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#157 ”植物のエネルギー”というものについて

仕事以外で1週間連続稼働を初めてこなし切り、達成感に満ち満ちております。

他人と予定を合わせて会うことはイレギュラーが少なからず伴うわけで、ともすれば自律神経ないし体内時計の撹乱にも通ずるわけです。かのようなことは重々承知の上であり、それを見越して保険をかけて予防線を張ってはいるものの、時に「不調」はそれら越えて現出する。

そんな乱れた時、「植物」が与えてくれる癒しの力は果てしないものがあるなと、改めて感じている次第です。1時間睡眠であっても、畑に行けば疲労感を忘れてしまうことも往々にしてありまして。


写真の3種類の小瓶は、オリジナルの「コミュニケーション不和解消ブレンドアロマ」。ボトルは体内を掃除してくれるハーブドリンク、通称“泥”。この子たちのおかげで、僕の眼前に開かれる世界は相当綺麗になりました。「今開かれている世界は、自分の内側を反映したものである」とはよく言ったもので。

…とかく、「植物には乱れを修正してくれる恩恵がある」ということを話したかったわけです。このような話をすると、怪しいだのカルト的だのと思う人が一定数存在します。「そんなものあるわけないだろ」と。

では現存する世界において構成される要素は、本当に可視化できる物質のみでしょうか?そうだと証明できるでしょうか?

傾倒するわけではありませんが、少なからずそういった「知覚できない大いなるエネルギー」というものは存在すると僕は考えています。命の重さが21gであるという通説も存在するように。

「人間が知覚できないから存在しない」という思考は、あまりにも人間本位な愚行のようにも感じてしまいます。我々は神ではないわけです。ましてや神がそのような行為を行うかと聞かれたら甚だ疑問ではありますが。あくまで人間が知覚できないだけであって、それを一方的に否定するのはいかがなものかと。

…少し熱が入り、傾倒してしまいましたね。

「自然に触れることで得られる開放感」を思い出してください。身体が緩まり、穏やかになる感覚。

その感覚を是非、忘れずにいてほしいのです。

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