終始妻は夫の付属品、といった感覚のもと会話も一方的に話してきてくれるのは
住んでる町に話が長いで有名な高齢婦人がいる。
会えば挨拶や、軽く世間話もさせていただいていて関係性は特に悪くない。
ただ、それはいつも常に子どもたちと一緒にいるので婦人とゆっくり話せる機会はなかったが故にとも言える。
今日は違った。
自宅でパソコンを使ってカフェの開店準備の仕事と、委託されている別の事務仕事のことや企画業のことを昼前に一区切り付けてから、夫が頼まれていた梅の木の剪定をいつさせていただいたらいいのか、そもそもしないのかという確認をとりに行った。
子どもたちは春からみんな保育園に預けていて
今日はゆっくり話すことができたのだ。
用件だけですぐ終わるとは最初から思っていなかった。
庭先のキウイの話、
魔除けの木の話、
息子さんたちの話、
合間合間に私の夫の話
(を聞かれるのではなく話される)。
あと人生論、が続く。
この手の話は聞くのは好き。
おしゃべりも元来好きだ。
ただ次の予定もあり、
自分から話を広げたり、
自分の話をこちらもしだせば時間が危なくなると思ってほどほどにと切り上げさせていただこうとしたが、
ここ何年か知っている限りでも
今日はいつも以上に脈絡の無い話が展開していく。
文脈と文脈の間に関係性もなく、「そういえば」とか「話は変わるけど」とかの間投詞もない。
うちの夫の話からのキウイの話をされていたのに、ミシンの話に変わっている。
半年に一度ミシンの調整師さんが来られるのよ。
と急に切り出される。
話が変われば間を空けたり、対話相手の反応を見たり、次の話になりましたよ的な時間が大抵は作られると思う。
が今日に限ってはその間もなくミシンの話が続く。
『私達は高度経済成長期真っ只中だったから、壊れたら新しいのを買えばいいと思ってきたけど、そういうこと繰り返せばお金も出ていくしね、ヨレたら縫えばいいし』
『昔のモノをずっと着てるけど、あの時代、モノはいいんよな。汚れたりはするけど捨てるまでもないし。』
『だからずっと同じのを使ってる』
『でも破けたら新しいの買えるのに!って。全然破けんのんよな』
『調整師さんがくるからその時に合わせてミシン見てもらえるよ』
ミシンのターンはこういう内容だったが、
急に話が変わったモノで、完全に聞き役だった私の頭の中は必死につまり言いたいことは何かと考える。
なぜミシンの話に?
前の話との関係性はなんだ?
夫がよく働くことを褒めてくれてたな。
夫の服と言えば、20年前にタイのカオサンロードで買ったらしいボブマーリーの服を未だに穴が開いてもそれがファッションだと言って作業着にも普段着にもしてるからな。
ということは穴の開いた服を夫に着させなんなってことを言いたいのかな?
ここでミシンも持ってないなんて言えねー。
結局何が言いたかったのかは分からず間髪入れずに次の話になる。
ジリジリと私も少しずつ後退して、それじゃあそろそろ…といった空気を匂わせてみてはいるが話は止まらない。
が、それもまだ想定済みで経験済み。
やっと私の方に話を振ってくれて
最近は何しているの?子どもたちは?(今日はゆっくりできるの?)と言う話になったので
端的に子どもたちは園に預けていることと、私の方は今日で言うとパソコンの仕事をして、今は喫茶を始めることの準備もしていて、これから焼き菓子の試作をするところです。
ということを言うと、
息子が2人いてね〜〜、と
婦人の息子さんの話に変わっている。
答えたことに対しての相槌や感想とかはない。
この息子さんの話がなぜ始まったのかを考えながら話を聞いているも、話は高野山、五体投地、息子の腰が悪くなった話になる。
この息子さんの話の切り出しから言いたかった話は、要点としては息子さんの奥さんもお菓子を作っていてそれが結構人気という話だった。
私から出た焼菓子と言うワードから、
焼き菓子関連エピソードとして出て来た義理の娘さんがお菓子を焼いているというお菓子繋がりの話しになるまでは実に5分ほど時間がかかったように思う。
縦横無尽のボールは、スピードコントロールも規則性がなく、最後に豪速球がくる。
『旦那さんがよく働ける人で、手に職があるからいいよな』
私の話を聞かれたのは45分の会話のうち2分にも満たないだろう。
息子さんの話が20分に対して義理の娘さんの話も1分にもならなかった。
結局言いたいのはこれだったのだろう。
"嫁は夫の付属品"
長く生きていれば、深く相手と話さなくてもだいたい相手がどんな人か分かるというのもあるだろう。
私がどんな人間なのかも、なんとなくわかった上で最初から話をしてくれていたのもあるだろう。
それでも話が長くなるので否定したり説明したりをしなかった私も私なのかもしれないが、
最初から余計なお世話、と言ったら失礼だけど『あなたが私の何を知っているんですか?』ということばかりだった。
『お母さんが悩んでる顔をしてたら子どももそれをよく見ているからね』
子育てアドバイスにも聞こえるけど、私は悩んでいるなんて言ってない。
悩み事がある時に魔除けの木から枝をとって飾るのよという話にそれいいですねぇ〜と相槌しただけ。
『おたくの旦那さんみたいに何でもかんでもよくできる人は少なくて、世の中は奥さんの方が旦那に頼むよりももう自分でした方がいいかと自分でなんでもやり出して逞しくなるものなのよ』
私が逞しくないとか言われた訳ではないけど
『旦那さんがよく働ける人で、手に職があるからいいよな』の発言でああ。となった。
確かに間違いではない。
この発言にモヤッとした気持ちになるのは、内心自分でもそんなこと分かっているからだろう。
女性って時と場合で、その時々の役割があって、
女性の自立という言葉は色んな解釈があって私もモヤっとする言葉に感じるけど
たとえば今はお母さんでもあり、
去年3人目を産んで、その間そりゃ夫の力も大いに借ります。
夫も子育てをもちろんよくしてくれていて(と言うようになるには今まで色々あったけど)
我が家のお財布事情もそれは夫の方がパーセンテージは強い。
しかし、それはよくある話で。
妊娠したり出産したりというのはやっぱり女性の体しかできない訳で、どうしても子どもといる時間が長くなるのは母親の方が多くなる。
これを役割と言って変な論争を起こしたい訳ではないけど、
夫婦の中で納得のバランスがあるからこそ、
うちで言うと私が子どもたちとの時間が多いように動けるようにしている分、夫はその分よく働ける訳だ。
労働のツトメ、だけでなく
たとえば畑の手入れにしたって、
私で言えば乳飲子と目を離したらどこに行くか分からない幼児を抱えて、まだ畑に出ることもあるけど流石に草刈りまではできない。
必然的夫の方が畑に出る時間が多くなる。
よく動いてくれる夫をよく見てくれてて褒めてくれるのは分かる。
が、いつ私が悩んだり話した?
というか私のこと知ろうともしてくれていないじゃないか。
(そりゃ話したら長くなると思ってあまり話そうとしなかった私も私なんだが)
知りたくなる程の魅力が普段から無い、というのもあるだろう。
とにかく。
弱い立場の嫁、まだまだ新米の慣れていない母親
というカテゴリーを押し付けられて話をされているような気持ちになった。
こういう気持ちになるのは結婚してから初めてでは無い。
田舎に住んでいるからなのか、なんなのか。
よく感じる。
自分ではもうそんなヤワじゃないわと思っていても
モヤモヤを感じるということはあながち間違いじゃないと自覚しているのもあるだろう。
でも
うるせーよ、だわ。
(ああ、言っちゃった)
しかし、何故旦那に手に職があるからとか、私と話しているのに私の旦那の話ばかりされたりするのは何故なのかと言うことを考えるに
またその方も、亭主関白、女性の社会進出促進、
女は愛嬌、夫の2、3歩後ろを歩けとか
そう言った時代を生きて来られたわけで。
同じように夫の付属品として見られるような生き方、関わり方をずっとされていたのだろう。
と思うと考えさせられるものがある。
結婚した時に自分の苗字が変わったことにとてもモヤモヤした。
仕事ではしばらく旧姓を使っていた。
そのこだわりも子どもが生まれてからめんどくさくなってやめた。
まずは私としての顔。
嫁としての顔。
母親としての顔。
娘としての顔。
色んな顔があって、色んな角度で見られて当然なのだと納得してから結婚してから感じていた生きづらさというのは減ったが、
ただこの夫の付属品として
対話じゃないキャッチボール、
なんだったら壁打ちをくらうのは腑に落ちないので
これからその方と話すことがある時には、
こちらから対話に近づけるように、
その方が夫には感じておられる魅力というのを自分にも感じてもらえるように、味のある人間になりたいものだなぁ、と。
感じたっていう話でした。
長くなる話の切り上げ方も学びつつ。
おわり。