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当たり前は当たり前じゃないという当たり前

久しぶりの投稿です。
のんびり書いていきます。

しばらく更新しない間、世の中はコロナ真っ只中から新しいフェイズに。喧々諤々のTwitterでの論争も、著名人の相次ぐ死の際も、感染をめぐる国の対応も、クリエイターと世に言うマジョリティ、そして国家機関の間にある混ざりようのない意識の違いを肌身をもって体感したし、それは悲しかったり、悔しかったり、以外にも安心するものだったりと様々だったが、そんな今思うのは、

「当たり前は当たり前じゃないという当たり前」の中を生きている

という当たり前な結論だった。

僕の中でも大きなパラダイムシフトが起き続け、一定の場所に視座を落ち着けるのに随分と時間がかかった。真実を求めて迷走し、身近な仲間や家族に救われたりと忙しかった。

多くの人が、そう言う時間を過ごしてることを様々な場所で感じた。この時期に認知的不協和を起こし、心身の調子を狂わせる人も見たような気がする。認知的不協和とは、これまで触れなかった情報に触れ、常識が覆され、精神的に生じる混乱のことだと認識してる。それはいわゆる洗脳の手法にも使われたりする。

混乱とそのストレスを解消しようとする脳に、新しい情報が一気に流れ込み、精神の安定を求めてその情報を飲み込もうとした結果、思考が塗り替えられてしまうことが起きる。

BLMにおける海外の世相の分断も、大統領選挙での分断にも幾分かその影響を感じるし、SNSのアルゴリズムで展開される情報は、人それぞれの情報の消費動向により個別に提供されていることを考えると、真実を求めてNETにアクセスする全ての人に別々の真実があることになる。それは明らかに分断を即してるとも取れるし、同時に、共感するもの同士を勝手につなげて結束させるものとも言える。でも、分断されたり対立したりしてるどちら側についても結局一番大事なのは、自分の根っこの声だと僕は思っていて、それは、半径10メートル以内の小さな生活の中に息づいている。そのことを発見できるか否かなのかもしれないと思う。どちらについても、その選択そのものが人を根本的に救ったり、解決したりしてくれることなんてなくて、救いも解決も、自分自身の内側で発生するものだから、結局は自分次第。

気持ちいいと思えるものを信じた結果、自分自身が幸せに立っていられることが一番大事。そしてそういう人しか、物事を変化させる力は持ち得ない。

情報の精査なんてできようのない量の情報だし、どんなに正しいと思う情報にも、何かしらのバイアスがかかることを避けられない。自分の思う理想、それを裏付ける理由や思想について、最大級他者を思いやり慮って、粛々と「重力と隔たりを感じながら」行動に変えていくしかない。

あなたにとっての当たり前と、僕にとっての当たり前は、そもそも違うのだ。ところどころ似た性質があれば、きっと楽しいし嬉しい。そして、もしも、知らないことをお互い与え会えたり、楽しめたなら、それは奇跡とも言える。その小さな奇跡を子供みたいに大切に喜んでいたいよね。

コロナの真っ只中の投稿は一つだけ

このエントリーで書いた豪華コンピレーションは想像を超えた金額が集まり、大好きなお店に恩返しができた。捨てたものじゃないと、心から思った。ルーティーン化した生活がリセットされ、起こす行動の一つ一つがチャレンジングで、覚悟が必要になったような気がするし、飛ぶように過ぎていた時間の密度が濃く、長く感じられるようになった気がするなんてな話を、先日Kaoru Inoue さんとした。

誰もが苦心しながら、暗中模索して今を生きているわけですが、僕の周りの人たちはいたってポジティブで、オフラインでもオンラインでも前向きになれるイマジネーションを育てながらこの事態の中を生きてると感じた。結果僕もミュージシャンのあまりに健気な姿に胸を打たれて、さまよっていた心を取り戻すことができた。最近じゃ久しぶりに会えた時、泣きそうになる程嬉しい。

Emeraldは意外に多くの配信ライブに繰り出したと思う。
合わせてソロの弾き語りも結構やったと思う。

その中でも
One Music Campのオンラインイベント


Yabito Fesのスピンオフイベント


は深く印象に残ってる。

ライブハウスはどこも、やりすぎだと思うほどの対策をして、それでもまだ足りないと言われ遠ざかった足はなかなか戻らない。

街には人が戻り飲食店に人はごった返してる。

こうした矛盾をあらゆる場所で見ることになる。
どうしようもなくやさぐれた気持ちになることになったけど、それでも僕らに音楽がしたいと言う思いと、ステージに立って鳴らせるイメージがあるのだから、畑は自分たちで耕し、風のない日は帆をしまってオールを必死で漕がないといけない日常は変わらない。

Kaoru Inoueさんとお話しした際、「俺たちには音楽があってよかった」なんて話をしてくれた。

何が真実か、どれが正しいのか、全然わからない中でも、僕らは倫理とは別の軸から、世の中を見ることが許されていて、それを誰も傷つけない方法で伝達できる力がある。そして何より、それを楽しんでくれるお客さんの感受性と、想像力に、日々感謝することができる。

そんなことを思いながら、毎日音楽への感謝が止まらない。

メンバーの音の中で、そして時にステージに一人の静寂の中で、僕は自分の体と心から響く音を信じ続けて立っていく。

音楽は僕の体に必要であると同時に、聞いてくれるみんなにとっても、少しばかり大事なものなんじゃないかと、信じることができてる。

この状況の中でも、会場に足を運んだり、配信を楽しんでくれたお客様一人一人に、僕のお気に入りのお店のコーヒーを届けに行きたい気持ちです。

気づけばこの小さな生活の中で、大切なものが増え、今度はそれを守る為に、奔走し、時に疲労困憊で倒れたり、報われたり報われなかったり。

だけど、一つ一つがとても大事に今の僕を作っている。

それを「全体的な幸せ」と、僕は呼びます。
それぞれがそれぞれの夢中になれることをやっていけばいい。

そんな「あたり前」に気づかせてくれた「当たり前は当たり前じゃないと言う当たり前」の塊であるレコードに針を落として、今日を終えましょう。

それではみなさん。良い音楽ライフを!



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