偲ぶ
少し前、3年前まで付き合っていた人と話をした。
北海道と広島を行ったり来たり遊んでいた頃が無性に恋しくなることがある、と言うと向こうは口を開く前に泣き始めた。
昔から泣き虫なのだ。
変わっていないんだなぁ、と少し安心した。
電話口から申し訳なさで押し潰されそうなのが分かった。
こうやって二年間苦しんで生きてきたのだな、と思った。
それに比べて私はどうだ。変わり果てていた。
人への目はかなり厳しくなったし、平気で人を嫌うようになった。
誰に嫌われてもいいし、好かれたくないとも思うようになった。
選択肢がある場合は絶対に苦労のない楽な道を選ぶようになった。
出来れば仕事もしたくないし、誰とも会いたくない。
いつかの別れが怖くて結婚願望も消えた。子供も欲しくない。
そんなことを言ったら、
楽な道を選ぶのは悪いことではないし、僕が口を出せる立場ではないけれど、君の容姿や言葉の吐き出し方、持っている才能、そういうものがただただ廃れていくのは勿体ないと思ってしまう。年を取ったら出来ないことが沢山ある。少しでも楽しいと思って生きてほしい。今が一番綺麗な時だよ。
と言われた。
多分私が生きることに消極的で毎日思い詰めて暮らしているのではないか、と思っていて、何か楽しみや生き甲斐を見つけてほしいんだと思う。
そこで考えてみた。
何かやってみたいこと、気になること。
小説を書きたい。自叙伝のようなものを作りたい。
久しぶりにバンドを組んでライブをしたい。CDを作りたい。
洋服をデザインして売ってみたい。
インテリアコーディネーターをやってみたい。
葬儀場で働いてみたい。
それと最近強く思うのは、
親から虐待を受けている子供たち、ネグレクトで居場所のない子供たち、イジメを受けている子供たち、もちろん子供だけではなく、どうやって生きていいのか分からないような大人って世の中に沢山いると思うんだよね。
そういう人の話を聞いて、出来れば聞くだけじゃなくて、助けてあげられるようなボランティア?がしたい。
子供は嫌いだけれど、何が嫌って、理由は明確にあるのだ。
"ただ子供が欲しい"とか"なんか出来ちゃった"とかいうエゴに塗れた子供の作り方が嫌い。モノじゃないんだからさ。この世界に生まれて、ましてやコロナ禍の苦しい時代に生まれて、この家庭で育って不憫な思いをさせずに暮らせるのかどうなのか、成人するまで責任を持っていられるのか、を子供を作るにあたってきちんと考えられないバカが本当に大嫌い。育てられないのなら産むな。捨てるのなら産むな。
何の行動も出来なくて縮こまっている人たちに、どうせなら生まれてきて良かった〜となるような人生を送ってほしい、と思う。
失敗してお先真っ暗だと思っている人たちに、自分の話をして、こういうヤツもいるんだから大丈夫だよ、と言ってあげたい。
例えばお金の話もしてあげられるし、複雑な家庭環境の話もしてあげられるし、難しい恋愛の話もしてあげられると思う。
頭は良くないけれど、知識と経験はある。人情もあるよ。
それなのになかなか行動に移せない。
もちろんそういうボランティアや施設を作るにはかなりの労力とお金が必要だからってのもあるけれど、まだまだ漠然とした考えなんだと思う。
最近の私を知っている人はこう言う。
今少しのやる気が起こらなくても、君は本気でやりたいと思ったらすぐに行動しないと気が済まない人だと思う。だから焦らず待ってみたらいいんじゃないのかな、と。
ほむほむ。的確なことを言うなぁ、と思った。
後押ししてくれる何かを待ってみよう。
今は何にも考えずにのんびり生きていこう😄