正統続編にあたるから、作風が多少違えど、その根底にあるものはおそらく同じであろうと思いました。
何より私はMyGOが大好きだから、その未完の問題の解決編を見たかった。
しかし本当はそんなことは無く、MyGOの正統続編にあたる物語はどこにも存在しない。あるのは最狂のバンドアニメだけでした。
そんな間違った視点を持ってたらもちろん的外れな批判しかできません。

※これ以降書くものですが、7話の感想と同じように9話が出ることによりすべて無効になる可能性があります。
それほどに私はもう今後の展開を予測できません。


どうして祥子の成長と変化は唐突だったのか

私は豊川祥子をいままでの主人公と勘違いました。
7話で今までの祥子の負債が解消され、Ave Mujica再建にふさわしい人物になるように彼女の成長物語を描いていると完全にミスリードされました。
でもそれはしょうがないです。なぜならCrychicの清算とにんげんになりたいうた、春日影といったMyGO三種の神器を使われてしまったのです。
実際感動できた人も多数いたし神回での呼び声も多かったので、制作陣の悪徳なミスリードにハマったのは私だけではありません。

しかし本当はそういうことはなく、祥子は「成長した」と視聴者に思わせただけでした。
8話を見てすぐに気づいた。今の祥子は絶対に最終形態の祥子ではないと。
ぶっちゃけ今の祥子は、睦ちゃんにとって「都合のいい祥」になってただけの人形です。
だから奈落の途中なんです。
なぜなら4話から7話のすべての物語は、睦ちゃんの思い通りで、他の登場人物はすべてチェス盤の上の駒でしかありませんでした。
すべては「オブリビオニス」を「Crychicの時の祥」に変えるためのシナリオでした。
だから7話での祥子の変化と成長は適当に書かれてました。
なぜなら最終的な成長じゃないから、そこに不必要に熱量を費やすべきではなかった。
おそらくですが、やはり「オブリビオニス」こそが祥子の最終形態であり、ここからは真の変化劇が描かれるだろう。

…睦はどうやってそんな上手に登場人物を誘導できたかって?そんなこまけぇこたぁどうでもいいんだよ。
正直8話までみてもそんなことを真面目に考えるようじゃこのアニメと致命的に相性が悪いんだよ。考えることを諦めろ。

どうして睦の描写が少ないのか

7話の感想ノートは私は睦/モーティスの描写に関する不満点をいくつかあげました。
・モーティスが物語を過度に干渉しすぎて、脚本の意思の具現化に見えた
・睦と祥子の絆を描いてるのに、その過去は一切描かれてないためバックボーンがない
・春日影の時一切モノローグなし

しかし8話も見てそれもすべて意図を理解してしまいました。

モーティスは確かに脚本の意思の具現化だった。
なぜなら4‐7話の脚本を書いてるのは睦ちゃんでした。
モーティスは脚本の操り人形ならず、若葉睦の操り人形だったのです。

どうして祥子と睦の過去を描かないのか。
そんなものは最初から存在しないからです。
今の睦ちゃんがギターを始めたあと形成された後天的人格だったら、祥子と幼馴染である睦の人格はおそらくもうとっくに消えてます。

春日影の時睦だけ心情がなかったのも、今となっては原因がはっきりわかってしまいます。
なぜなら心情言ったら黒幕だってバレてしまいます。
そもそもモノローグに遮られた春日影という決して上手とは言えない表現を取っている原因自体、「ここ伏線です!!!気付いてください!!!」という制作陣の叫びです。
それを気付かず勝手に感動した人が騙されただけです。

…睦がそんな奴だったら前の描写といろいろ齟齬、矛盾が出るんだって?
そんなこまけぇこたぁ(ry
正直8話までみてもそんなことを真面目に考えるようじゃ(ry

どうしてライブシーンが雑に表現されてたのか

7話感想で書いてあったので細かい箇条書きはしませんがあきらかに7話のライブシーンに雑を感じます。
しかし今となれば分かります。
そもそもそこは祥子を奈落に落とすための手段だったし、あまりにも激エモ演出やったら視聴者のみんなが本当に感動してしまうためその裏に隠された伏線が見えなくなってしまいます。
ていうか7話が本当にCrychicの清算なのか今となってみりゃ怪しくなってます。
なぜなら予告からもわかる通りMyGOメンバーはこれからも強くかかわってきます。
Crychicでの演奏とは限りませんが、今後本当の清算が来ても私は驚きません。

愛音の心情

炎上になってた件ですが、今になってみれば明らかに変に感じます。
なぜならCrychicをやる時何回も微妙な心情が描かれてます。
一回ならともかく、
・祥子の家で燈が「バンドやろ!」と言った後の「えっ?」
・睦にギターを渡す時の微妙な表情
・Crychicのライブを見てなんとも言えない笑顔で拍手
明らかに愛音の複雑な気持ちが描かれてます。
なのにそこに対して全然回収してません。

なぜなら、この件がまだ終わってません。
9話の予告で祥子が燈と愛音に謝ってるようなシーンがありますが、
おそらくそれは「睦のためにもう一度Crychicやってください」と言ってるんじゃないかと私は思います。

燈の性格的におそらく簡単に断れないが了承もできないため、おそらくここで愛音が代わりに決断することになるんじゃないかと思います。
愛音は今まで何を考え、どんな気持ちでいたかはそこになってようやく描かれるんじゃないかなと思います。

ラスト

完全に騙されたとしか言えません。
なぜ私が7話で間違った判断をしたかというと、やはり「MyGO!!!!!」(アニメではなくバンドの方)、「Crychic」と「春日影」を神聖視過ぎてしまった故です。
だから常人が考えうる作劇では、それは決して軽く扱えるべきじゃない、物語の最重要場面でカタルシスをもたらすための要素だと思いました。
しかし最狂のバンドアニメじゃそれもただの道具でしかないのです。
だけど考えてみればそんなにおかしいことじゃありませんでした。
なぜなら「MyGO!!!!!」と「Ave Mujica」はほぼ同時に作られていたため、「MyGO!!!!!」の反響を見てこういう作りになっていたわけではありません。
おそらく制作陣にとって「MyGO!!!!!」も、「Crychic」と「春日影」も、別に神聖なものではなくただの物語を動かすためのファクターだったんだろう。

だから、ブシロードの最大の誤算は何だったかというと、
それは「MyGO!!!!!」の制作水準が不必要に高くなってしまい、結果的に人気になりすぎたことです。
そのため私は気持ちを切り替えていくことを選びました。
私の知っている「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」の正統続編自体はそもそも作られる予定はありませんでした。
「BanG Dream! Ave Mujica」は、あくまでMyGOの要素があった完全新作オリジナルバンドリアニメだったのです。


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