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オフィスクリーンには理由がある
オフィスへの回帰
今の勤め先は、遠隔地在住の従業員や業務委託メンバーもおり、上長の許可があれば臨時に在宅勤務もしやすい風土だ。
私がいる部署は特殊で、毎日事業所に常駐することになっている。納得して入社したし、2年少し経ってもまったく苦でない。電車が遅れたとしても通勤時間は1時間程度で済むし、下り方面なので年中快適だ。さらに、観光客からは笑顔を分けてもらえる。
常駐するのは、私たちが通所および在宅での就労支援事業を請け負っているからだ。顧客の定義する事業登録者が在宅のみだったら私たちの勤務場所も自由だけれど、社会人経験が長くてもフルリモートで成果を出すのが難しい人たちがいるのなら、働くこと自体が初めてとか久しぶりな人たちにとっては余計に難しかろう。そこで、まずオフィスで働く機会を提供している。
仕事として掃除する
私たちスタッフは、毎日決まった時間に開錠・施錠し、施設管理をする。人がいるところは汚れるし、消耗品はなくなる。毎朝掃除機をかけ、トイレットペーパーを補充し、週1回の事業系ゴミ排出もする。
事業所をきれいに保つことについて、私は入社時から一貫してこだわってきた。頭の中には、社会人になってから通勤した自社オフィスや、訪問した顧客オフィスなどのイメージがあった。毎朝の始業前に清掃業者が入っていたし、ビル管理会社と総務がルールメイクをしてくれていたから、安全に快適に事務に勤しんでいられたのだ。
ここでは、すべて自前でやらなくてはならない。開所時間内、自他共に円滑に仕事ができるように。
「掃除くらいしかできない」
同僚の意識を合わせることも必要だった。新たに採用されたスタッフが「掃除くらいしかできないので」と申し出たとき、私は「掃除も大事な仕事ですよ」と言って、To Doリストを見せた。掃除機を1フロア分かけるのだって軽く汗ばむくらいの運動量になり、楽なことではない。
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業務時間内にやることは善意のボランティアでなく、立派な仕事だ。会社から対価をもらうに値する作業を自分ができるか、という視座で捉えたほうがよい。
同時に、「気づいた人がやるんです」とも添えた。役割を固定したり当番制にしたりはしない。汚れに大らかすぎたり「自分は事務職であり清掃員ではない」と鉄壁の防御をしていたりする人に対してトイレ掃除をやるように言おうものなら、確実に軋轢を生むからだ。こだわりのない人がおざなりにやるくらいだったら、使命感を持っている人がやったほうがよっぽどよい。そして、やってもらった人は一言でよいから必ず感謝の意を伝えること。これで割と上手く回る。みんなが必要としている仕事をしてもらうのに、惨めに感じさせてはならない。
足りないところがあれば、自分が別の日に動くことでカバーするのも大切だ。誰かが掃除した直後に重ねて作業すると、途端に姑の嫁いびりみたいになるからだ。
こんなところにホコリがテッテレー#今日のテッテレー pic.twitter.com/gLl2nX8ZWK
— テッテレー (@TetteRe_ALL) May 6, 2020
本領でなくても発揮するには
ここまで読むと、私がとっても掃除に対して意識の高いように取れる。しかし、我が家においてはワンオペ母の元で育った夫のほうが家事スキルが高く、結婚して16年ちょっと、数え切れないくらいの小言をもらった。もう日々の掃除は彼に一任している。ごめんね、いつもありがとう!
事業登録者には「なるべく好きで得意な作業を依頼します」と言っておきながら、自分が別に好きでもなければ苦手な作業をしている矛盾たるや。外注しようと見積を取っても費用対効果が望めなかったのもあるが、必要に駆られて仕方なくだと自分を騙し続けることになってしまう。
心から納得して取り組めるようになるには、先人の教えが役に立った。
先人の教え
最も汚れる場所であるトイレの清掃の様子から、仕事が円滑に進んでいるか、現場のスタッフが生き生きと働いているかを察した
上手な掃除には段取りが必要であり、日々習慣化することで本業の段取りも上手くできるようになる
という松下幸之助氏の教え。現在、床や陶器はコーティングされ、掃除用品は使い勝手が良くなっている。冬に蛇口から出る冷水であかぎれをこさえることもない。掃除の効率は上がっているのだから、弱音を吐いたら昔の人に顔向けできないな、と思わされた。
「後手に回った人間」「慌てている人間」「浮き足立っている人間」は絶対に床のゴミを拾いません。
「待ったなしだ」とか「スピード感」とか「決定力」とかいうような言葉を上ずって口走る人間には「床のゴミを拾う」ことは絶対にできません。
それは「みんながくる前にオフィスを掃除して、みんなが帰った後にお茶碗を洗っておく」ような「雪かき」仕事です。
でも、それができる人間しか「場を主宰する」ことはできません。
絶対に。
現場で起きることのすべてについて最終責任を負う覚悟でいる人間の眼にだけ「床のゴミ」が見える、と橋本治氏から教わったことを説明してくれている内田樹氏の著書「困難な成熟」。私が部下を持たせてもらってからも清掃を続ける理由を言語化してもらえた。
地味な映画にも共感
Amazon Prime Videoで観た「PERFECT DAYS」も良かった。毎日公衆トイレを淡々と清掃する主人公に自分を重ねさせてもらった。自分で清掃道具を作ったり、電話1本で退職した同僚の穴埋めまで急遽したりといったプロ意識には到底及ばないけれども。
早朝にご近所さんが表を箒で掃く音で目覚め、暗い内から電気と水道を使って身支度をして、自販機で缶コーヒーを買って、掃除が終わったら銭湯で汗を流し、飲み屋で軽く夕食を取る。この映画の主人公はたまたまトイレ清掃をしている平山さんだったけれど、自販機補充員でもお風呂屋さんでも物語になったことだろう。個人のルーティンが方々で積み重ねられていることによって、みなにとって変わり映えのない平穏な日々が実現できているのだとじんわり心が温かくなった。社会秩序の維持は大なり小なり、地道な努力によるもの。
平穏な日々を作るインフラ
自分らしく働き続けられる支援つき就労の場として、さまざまな人たちが安全に快適に過ごせるように責任を持って取り組んできた。せっかく職場として選んでもらったので、少しでも良い環境で集中できるようにしたい。
今日も掃除して来るか!行ってきまーす!