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ワーホリのすすめ。

実は!2年の海外生活に終止符をうち、少し前に日本へ帰国しました。報告が遅くなってしまい申し訳ございません!(芸能人の結婚報告風?)。。笑

帰国してからSTAYHOMEでほぼ人に会ってなく、特にみんなにも公表しないとおそらく私はドイツに住んでる人だと思われるんだろうと。この前誕生日のメールで「いつか会おうね!」や「体に気をつけて」など心温まるメッセージをくれる人もいて。涙

いや!私!日本にいるよ!!!!!って思ったので、ちょっと気持ちの整理含めて今日は久しぶりにnoteを開いてみた。

2019年5月8日にベルリンへ旅立ってからあっという間に1年が経過。

今、世界ではコロナと言う得体の知れないもののせいでとんでもない事になっていて、このタイミングの帰国だと

「コロナで帰国?」とほぼ100の確率で聞かれますが、

そうではありません。(NO !) なぜか強く否定したがる私w

というのも、当時の私はコロナのことを考える余裕がないくらい人生を悩んでいたからだ。

人生の夏休みと言われるワーキングホリデー2カ国目としてドイツ・ベルリンを選択し、本当にたくさんのことを経験した私。

振り返ると、

5月:ドイツへ

6月:ドイツ語学学校スタート

7月:アルバイトandインターン開始

8月:イタリアのサルデーニャ島にホリデー

9月:ドイツ・フランス・オランダを巡るエコツアーに参加

10月:2つ目のアルバイトスタートandドイツ語お休み

11月:ドイツ語学校スタート

12月:風邪をひきダウン

1月:断捨離をはじめる

2月:日本での仕事が決まる

3月:ヨーロッパ旅行・そして帰国

私の血と涙の一年はそれぞれの月1行ですまされてしまうのか。笑

いやいやちがう!本当は1000行くらいかけるくらい経験したであろう。

思えばワーホリ1カ国目のデンマークと比べ2カ国目は覚悟が違ったのでいつもいつも鼻息ふかして、気をはっていた。毎日が不安でパートナーに八つ当たりしていた。ごめん。。

1ドイツ語習得

2お金を稼ぐこと

3インターンで経験を得ること

4就活

この4つを同じ時期でやっていた私。

これを同時にやってしまたことは今になっては猛反省。

周りを見渡すとこれを同時にやっている人はいなくて、

例えば、

知り合いCちゃんは

1 お金を日本で貯めてきた(金銭面)

2 ドイツ語学校 

3 ドイツの大学を卒業した(経験)

4 インターン中 →今ここ

5 就活

と計画かつ戦略的に人生を進めてて、本当に心底尊敬した。

私はなんと無防備で無計画だったのかと。

だから、私は1月にやることよりも「捨てること」を意識してDOの断捨離を始めた。やることはいっぱいあるけど、何かを手放すって本当に難しかった。私は海外でずーと働きたいという漠然の夢があって、そのためにはどうすれば良いかをひたすら考えた。考えて一つひとつ手放していった。

そして、私の中で潜在的に変化が起きたのはおそらくこの時であろう。

ある日、ジェームズ・メイの日本探訪という彼が日本の各地を訪れ、日本の文化を紹介していくという映画(アマゾンプライム)をパートナーと見た時、私は日本の文化を全く知らな事に気づいたのだ。

日本!めっちゃええやん!!

そして、なぜ日本人ではない彼が日本を紹介して私が感動してる??と今ではもはや謎。

でも、そういうのって実は当たり前の事なのかもしれない。例えば、私は海外のアンティーク雑貨やタイルを集めることが好きで、見ると本当に幸せな気分になるのだ。でもパートナーからしたら実家のばあちゃんちを思い出すだけで全くもって、そそられなかったようだ。

逆をいうと、パートナーはドイツでずっと育ってきたから、日本の文化が好きで、ポルトガルでBONSAI-HOUSEというポルトガル人によって日本の庭園を再現したゲストハウスに泊まったことがあり、彼はもうずっと写真を撮り続けていた。私からしたら、鯉のあの匂いは、近所の幼馴染の家を思い出すだけで、もはやちょっと臭い。とか言って全くそそられなかった。

何が言いたいかというと、自分とは異なる世界に惹かれ、身近にあるあたりまえの良さには気づけないということ。

母国の素晴らしさも、海外に出る事によって気づく。そしてそれを誰か別の人に教えてもらうことも多いのだ。

そこから私は日本の文化を紹介したいと思うようになった、するとある日1件の求人募集を見つけ、そこから面接と、トントントンとご縁をいただき就職することが決まり、そして、帰国を決めた。

そして私は海外で働きたいという気持ちを一度、すっと手放したてみたのだ。

ずーと、ずっと日本と世界を繋ぐ架け橋になりたいと思っていた私。

でもそれが何かわからなくて2年間ずーともがいていた。

一度キャリアをストップして、デンマークへ1年ワーホリ。

デンマークが大好きになって「人と自然が共存する世界」を深掘りしたくて、フォルケホイスコーレに通ったり、エコビレッジ に住んだりした。そしてドイツでサーキュラーエコノミーを構築するスタートアップでインターンをしたり、自分が何をやりたいのかずーと模索していた。

そんな中でも「日本と世界を繋ぐ架け橋になりたい」という漠然な思いは消えなくて。

1 日本と世界を繋ぐ人

2 持続可能な社会・ビジネスを構築する仕事

3 日本の素晴らしい文化を発信する仕事

こんな思いで見つけたが今の仕事。

日本の伝統工芸品や、日本食・日本酒などの「Made in Japan」を広める販路開拓ディレクターという仕事に4月から就任する事になった。※トップの写真はまさに私の仕事のイメージで、インドへの航路をヨーロッパ人として初めて発見した人物!ポルトガルの航海者、探検家のバスコダガマとその仲間達の大航海時代を記念した記念碑。私の仕事のイメージにぴったりで思わず激写した。

ジェームズ・メイのおかげ?となるかもしれないけれど、実は全てが繋がりがあって、ようやくたどり着いたのかと思う。

高校のアルバムを見ると「日本の素晴らしい文化を伝える」と書いてあったことを忘れるくらい、いきあたりばったりで毎日奮闘して、そしてそれから17年経ってようやく、私が私らしく、働く仕事にたどり着いた。

海外で働きたいという気持ちを一度手放したからこそ、辿り着けたのだと今では思う。時には戦略を変えて、自分の中で本当は何が大切なのか、そう考える時間をしっかりとれたからこそ、手放せて日本に帰国することができた。


最後に、これを読んでくださった皆さんにお願いがあるのだ・・・。

ワーホリに行く人に「何をしに行くの?」と聞くよりもむしろ「ワーホリ後にどんな自分になっていたい?」も聞いてみて欲しいのだ。

ワーホリ2年。ワーホリに行く前には、たくさんの人に反対された。でも2年経ったけど私は私の生きる道を見つけた。ワーホリで色々やりたくて色々計画したけれど、ぶっちゃけ想像してたことと1ミリも違うことが待っていた。出会う人も働いた場所も全て。それがワーホリの醍醐味だと思う。むしろやりたいことが決まってる人はワーホリなんてせず努力して大学とか就職してると思う笑 2年間色々、反省点は多々あったけれど、それでも私はワーホリをして心からよかったと思っている。

私みたいに悩みやすい、何をしたいかわからないけど、とにかく海外に行きたい!って思う人はワーホリしてみて欲しいな。1年が長いって思う人は3ヶ月とかでもいいからぜひ行って欲しいな。何が起きるからわからないから人生は楽しい。

そして、もしタイムマシーンで戻ることができるのであれば、よりCちゃんのように具体的な計画と、金銭面でも余裕があるようにもっと貯金をして、、、挑みたい。。。!!まぁ私の性格的に行動して、目の前の課題に挑んでいく!!っていうのが私なのだけれども。

タイムマシーンはないけれど

次の目標ができたので、それに向かって「計画的なプラン」と「貯金」をしっかりして、進んで行きたいと思う!

な、ながい!!!

こんな読めない時代だからこそ、自分に正直に、軸をブラさずに、そして今は貯める時期としてコツコツと備えて行きたいと切に思う。

それでは、また!!

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