throwcurve 『DEEP CUT IN THE DUGOUT 2006-2011』 セルフライナーノーツ(後編)
お待たせしました。
お待たせしすぎたかもしれません。
つづき。
(前編はこちら)
さてM17〜24は、2007年発売のミニアルバム『リコール』制作中途段階で自主録音したスタジオセッション音源だ。
この頃の楽曲について解説する前に、少しだけ長い前置きを書いておきたい。
前置き
2006年、それまで毎年ペースで続いていた作品リリースが途切れた。ライヴに注力していた時期だったこともあるが、楽曲制作もレコーディング作業も継続的に行なっておきながらなぜ出さなかったかといえば「そろそろ次のフェーズに行かねばならない」、もっと端的に言うと「売れねば」という焦りが生まれ始めたから、という要因があっただろう。つまり、「次の一手」に対してかなり慎重になっていた時期だった。
いや当然、もともと最初から売れたい(=たくさんの人に聴いてもらいたい)という欲求があって始めたバンドなのだが、インディーズでのCDデビューから3年ほど経過する頃になると「同じポジションにずっと居続けていてはヤバい」「オワコンになるかも」という、それまでは抱かなかった危機意識がちらついてくる。
今では音楽活動もさまざまなスタイルや方法が一般化し、随分と状況が一変しているかもしれない。ただ少なくとも当時の下北周辺のバンドシーンには「ステップアップするための見えざる階段」がわりとはっきり存在していたと思う(これは同世代の音楽関係者、あるいはライヴハウスに出入りしていた皆様ならみんな頷くところではないだろうか)。
その階段を駆け上がれるか、否か。
そんな局面を迎えたバンドはこの年、メンバー全員20代を折り返した。
幸か不幸か「音楽を辞めて定職に就きます」という選択をその時点で考えたメンバーはいなかった(厳密には当時、ドラマー・コヤマが某・つけめん屋の店長を兼業していたことはご記憶にある方もあるだろう。そこはカップ麺になるレベルの名店で、本当に美味かった)。
とはいえ自分はといえば、その時期に大学を中退し、大した稼ぎもなく、心持ちとしては“都落ち”の気分で都心の住まいから離れ、川を渡った隣県の安い物件に引っ越し…と書き出してみると我ながらなんか哀しくなってくるな!!!
まぁそこらへんの話をあれこれ詳しく書こうとすると、それこそ情感たっぷりな貧乏生活回想エッセイのできあがり!なのだが、ここではやめとく。とはいえ決して貧困に喘いでいたばかりではなく、楽しかった思い出も少なくない。が、そんな状況に身を置いていたことが、生まれた楽曲の温度感と無関係ではないと思う。
というわけで、さておき本題に入る。
そんな状況を受けて、我々はとにかく「自分たちの決定版たるフルアルバムを出すべし。さすれば道は拓けん」という信念のもと、フルアルバムを次の一手として考えていた。とくに自分の中ではそのコンセプトをかなり固めていて、タイトルを『all about us』=僕らについてすべて、とすることまで決めていた。(これはメンバーにシェアしていたかどうか…正直定かでないが)
そしてアルバム未収録だった『世界のはじまり』『ブラックバード』など既存曲に加え、新規収録するための楽曲制作にもかなり取り組んだ。そのような経緯もあり、この時期に行われたセッションで生まれた楽曲には当時の独特な「気分」がかなり反映されていると感じる。
我々の初期の頃の作品について、何かのレビューで“モラトリアム世代”と書かれたことがある。はてそれはどういう意味か?と考えてみた結果、極端に解釈すれば「なんか小難しいことをやろうとしているが、音楽にも歌詞にも本質的に危機感がない」と一蹴されたということかも、と感じた。
その頃と比べると、真顔を決め込みながら懐手にナイフの柄を握っているような、ヒリついたものが作品から滲みはじめたのがこの時期だ。
なおこの『all about us』構想は、2006年後半〜2007年にかけてさまざまな事由で紆余曲折あり、結果ミニアルバム『リコール』という作品として着地した。
その辺りの経緯は改めて別稿で書ければと思う。ただひとつ断っておくと、決してフルアルバムの企画が規模縮小したのではなく、『リコール』の6曲に絞って出したほうがその時のバンドの姿勢として正しい、とメンバー満場一致で判断したからである。
テテ (demo session for unrealized album "all about us")
8+7拍子という変則的なリズムを採り入れた1曲。一時期ライヴではけっこう演奏していたのでご記憶にある方も少なくないのではなかろうか。
イントロのギターフレーズをルーパーでリアルタイムにループさせ、それを聴きながらバンドで合わせる、というけっこう綱渡りなことをやっていた。コヤマ君にはとくに大変ご迷惑をおかけしたと思う。
いつだったか忘れたし内容も正確に記憶していないが、「throwcurveの目指す “色” は何か?」というような話をメンバーたちとした覚えがある。
そのときに関山が「夜が明ける直前の、暗くもなく明るくもなく、希望があるのかないのかも分からない、あの曖昧な感じ」と表現していて、まさに言い得て妙だと思った(細かいニュアンスは違ったかもしれない。多分そんなカッコいい言い方ではなかったと思う)。
そんな「色」を端的に表現していたのが意外とこの曲だったんじゃないだろうか。
「なるべく難解な要素を取り入れつつ、ちゃんとエモーショナルに歌を聴かせる」という試み自体は2000年代頃のバンドのアプローチとしては珍しいものではなかったと思う(すっかりそういうバンドが減った気はする)が、この曲が纏う“気分”は意外と他のthrowcurve楽曲のどれとも似ていなくて、正式レコーディング音源として残せなかったのが少々残念だ。
『表現は自由(that made me mad)』のザクザクしたカッティングでアルバムが始まる感じも我ながらカッコいいと思うが、夜空が白んでくるようにじわ〜っと音が鳴り始め、「はじまりのない朝と おわりのない試験放送」という言葉で幕を開ける、そんなアルバムも作ってみたかった。
ちなみにタイトルの意味は?というと、完全に語感重視100%だったと記憶している。
表現は自由 (demo session for unrealized album "all about us")
『リコール』のリードトラックのデモセッション。アレンジはすでにだいぶ固まっている。もっとグダグダだった段階のアレンジもお聞かせしたいところだったが、残念ながら音源が発掘できず。
とはいえ聴き比べると、完成版とはところどころ歌詞やメロディ、言葉の割り方が異なっている。このように、詞はギリギリまで吟味して推敲を繰り返していた。そこらへんのタネ明かしをしてしまうのは少々こっ恥ずかしい気もするが、言葉のどういう部分にこだわっていたか感じてもらえるなら本望である。
Undefined Song (demo session for unrealized album "all about us")
本作で最もレアなトラックのひとつが恐らくこれだろう。
なぜなら自分自身まったく覚えていなかったからだ。
これは完全なる未完成楽曲(へんな表現)で、ライヴでも多分演奏してないんじゃないだろうか(してたらどうしよう…当時ならやりかねない…)。
タイトルもこれが正式というわけではなく、さんざん記憶と記録を掘り返したが思い出せなかったのでコードネーム的に「Undefined(不確定な)」とした。なんか「国籍は不明〜」とか歌ってるし。
なんなら明らかにホニャララ〜と歌っている部分もあるから、歌詞も完成していなかったのだろう。そんなもん配信すな!!と俺が偉い人だったら怒るかもしれないが、率直に自分自身「throwcurveの知らない曲」として聴き、ちょっとカッコいいじゃん!と思ったので入れちゃいました。
それなりに歌詞も書き進めて仮歌まで録っているので、収録候補ではあったのだろうが、どこかの時点で「メンバーの総意」という最終決裁が得られずお蔵入りになったと推察される。正直、このフェーズまで作ってお蔵入りになった曲は、それだけであと数枚アルバムが作れるくらいあった(残念ながらデモ音源が残っていないのだが)。
ただ、当時のthrowcurveには「ちょっとカッコいい」程度の出来ばえの楽曲では採用されず、たやすく戦力外通告されてしまうという厳しさがあった。デモを持っていく身としては、身を切って産み、手塩にかけて育てた可愛い我が子を毎回閻魔裁きの場に連れていくような心持ちだったので、曲出しというのはそれはそれはストレスであった。
ヘルベチカ (demo take for unrealized album "all about us")
そんな曲出しの恐怖を免れる方法のひとつとして、自分が考案したのが「ソロ曲を作る」ということであった。
当時ちょいちょいソロ弾き語りのオファーもあったので、そういったイベントの折にthrowcurveのセルフカバーとともに披露するレパートリーとして拵えたのがこの曲。ソロであれば誰に文句を言われることなく自分の好きな曲を歌えるからネ。
この楽曲は我ながら「2000年代の四畳半フォーク」とでも呼ぶべき、しみったれた味わいがあると思う。歌詞にもあるとおり「畳6枚分」の生活に甘んじながら、いずれ大きな世界に打って出たい!と夢想していて、その反面そんな日は来ないのかも、という諦念に近い心情も滲んでみえる。
そういう心の機微をとらえた歌だ。
本曲は『all about us』に収録したくて作ったというより、ソロのレパートリーをthrowcurveの曲に転用しようとした、という方が正しい。一応バンドでもセッションした記憶があるが、結局まとまらなかった。
タイトルの「ヘルベチカ」とは何を思って付けたか、正直記憶にない。何せバンドに共有したデモ音源には「不安定(仮)」というファイル名が付いていたぐらいだ。
とはいえこの曲は「ヘルベチカ」という名前だ!とどこかの段階で決めたことは記憶にある。多分、それがグラフィックデザインの世界で半世紀以上スタンダードとなっているフォントの名前だと覚えたばっかりで、すげーオシャレじゃん!とでも思ったんじゃなかろうか。
誰もが目にしたことがあるであろうヘルベチカフォントは、スタンダードすぎるが故使い方のセンスが問われる書体でもあり、逆説的に「ヘルベチカを制するものはタイポグラフィーを制す」とさえ言われたりする。
エフェクターで例えるならBOSS OD-3みたいな感じだろうか。
一方誰が使ってもそれなりにカッコよく映えるFutura フォントはまるでBOSS ブルースドライバーみたいだ、と今書いてて思った。
それはさておき。
そんなヘルベチカフォントを大胆にフィーチャーした!
throwcurveの新作Tシャツが!
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告知すみません。
管理人様、不適切でしたら削除お願いします。
オールアバウト ミュージックチルドレン (demo session for unrealized album "all about us")
これも『テテ』と同じく、一時期何度かライヴで披露していた楽曲。
個人的にも推していたし、レコーディングしたかったが、当時サビの手前の繋ぎのアレンジになかなか納得がいかず、結局お蔵入りのような感じになってしまった。
今聴くと、正直別にこれでよかったのでは?と思う。
革命のマナー (demo session for unrealized album "all about us")
これも『リコール』収録曲のセッション。
歌詞があまりできていないですね。
エーとビー (demo session for unrealized album "all about us")
こちらも歌詞が一部あやふや。ただ演奏はだいぶ固まっている。
後半の展開で、某・有名ゲームのSEがずっと鳴り続けているが、これは当時発売されていた某社のカプセルトイ「サウンドロップ」(ボタンを押すとゲームなどの効果音が鳴るおもちゃ)を実際にギターのピックアップに当てながら連打して出している。
当然レコーディング音源で使用するわけにいかなかったが、ライヴではこの小ネタをよくやっていた。
僕らについてすべて (demo session for unrealized album "all about us")
『リコール』収録曲のセッション。
この曲はサビのメロディがレコーディングぎりぎりまで異なっていて、なかなかしっくりこず長らく悩んだ記憶がある。
これも例によって歌詞が断片的に違っている。
リライトした部分が結構キモだなと思う。最終的にはかなり納得いくものが書けた。その歌詞に込められた意味については今後『リコール』の稿で詳しく触れたいと思っている。
以上が『all about us』セッションのデモである。
もちろん別途収録した『動物』や、かなり早くからライヴで演奏していた『マスターテープに起因するノイズ』、あと未リリース曲『わたしがすごくきらいなもの』なども収録候補だったが、あいにくこの一連のデモ音源に含まれていなかった。
壊れない (2009/07/01 mix)
2009年頃にライヴのレパートリーだった曲。
確かジャムセッションから組み上げていったのではなかっただろうか。
リズムのフィーリングや、ラップのリリックに近い感覚で詰め込まれた歌詞は、当時愛聴していたTV On The Radioの影響があったと記憶している。
ただこの時期は個人的にダンスミュージック志向がかなり強くなりはじめていて、こういうウェットなメロディを歌うことに抵抗を感じはじめていた。
自分で作っておきながら、はっきりいって当時は何か好きじゃない曲だった。
今改めて聴くとめちゃくちゃ良いじゃん!と思ったので収録。
関山は未だにこの曲が好きなんだそうだ。
地対空 (2009/06/21 demo by Ryo Nakamura)
これはバンドとして制作した曲ではなく、完全に個人で作ったデモ音源。何度かバンドでセッションしてみたものの、結局レパートリーにはならなかった。が、今回独断で収録させてもらった。それには相応の理由がある。
2009年の春頃、人生でもなかなか稀有な「生活の基盤になるいろいろをいっぺんに失う」という経験をした。詳しくは控えるが、自分の心情としては“バンドの存在が唯一、自分が社会に存在する理由”くらいのレベルまで、いろんなものを手放し、どうでもよくなり、たまたまライヴが少なかった期間だったこともあって、とりあえず長野の実家に帰った。
それからしばらく、実家の厄介になりながら、半ばプータローのようにして過ごした。こんなに空っぽな気持ちだったことは後にも先にも思い当たらない。
「このまま地元で仕事でも見つけて、たまにライヴの時だけ上京する生活でもいいのかもな」などと考えはじめていた矢先。飛び込んできたのが、忌野清志郎さんの訃報であった。
ショックだった。
別にRCサクセションやキヨシローのソロの熱心なマニアというほどでもなかったはずなのに、自分でも意外なほどに動揺し、涙が止まらなかった。
そんなタイミングで清志郎ファンのneaf・キョウヅカから、「お葬式に一般の人も参列できるらしいから一緒に行かないか」という誘いがあり、東京に戻って2人で似合わない黒スーツを着こんで青山葬儀所へ向かった。
5月にしてはありえないほどの炎天下の中、果てしなく伸びた一般参加の列に並ぶこと5時間。ちょうど『雨上がりの夜空に』が流れていた斎場のド派手に飾られた祭壇を見つめながら、手をあわせた。
そんな時間の中で「自分はいったい何をウダウダくすぶっているのだ。五体満足でロックンロールができるというのに!!」という想いがふつふつと込み上げてきて、それを機に憑き物が落ちたような気持ちになり、また東京に戻ることにした。
そして、戻ってすぐに書いた曲が、この『地対空』だ。
そういう視点で歌詞を聴いていただくと、まあ非常に青臭い。
ただドラマチックな言い方をすれば「自分をこの世界に引き戻してくれた1曲」ということになるわけで、そんな経緯と個人的な思い入れもあって今回収録した。(この話はメンバーにもしてない、というかここで初めて書いたと思う)
なお例によってリズムトラックはBOSS BR600のドラムマシンで作成している。
この曲は記憶にあるかぎり一度だけ、ソロライヴで披露した。ただそのライヴというのは確かオールナイトのクラブイベントで、さらに当日は台風の直撃だか何かの原因でお客さんもゼロに近く、実質ほぼ誰も聴いていない。
唯一、イベントに呼んでくれたDJトーニャハーディングが褒めてくれた記憶がある。
HIKARI CLUBのテーマ (2010/11/09 mix)
2010年の秋頃、throwcurveの可能性をさらに拡げたい、という意図でバンドの発展的活動凍結、そして「メンバーを拡充し不定形なスタイルの自由な音楽集団とする」というコンセプトを思いつき、The Future Ratioという名義でグループを再編成するに思い至った。
活動凍結の発表はおそらく多くの人にとってネガティブな印象を与えたであろうと思うが、いっぽうバンド内には当時感傷的な雰囲気はなく、というか新形態の準備でそんな暇すらなく、2010年末はとにかく超絶忙しかった(大晦日まで新曲の歌入れをしていたくらいだ)。
そんな過渡期にあたる時期、自分の中では「壁を破って新しい方向に進めるぞ!」という開放的な気持ちも相まって、ポジティブでアッパーな楽曲が多く生まれた。その先駆けとなったのが本曲だったと記憶している。なので厳密に言えばこれはThe Future Ratioの楽曲であり、ここに収録すべきではないものなのだが、今聴くとむしろthrowcurveの置き手紙でありラストメッセージ的な要素が色濃いと感じたので、いささか乱暴ながら本作品の締めくくりの1曲とさせてもらった。
タイトルにある「HIKARI CLUB」=光クラブ、とは、戦後間もない1948年に東大の学生が興して話題となった金融会社(要は高利貸し)であり、およびその会社が行った大規模なヤミ金営業、法律違反による摘発を経て首謀者の服毒自殺という形でセンセーショナルに幕を引いた「光クラブ事件」から引用している。
当時これは「アプレゲール犯罪」と呼ばれたそうだ。アプレゲール(après-guerre)とは、終戦後に台頭した新たな価値観をもつ若者たち(“戦後派”とも呼ばれた)を指す。侮蔑的な意味合いも含んだ呼称だったようだが、自分は一時期こういった戦後の先鋭的なムーヴメントに強い興味を持ち、とくにこのアプレゲール的価値観にはどことなく共鳴する思いがあった。
既存の常識に囚われたマジョリティたちの常識の隙間をかいくぐり、NOと言われようと手段を選ばずに自分たちの思う道を進む。そういう無軌道な活力に溢れた60年前の若者に対し、2010年当時の自分は漠然と憧れを抱いたのである。「光」を名乗っておきながらやってることが闇深すぎ、というアンビバレントなネーミングセンスもよかった。
率直なところ、その感情はやや夢見がちだったと思うし、今はまた違った視点を持っている。無軌道はどこまで行っても無軌道でしかなく、犯罪はどこまでいっても犯罪でしかない。ただ、本質的にどんなところに共鳴していたか?という説明は、なんとなくできる。
それは「“正しさ”という価値基準を度外視した上で、自分という一個人が社会に向けてどう対峙するか?という意識」の部分だと思う。
誰もが自分自身を「社会性」という枠内に捩じ込みながら、そこから若干はみ出てしまうノーマルなのかアブノーマルなのかも判断がつかないものをそっと隠し持っている(ような気がする)。
それを暴き出し、堂々と表現できるのが芸術であり音楽である、というのが自分の解釈だ。光クラブ事件の当事者である山崎晃嗣の行為も、「社会的な正しさ」とは別の物差しをはっきりと自分の中に携えた上で、それをある種の前衛芸術に近い感覚で、金融ビジネスという“表現”に落とし込んだのではないかと(勝手に)想像する。
とはいえこの「一個人と社会との対峙」という構図は、個人的な肌感覚としては2010年頃まで、一般的にはそれこそ音楽をはじめとする芸術・文化的表現の中にしか見つけることができなかった。ような気がする(※そういった活動を生業としている方々は別として)。
ところが2011年3月11日が日本社会の大きな転換点になったこと、そしてSNSの爆発的な一般化、ひいてはYouTubeによる「個人のメディア化」といったパラダイムシフトが加速し続けたこの10年強で、一個人と社会との対峙という構図は良くも悪くも特別なものではなくなり、人々のノリも明らかに変わった。
結果的に何がどうなったか超絶乱暴に総括すると、『正しさ』という物差しをより強固なものにしないことには世の中の収拾がつかなくなった ←イマココ、みたいな感じなのではないかと思っている。
なんか我ながら話の主語がでかくなってきて危なっかしいので、音楽に限った話に戻すと、昨今のポップミュージックもどんどん「正しくなっている」と感じる。
正しいスケール。正しいビート。正しくジャンルを咀嚼した曲調。正しく過不足のない構成。正しく揺らぐピッチ。正しくクオンタイズされたリズム。正しく琴線に触れるメロディとコード。正しくエモい歌詞。
別にこれは揶揄しているわけではなく、自分自身も最近の楽曲の徹底された正しさに感動することは多いし、その正しさの精度を突き詰めたクオリティにはただただ舌を巻き、そこから透けて見えるプロダクションのご苦労に思いを馳せることもしばしばある。
ただ。
ただね。
そんなに正しいことがしたくて音楽やってたんだっけ?
という疑問も、たまに湧いてくる。
それは今回、このプロジェクトをやるにあたってthrowcurveを聴き直し、改めて強く実感した部分でもあった。
だってこのバンドがやってたこと、全然正しくない。ピッチは悪い、リズムもずれまくる、無駄な構成や意味不明な展開、独りよがりな歌詞のオンパレードだ。
でも、ああ、そういうおかしなことがしたくて、社会に対して変なファイティングポーズ取りたくて始めたバンドだよね、という部分に関しては活動凍結する最後までぶれなかった。だから今聴くと、なんかめっちゃ面白いのだ。
そういうthrowcurveというバンドが一貫して持っていた“気分”を、辞世の句のようにして残していったのが「HIKARI CLUBのテーマ」だったのではないかと思う。という、少々強引なまとめ方をさせていただきたい。
あまり歌詞の転載は好きではないのだが、この曲はテキストデータも残っていたので、ここでひとつ掲載してみよう。
なお本曲はThe Future Ratio名義で、2011年3月に東日本大震災の被災地支援チャリティーアルバムとして配信されたコンピレーション『HOPE nau!』(nau)に収録された(throwcurveも別曲を提供している)。最終マスター音源はややリバーブ感が過剰な仕上がりになっており、今回の収録にあたってはそちらではなく、敢えてラフミックスver.を採用した。この頃はすでにAbleton Liveを使用してDAWメインの制作を行なっており、この楽曲もギター以外はほぼ打ち込みで制作されていたと思う。
今回このレア・トラック・アルバムの編集作業中、無性にこの曲を繰り返し聴いてしまった。なんともいえないパワーを感じる曲だ。発表の時期が異なっていたら、バンドの代表曲のひとつとしてプッシュしていたかもしれない。
この曲をステージでもっと歌えたら良かった、と今さら感じている。
ちなみにめちゃくちゃ余談。
本稿を書きながら思い出したのだが、この曲を書くより前、よくつるんでいた遊び仲間3人のグループに、ノリで「HIKARI CLUB」と名付けていたことがあった。
グループの主な活動内容は、映画『アウトレイジ』シリーズが公開されるたびに皆で観に行くことと、東横線あたりの古着屋をディグることと、飲むこと。
メンバーは、今はなき渋谷の古着屋『go-getter』で働いていたK君と、THIS IS PANICというバンドのMCとして活動していたウエダと、自分。
古着が好き、という共通項で繋がった仲間だったが、当時バンドメンバー以外では数少ない“同志”だった。
グループ名を名付けたくらいだから何かしらのアクションに繋げようと企んでいたはずだが、結局何もやらないまま、『アウトレイジ 最終章』の公開タイミングで集まれなかったのを機に疎遠になってしまった。みんな元気だろうか。
この曲のバックボーンには、そんな友人たちのイメージもあったはずである。
以上ここまで。
後半いろいろヘビーなこともありなかなか筆が進まず、どうにかこうにか書き終えた。
Apple Musicだとおすすめ曲(★マーク)が見事に冒頭7曲だけという至極真っ当なサジェストがついていて感心してしまった本作『DEEP CUT IN THE DUGOUT 2006-2010』だが、ぜひとも後半の楽曲たちも珍味を噛み締めるように味わい深く楽しんでいただければ幸いである。
さて次回からは、古い作品から順に1作ずつ振り返っていきたいと思う。
残念ながら引き続きこんな調子で続きます。
どうか気長にお待ちください。それではまた。