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仮初の安全と声色の呪縛_11

(前話はこちらから)


 家と予備校の往復で僕の高校2年生の夏休みは終わってしまった。家族でどこかに旅行に行くことも、隆太や淳と海に行くこともなかった。唯一の娯楽といえば、ファミレスで隆太と淳とダラダラと話すことくらいしかなかった。
 もし、夏休みの宿題で日記があったら大変なことになっていただろう。僕からすれば、毎日同じ内容を書くので苦労はない。ただ読む側の立場、すなわち先生には大きな苦痛がともなうだろう。さらにその内容を採点しなくてはいけないということになれば、それはもはや苦行の領域になると想像する。ずっと展開しない物語は、人を退屈させるし、絶望させるものだから。ただ、先生には採点の際に知っておいてほしいこともある。変わらない毎日の中でも、感情は激しく揺れ動いているということを。ただ、先生に申し訳ないのは、その感情について日記には一切記載しない僕がいるこということだ。


 半袖では肌寒いが、ブレザーを着るとちょっと暑い。秋は服装の調整が難しい。隆太と僕は長袖のYシャツを着て、ブレザーをカバンに入れている。淳は秋で悩むことはない。まだまだ暑いのだろう。当たり前のように半袖を着ている。
 服装も変わり季節は夏から秋になったが、祖母は未だに入院をしている。僕の予定ではすぐに家に帰れると思っていたのだが、そうではなかったのだ。祖母の体調が心配だったので、お見舞いには、できるだけ行くようにしていた。そこである規則に気がついた。おそらくなのだが、太田は毎週水曜日に祖母がいる病院に、母親と通院している。何科を受診して、どんな症状があるか分からないが…。
「高校生で母親と一緒に病院に行かないといけない状況か…」
 隆太は名探偵のように右手を顎に当てて考えている。淳と僕はそんな隆太の姿を無言で眺め、次の発言を待っている。
「聞いてみないと分からない。かなりプライベートな場所だから慶太自身で判断しないといけないかもな」
 いつもの隆太ならもっと意見を言いそうなのだが、今日は口数が少なかった。
「隆太、元気ないな。何かあったのか?体調悪いのか」
「いや別に体調は悪くないよ。ただ、慶太のプライベートにあまり口を出しをしたくないだけだよ」
 隆太の声色がおかしい。表情も曇っている。淳と僕は、隆太が話し始めるのを静かに待つことにした。何かを話したいけど、どう話し始めたらよいか分からない様子だ。


「実、大阪の大学を受けることにしたんだ」
 突然、隆太が話し始めた。
「夏期講習で小論文の講座を受けていただろ。講師と色々話していくうちに、法律関連の勉強を勧められたんだよね。さらに大阪にある大学の教授から学ぶのが良いのではないかという具体的なアドバイスもあった。それを父親にも相談したら、『大学ではなく、学びたい教授がいるのはすごいことだ』とえらく関心して、全面的に協力することを約束してくれたんだ。父親からそんな意見をもらえたのが初めてで、驚いたけどすごい嬉しかった」
 隆太とは中学からの付き合いでずっと一緒に育ってきた。それは大学に入ってからも何とく変わらないような気がしていたが、それは僕の幻想だった。僕は関東の大学を受けることは決めているので、大学生活は隆太とは過ごせないことがほぼ確定した。いきなりの隆太の発言に僕が黙っていると淳が話し始めた。
「隆太は大阪か。頑張れよ。俺も夏期講習で歴史をもっと色々学びたいと思うようになった。最初はそれを兄貴たちに話したんだ。魚屋の息子が歴史を学んで何の意味があるのか分からなかったから。そしたら兄貴たちが『淳、別にお前は魚屋を継ぐ必要はない。俺らでこの店は守るからしっかり自分が学びたいものを学べよ。この家から大学に行く人が出るなんてすごく誇りに思う。お前は良い弟だ』って言ってくれたんだ。恥ずかしいけど、俺、感動して号泣してしまったんだよ。その会話は父親も母親も聞いていたようで『応援するからしっかり勉強しろ』と言われたよ。その日はずっと嬉しくて泣いていたよ」
 淳は恥ずかしそうにそう話して、隆太は深く頷いていた。


 僕だけが複雑な表情を浮かべていたと思う。進路は自分自身で決断をして、自分自身で家族に伝えるべきなのだと思った。さらに二人は夏期講習を経て、自分の進路を考えることができていたのに、僕は目の前の問題を解くことに必死で、進路については何一つ考えていなかったことが恥ずかしかった。一人だけ置いてけぼりにされたような虚しさを感じていた。結局どんなに仲良くしていても、僕の進路は僕が決めなくてはいけない。当然だ。僕の人生なのだから。
「どうせ慶太は今、暗い気持ちになっているんだろ」
 隆太がそう言って、淳は笑っている。いつもとは違う声色に聞こえるが、それは二人が変化できたから新しい声色になったのだ。人は選択をするたびに強くなれるのかもしれない。そんなことを僕は考えていた。
「気にするなよ。無理に決めるものじゃないと思う。たまたま、俺らは夏期講習をきっかけに見つけられただけだ。慶太にもそんなタイミングは必ずくる。だって、一生で一度しかない高校2年の夏休みを俺らはガリ勉したんだからな」
 僕は二人に不自然な笑顔を浮かべた。確かにガリ勉はしたけど僕は二人とは違う。勉強には向き合ったが、進路や将来とは向き合っていなかったのだ。

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