お酒と煙草は都会が似合う
嫌いだったのに
以前、職場で煙草の話になり
煙草に嫌悪感しかない二人
VS
煙草に憧れを感じている自分
「好きな人が煙草吸ってるとよく見えません?」
とかいう
安っぽい理由を答えて後悔し
☆私出身の地区=ヤンキー多め(←かつて)
だから
☆私もタバコに肯定的
みたいな
安直に
勝手に
出身のせいにされてちょっと不服だったんだけど
元は自分もタバコ大嫌い派、無理派だったことを思い出して
地元(田舎)にいた頃はお酒もタバコも悪いイメージしか抱かなくて「吸いたい」なんて一ミリも思わなかったし、大人が祭で酒飲んでる時のテンションと日常のシラフでいる時のギャップにもゾッとしていた。
父が家の中で、換気扇もないところで平気で吸うタバコの煙に必死で息を止めていたし、小さい頃からその状況で、2歳肺炎手前で入院したのも肺活量がないのも背が低いのもその影響なんじゃないかって思ったし(言いがかり)
タバコ吸ってる時の目見て、怖わ、一線引いとこ、ちょっと無理だわ、、、ってなってた。
なんならダサいくらいに感じていたのに。
いつから自分はタバコがかっこよく思えて、タバコを肯定的に捉えるようになったんだっけ?
このイメージの差ってどこからくる?
って
お酒と煙草は都会(=孤独と自由)が似合う
都内に1時間足らずで出れる東上線沿いに一人暮らしをして4年、いつの間にかお酒とタバコへの印象が180度変わっていた。
一人暮らし、慣れない土地
基本は「孤独」な日々の中でそれらは
素敵な「人間らしさ(臭さ)」に見えた。
タバコとお酒と【都会=孤独、自由】の相性のよさよ
【田舎=群れ、束縛】よりもしっくりくる
それ故に
田舎で見るそれよりも かっこよく、大人に思えた。
「お金はないが余るほどある暇」
と
「ストレス解消、発散」
も見事にマッチして
お酒に煙草に徐々に惹かれていった。
酒と現実と余韻
都会で飲む酒と田舎で飲む酒、現実と余韻の関係が全然違ってくる。
都会=日常と地続きで、落差がない
都会の喧騒やネオンが、酔った時の非日常の感覚、余韻に気持ち良く浸らせてくれる。
徒歩(=夜の散歩も兼ねて最高)と電車で帰れるっていうのも大きい。
夜風に当たりながら、気持ちいい状態のまま、自分のペースで歩いて、移り変わる景色に合わせて少しずつ、酔いが覚めていくのが心地いい。
一方
田舎=飲んだ後すぐ現実に引き戻される
それは何にもない殺風景な景色のせい?雰囲気?空気??車で帰るから?
わかんないけど、楽しい時間が急に終わって現実ドーン、ハイ日常。一気に酔いが覚める笑
祭の前後でも明らかだけど、ハレとケがはっきり分かれている感じ。祭でいつもの人格が嘘みたいにガッツリ騒いだ後は、すんって何事もなかったように日常に静まり返っていく。余韻なんてなく、すぐに現実、お仕事。
日常と非日常が白と黒できっぱり分かれている気がする。
そして飲むときはガッツリ飲む。
気合い入れて、次の日も休みの時に。
よく言えば、メリハリがある。
都会には平日休日関係なく、仕事終わりにでもサクッと飲めちゃう環境と雰囲気がある気がする。
(=日常と地続き)
酔っ払っても、酔いがいい感じに冷まされない。
すぐに終わらないでちゃんと浸れる。
そして気持ちいいまま、徐々に日常に戻る。
(=落差がない)
映画館を出た後みたい。
新宿で見た後とショッピングモールで見た後じゃあ余韻に浸れる度が全く違って
前者は
都会の喧騒とネオンがゆっくり、じわじわと、落差なく、現実につなげてくれる。
後者になると
さっきのは・・・?って急にシラけてしまうほど余韻なく現実世界に引き戻される。
….
あ、
旅先で飲む酒なら田舎も都会も関係ないかも笑
都会と一人暮らしが教えてくれる賜物?
そんなで、お酒のよさと楽しみ方を徐々に知り
上品な飲み方も下品な飲み方も味わい
限界量も学び
地元にいたらこんなお酒好きにはなってなかったと断言できるほど
お酒大好きになり
田舎では見れないタバコの小洒落た嗜み方
(喫茶店で珈琲と煙草。とか)
を垣間見て
いつしか憧れるようになった。
タバコに嫌悪感しかない職員は、地元を出たことがない。
地元出て学生時代、大阪に住んだことがある愛煙家の上司に
「都会住むと(一人暮らしすると)タバコいいなってなりません?」
って聞いたら共感してくれたから
やっぱりそういうものなのかもしれない。
(説得力薄)
都会と一人暮らし=自由と孤独がゆえに染みる、お酒と煙草。
ファッションとしてのタバコと美学
60〜90年代の洋画とかその頃の日本の映像・写真を見ていると、タバコがものすごくお洒落なものに見える。
スマホがない時代
カフェに喫茶店に一人座っている、夜の街角で一人佇んでいる、その手にタバコがあるだけで、格好がつくというか、手持ち無沙汰感がなくなるというか、様になるというか、絵になる?
・・・ファッションとしてのタバコってあると思う。
ベランダでもどこでもいいけど、ただ、遠くを見つめながら吸う
世の中を人生を日々を
半分諦めているようで、諦めきらずに生きている
どこか斜めなようで
誰よりも真っ直ぐで繊細かもしれなくて
しんどいけどまだ「余裕」は捨ててない
「少しのプライド」は持ち合わせているぞ
って
そういう感じがして「様」が なんていうか、タフに見えるのである。
最近見た映画だと
『パラサイト』の大洪水のシーン
パク・ソダムが溢れ返るトイレの噴水の上で
煙草をふかすところがたまらなくて
そんな状況(=余裕)じゃないのに
「タバコ(=余裕)」をそこで吸うって事
そこにタバコの美学を感じずにはいられない。
煙草=タフと余裕 の象徴ではないか
夢でタバコ吸う
自分は(かっこいいとかお洒落とか憧れもあるけど)
コーヒーみたいな位置で、息抜きとか気分転換とかぼーっとするとか、1日のちょっとした楽しみ、嗜好品が増えるって意味でタバコを吸いたい。
だけど
吸った感じ、絶対体に合わないのがわかるし(軟弱な体)実際ビビりなのもあって吸ってない笑
かっこいいから吸いたいっていう理由もダサいけど、吸いたいくせに吸えないっていうのやだな、ダサいなー笑
最近はネットフリックスで過激なアクション・スリラーを見過ぎな影響もあってか、夢の中で人身売買の巣窟から逃げたり、闘ったり、爆発したり、飛行機が落ちてきたり、人に水ぶっかけて喧嘩してたり、死んだテイで身分証偽造して別人として隠れて生きるスパイやってたり(夢の中の自分はタフw)
するんだけど
その合間合間で必ずタバコを吸っている自分がいる。
(タバコへの憧れが過ぎる)
夢だけど、本当に吸ってるように感じて、あー吸っちゃってるわ、って思いながらも美味しそうに優雅に味わって吸っている。
誘惑に負ける快感、罪悪感と心地よさ
強さでもあり、弱さ
甘えでもあり、タフさでもある
その両極性
煙草の美学
タバコをいい悪いで語って終わらせてたら勿体無い
夢だから肺にたっぷり入れても咳き込まないし
憧れの通りに吸っている、夢の中の自分が羨ましい。
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