「本当に必要なこと」はまさにその時やってくる
「本当に必要なこと」は慌てて探しにいかなくても、その人にとって最も適切な時期に、必要な情報として自然に入ってくるものだ。
映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」を見た。新型コロナウイルスの影響で公開延期になっていたが、ひきこもり生活をしているうちに、すっかり忘れてしまっていた。しかし公開されたことを偶然に知り、久しぶりに映画館に行ったところ、今の私が見るべくして見た映画だったことを、しみじみ感じさせられたのである。「本当に必要なこと」は、適切な時期に向こうから知らせにやって来てくれる。
この映画は南北戦争時代の4姉妹の成長を描いた小説「若草物語」が原作となっているが、主人公ジョ―の記憶をたどりながら進行し、今と昔が激しく交錯するため、「若草物語」のストーリーを知っていることが大前提となっている。私が読んだのは小中学生の頃で、もうずいぶん昔のことだったから、このエピソードの続きはどうなるんだったけ?と記憶をたぐりながら見ていた場面も多々あったが、女性にとっての結婚や仕事についても積極的に採り上げ、現代的にうまくアレンジされている。
他にも印象的だったのは、原作にもたびたび登場する4姉妹が居間に集うシーン。編み物や刺しゅうでもしながら穏やかに会話をしているイメージを抱きつつ読んでいたが、映画ではわちゃわちゃととてもにぎやかで、取っ組み合いに近くなることもある。原作のイメージとのギャップも感じたが、これがいまどきの少女たちのごく自然な姿かなと思う。
また、次女ジョ―が幼馴染ローリーのプロポーズを断ったものの、3女ベスを喪った悲しみや寂しさから、ローリーにもう一度やり直せないかと手紙を書く。ところがローリーは末っ子エイミーと結婚してしまうという場面。夫婦となって帰ってきた二人を見て、ジョ―が一瞬何とも複雑な表情を見せるシーンなど、実に素直でよろしい。・・・そうだよね、なぜそんな判断をしてしまったんだろうと、悔やむことばかりなのだ、生きているということは。
やがて、長女メグの結婚や次女ジョ―のニューヨーク行き、3女ベスの闘病、末っ子エミーのパリ暮らしなど、4姉妹もそれぞれの道を歩み、考えることや悩むことの深くなってゆく。そして作家志望の次女ジョ―は、「少女時代が終わってしまう。」とつぶやく。その時々を楽しく過ごすだけでよかった少女時代をただ懐かしむだけでなく、その思い出を持ちあぐね、どう消化していいのか分からなくなるのだが、やがて彼女はそれこそが自分が書くべきであることだと気付く。ジョ―にとっての「本当に必要なこと」も、時間や経験を経て、最も適切な時期にやって来た。
昔、小説で読んだ時にはそうでもなかったのだが、この映画では次女ジョ―に他人事ならぬ共感を感じた。同じ次女であることだけでなく、家では長男の役割を果たし、自分の人生においては貧乏くじをひいてしまい、誰からも何ものからも自由でありたいと願い、そして何かを書きたいと思っている。
今この時期、この映画を見ることができたこと、ジョ―という人物に自分を重ね合わせることができたことは、私にとって「本当に必要なこと」だった。今この時期でなければ、このように受け取めることはできなかったことだろう。「本当に必要なこと」はまさにその時やってくる。持ちあぐねて消化できずにいる思いの数々を、私も書いてみよう。