Sdoricaのストーリーの好きなところ
※配信されたばかりのSdorica mirage 14章のネタバレは避けました
※14章より前の章については、ややネタバレあり
Sdoricaの2部(mirage)の最終章(14章)が6月10日に配信された。13章がとてもやばかったので早く14章を進めたくて全然仕事が手につかなかった。定時になってソッコー退勤し、うちに帰ってソッコーSdoricaを起動してクリアした。
めちゃくちゃよかった……1日経った今でも、心のなかに余韻が響いている……。進めている最中は情緒がぐちゃぐちゃになっていたけど、クリアした今となっては、「見てよかった」という気持ちに落ち着いている。語り合いたい気持ちはとてもあるが!
詳しいことはネタバレになるので書かないけど(ぜひ、ネタバレなしであのストーリーを目撃してほしい)、「旅立ち」という章タイトル、ぐっとくるね。さまざまな意味で。
演出もとてもよかった。Sdoricaの魅力の一つに、【絵本のようなやさしいヴィジュアル、そしてそれが動きまくる】という点があると思うけれど、章を重ねるごとにパワーアップしていて嬉しい。オースタが過去回想に入るシーン、よかったなあ……。SdoricaのみならずRayark社のゲームは、「この媒体でしかできない演出」をきっちり考えて入れてくるので、すごいと思う。
Sdorica mirage、ルーン学院まわりの話が凄まじかったのでそればかり考えてしまうけれど、ルーンくんとサンチ、レイザーとダイアナ、デヴィアスの死に際(個人的に特筆すべき最高の死に際。オールタイムベストof死に際かもしれない。絶妙に後味が悪いんだけど、言葉のやり取りが洒落てて大好き。)と、いろいろあったなあ、mirage……。
私はFGOのイアソンのような、エゴエゴしてる(つまり性格がよくない)一見小物っぽいキャラ好きなので、サンチはとてもよかった。あの流れではもうモブと呼べないかもしれないけれど、彼はノンプレイアブルなんだよ。どういうこと……。
そんなこんなでSdorica mirageの余韻に浸りながら、私はこのゲームのストーリーのどこが好きなんだろう? と考えた結果、大きな3点があると結論づいたので以下に挙げてみる。
Sdoricaのストーリーの好きなところ
1)未来へ進む(過去がある)
→ストーリーが進む=時間が進む、つまり未来へ歩んでいくのは当たり前じゃん、と思われるかもしれないが、Sdoricaではただ時間と出来事が過ぎるのではなく、置いていく人は置いていって、世代交代がきちんとされるんだよね……(はい、mirageのルーン学院まわりのことです)。
そしてその過去の出来事/人々をずるずる引きずらないところが素晴らしい。もちろん、それは忘れ去るということではなくて、鮮度がきちんと落ちていくということ。
キャラクターを所持しているかどうかが戦力以外であまり関係がないSdoricaだからできるのかな、と思っている(キャラの生死が、キャラクターの所持とか使用とかに関係しないのだ)。
2)群像劇である
→Sdoricaのメインストーリーは成田良悟のBACCANO!みたいに個性的なキャラクターが織りなす群像劇である。一つの視点に縛られず、複数の場所でストーリーが進む(時間軸はずれていることもあるが)。
これができるのは、プレイヤーが「世界の事象を傍観している立場」だからだと思う。「プレイヤーが傍観者」という点は地味にSdoricaの大きな特徴だと私は考えている。だから、さまざまな場所で繰り広げられるストーリーを無理なく進めることができる。無理やり関係性を作り出したりしなくてよい。
3)キャラ間に無駄な好意がない
→「プレイヤーが傍観者である」ために、登場キャラクターたちはプレイヤーのことを気にしなくていい。だから、キャラクターとプレイヤーの間に無理やり関係性を持たせなくてよい(※)。
そのため、Sdoricaのキャラクター同士の関係性は、無理なところがまったくなく、キャラクターの自我と理性に基づいて展開されていく。変な恋愛関係もなければ、妙に重い感情もない。こじれてはいるが、こじらせてはいないのだ(と、私は思うけれど…どうかな……)。私は、Sdoricaのキャラクターたちには「理性」を感じるのだが、それはこのあたりからきているのだろうと思う。
以上、3点、ほかのスマホゲームとは違うところという視点も込めて、列挙した。
私が触ってきたスマホゲームのなかで一番よかったシナリオ(ストーリー)はメギド72のジズイベント(本当に素晴らしい…)なんだけど、Sdorica mirage は次点か?というくらいよかった。
打ち込みながら改めて感じたが、私はSdoricaが大好きだし、みんなSdorica mirage 14章を浴びてほしい。ぜひ。どうぞ。
Rayark社恒例の2GBアップデートとかあるけど、ぜひ。
※ストーリーが素晴らしいスマホゲームの一つであるメギド72は、この点を逆手にとっている印象。プレイヤーでもある主人公とキャラクターをなあなあで終わらせず、「主人公はキャラクターたちの碑である」「キャラクターを召喚する主人公の力は恐ろしいものではないか?」とゲーム中で言及している。
(以降は、個人的な趣味とSdoricaのストーリーの相性のよさについて)
余談・Sdoricaの地獄は乾いている
ほかのゲームのストーリーに比べて、Sdoricaのストーリーが、「より私の好みだ」と思う理由として、”生き地獄・絶望的な状況をきちんと描いているが、それに対して感情的にならず非常にフラット(ほかの事象とさして差がない)”というものがあるのだが、この印象も、元をたどれば「プレイヤーが傍観者」であるゆえ、といえると考える。なんというか、生き地獄・絶望的な状況って、カタルシスがあって当事者も見るものもかき乱されると思うのだが、Sdoricaでのそういう状況って、進行の一つに過ぎないというか、わりとさらっと、発生するように思う。主人公格のところではないところに、ぽっと現れる(Rayark社のゲーム全体にそういう傾向があるように思うが、特にSdoricaとCytysⅡに感じる)。例えば、13・14章のオースタとか。彼のことを思うと切なくて仕方がないのだが、Sdoricaでは、彼の葛藤はメインどころではないのだ。すごいぞ。それで大きく展開できてしまうのに……。
恐らくSdoricaのシナリオ関係者は、この「プレイヤーが傍観者である」ということに対してこだわりがあるのではないかと思う。それは、プレイヤーと、プレイヤー側であるレイの物語が、メインストーリーと別軸で展開していることからも明らかだ。ただ外から見ているだけではない。傍観していることに意味がある(そして多分、これから重要性が増してくる)。生き地獄・絶望的な状況も、希望に満ちた状況も、傍観者には同じく「事象」としかうつらない。うわーー好きだ。傍観者萌えだし、「神の視点が一番つらい」パターン大好きなので。
余談2・Sdoricaの台詞は説明しすぎない(Sdorica Sunset終盤のネタバレを含む)
Sdoricaってほかのスマホゲームに比べてモノローグが少ない気がする(もちろん主役級の子たちにはある)。
だから、キャラクターの心情や方向性を説明しすぎないんだよな。でもみんな魅力的だからすごい。
……キャラクターはみんな好きだけれど、私は特にセオドアが好きで(好きなんだよオールバックも為政者も……)、まじでセオドアとラルフの関係性と物語は「どうした!私の脳でも覗いたか?」というレベルだった。二人の終盤のやり取り、大好き!!
「いいえ!」のところとか。
余談3・白と黒の魔法使いを連続で浴びてしまったんだ
「とんがり帽子のアトリエ」を友人に薦められて一気読みして、「キーフリー先生(白い服の魔法使い)とオルーギオ(黒い服の魔法使い)やばくない?」と途方に暮れてから、一週間経たずして14章更新だったので、白と黒の対比の魔法使いのエモ過剰摂取で死ぬかと思った。まじでいろいろ共通点多くて、何……。
みんな、Sdoricaをやってくれ……。
サンキューRayark!!
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