仮初の安全と声色の呪縛_15
(前話はこちらから_15/20)
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急激に気温は下がり、駅から学校までの時間は白い息を吐くようになっていた。いつだって冬は、何の前ぶれもなく僕らの前にあらわれるのだ。さすがの淳も寒いらしく、マフラーを首に巻いている。その姿が大きな熊のマスコットのように見えて、歩く姿は愛嬌があった。
「さすがに淳も寒そうだね」
僕は淳に話しかける。
「当たり前だよ。もう11月だぞ。海風のせいで体感は氷点下だよ。早くコートを着たいけど、まだクリーニングから返ってこないんだよな」
淳は話しながら、ホッカイロを手で擦っていた。熊が何かの儀式をしているようで、僕も思わず真似をしてホッカイロを手で擦ってみた。少しだけ暖かくなり僕はそれをまたポケットに戻して保温に努めた。
今日、隆太は大阪に行っている。志望している大学の見学に行くようだった。隆太の父親が大阪出張の仕事があるようで、それについていくとのことだった。父親と二人でどこかに行くことを嫌いそうな隆太だが、大阪への大学進学はどうやら二人の夢になっているようだ。受験を通して、隆太の家族は一致団結しているのだろう。
「何か、慶太と二人だけで歩くの久しぶりだな」
「確かにそうだね。いつも3人だもんな。しかも大体、隆太がくだらない話している気がする」
淳が笑いながら頷いている。淳はいつでも優しくて、僕ら3人の中では癒し系だ。そんな淳にも家族がいて、兄弟がいるわけで日々色々な悩みを抱えながら生活をしているわけだ。
「そうえば、歴史の勉強は順調なの」
「そうだな。何か親も兄貴たちも店を手伝おうとすると、『店のことは気にするな。淳は勉強をしっかりしろ』って言ってくれて、幸い勉強には集中できているよ。ただ、勉強ばかりだと息苦しくなるから、たまには店を手伝いたくなる」
淳は恥ずかしそうに頭を掻いている。熊さんだ。僕はそんなことを思いながら、淳も家族との折り合いをつけて順調に自分の居場所を確保できていることに感心をするともに焦りも感じた。
淳は、僕には受験についての質問はしてこなかった。淳は観察力が高いから、僕がまだ家族と受験について折り合いをつけていないことを察してくれているのだろう。僕らがノロノロと学校まで歩いていると淳と僕の携帯が同時に揺れた。隆太からの連絡だ。
「大阪もめちゃくちゃ寒い。横浜よりは暖かいと思ったけど何も変わらない。とりあえず二人のお土産は買っておいたから。俺は今日ずる休みで気楽に過ごしている。二人はきっとだらだら登校していると思うが、まあ頑張りたまえ」
淳と僕は同時に隆太からの連絡を読み終わった。
「何かムカつくな」
淳が笑いながら僕に言ってきた。僕は笑いながら頷いた。
「一人で心細いんだろうな」
淳が呟いた。僕らにとっては初めての現実なのかもしれない。自ら社会に出て安全ではない場所に行くわけだ。大人たちから見れば小さな一歩かもしれないが、僕らからすれば大きな一歩だ。温室のような環境で、将来何に役立つか分からない勉強を行なっているだけで安全な場所が確保されているのだから。隆太も淳も僕もそれが仮初であることが徐々に分かり始めているのだ。だからこそ、隆太は大阪に行き、淳は歴史を学ぶことを決意しているのだと思う。自分の本当の居場所を見つけるために。僕もそろそろ決めなくてはいけない。
「隆太に何か返してあげようぜ」
淳がそう言って、猫が『ありがとう』と言っているスタンプを送っていた。僕はプロレスラーが『頑張れ』と叫んでいるものを送った。
「慶太、今日も学校が終わったら病院に行くのか」
「そうだね。おばあちゃんのお見舞いに行かないと。最近は口数もだいぶ減ってしまったから話せる時に話しておきたいんだ」
「そうだな。俺はまだ身内がそういう状態になったことを体験したことがないけど、悔いはないようにした方が良いと思うんだよね。それは慶太にとってはもちろんなんだけど、慶太のばあちゃんにとってもね」
淳はこの夏休みを経て大人の階段を登った気がする。元々優しい人なのだが、視野が広がり発言に厚みが出ている気がする。僕のことを友人として思ってくれているのはもちろんだが、僕にとって大切な祖母のことも思ってくれるようになったのだ。僕の目線ではなく、祖母の目線に立って発言をしているのがすごい。
「ありがとう。僕はおばあちゃんに会えるだけで嬉しいけど、おばあちゃんは僕に伝えたいことがあると思っている。それがいつどんなタイミングで話たくなるのかは正直分からない。だから病院に通って、その時を待とうと思っている」
淳は静かに頷いていた。何か同級生には見えない貫禄がある。『熊さん』の風貌がそうさせているのか、淳の中に蓄積された時間がそうさせているのか僕には分からない。
「今日も授業だるいな。しかも今日は隆太がいないから犬飼のボケを一人で聞かないといけない。面白いのがあったら隆太と慶太に送るようにするよ」
「楽しみにしているよ。密かに犬飼のボケは毎回楽しみにしているから」
淳は歴史の授業に。僕は数学の授業に向かった。