#4 アーボビテ、クラリセージ、パチョリ
外見だけで判断し、本質を見過ごしていませんか?
我々はこの地球、現世に課題を持って生まれ落ちています。一生をかけて魂を磨き上げ、そして元あった魂の世界へと帰っていきます。
「我々はかつて大きな1つの魂の塊であった」、とよく話されます。課題を克服し、己が魂を研鑽すべく現世に降りてきますが、現世に魂を留めておくには「器」が必要になります。その器こそ我々の今目に見える「肉体」なのです。ですが器が1つだけだと、いかんせん窮屈です。そのため我々は、それぞれの器に細かく分割して入り込むことによって、地に降り立つことが叶えられるのです。
かつて大きな1つの塊であった我々は、言うなれば「自他の境界が本質的にはない」とも取ることができるでしょう。自分は相手であり、相手もまた自分なのです。本質的には自分と同じだからこそ、相手も自分と同じように愛情を持って接する。つまり、相手を愛することは自分を愛することと同義なのです。逆もまた然り。ですが周りを見渡すと、世の中には小競り合いが絶えません。「汝、隣人を愛せよ」の言葉は遥か彼方。なぜこのようなことが起こってしまうのでしょう。
要因の1つとして、「本質を捉えることができていないこと」が挙げられるかと。見た目が異なり、思考も異なるため、簡単に人間は「敵」や「他者」といった境界線を引いてしまいがち、むしろ正常な反応とも言えます。ですが、このことを一方的に断罪するのもまた「本質を捉えることができていない」状態なのです。
一側面で判断せず、それを留保し、立っている場所を移動して対象を観察してみてください。死角にたくさんの眠っているものを発見できるはずです。しかしこれを行うのはいかんせんコストが高く、容易ではない。そんな時にサポートしてくれるのがクラリセージです。物事の本質を見抜くことを助けてくれるでしょう。
ですが仮に本質を見抜くことができても、自身にそれを受け取る土台が整えられていないと事態を歪曲して受け取りかねません。素直に受け取り、反芻し留保する。これらができるのは健康な肉体や精神があってこそです。それを支えるのに、アーボビテとパチョリが貢献してくれることでしょう。
現在視認している世界に翻弄されないよう、この3種類の精油たちがあなたを導いてくれるでしょう。
今回のエッセンシャルオイル
アーボビテ
神の恩恵の精油。強情さや信用しない気持ちに働きかけ、信頼できること、安らぎ、緊張の緩和などをサポート。
宿るメッセージは、神に委ねる、リラックス、自分の至らないところを受け入れる、歓迎すること・されることへの素直さを得るなど。
腐りにくく丈夫で、古来よりネイティブアメリカンの間でボートやトーテムポール、かご、衣服など、あらゆる部位がさまざまな用途に活用される。薄毛改善の効能も?
トップ・ミドルノート。
濃度が濃く香りもパワフルなため、塗布や散布の際は1滴以下の少なめが個人的に推奨される。
クラリセージ
明晰さと洞察力の精油。第三の眼の解放、頭を空っぽにして感覚を研ぎ澄ますことをサポート。
宿るメッセージは、鋭敏な直感、想像力に富む、独りよがりの解消、女性の味方、感情的になってしまう時になど。
陶酔作用があり、昔からビール醸造に使われるホップの代用品や、ワインの香り付にも使用。頭皮トラブルの改善にも。
ミドルノート。
個人差によって陶酔作用が強く発現する場合もあるため、使用のタイミングは要注意。
パチョリ
肉体のための精油。様々な香水や洗剤料などにも使用されており、日本を含むアジアの国々で毒蛇や蜂に刺された時の治療薬としても使用されてきた。殺虫効果から衣類ケアにも。
宿るメッセージは、肉体と精神の統合、グラウンディング、直感力を高める、逆転の一手、周りを気にしないなど。
ベースノート。
花言葉は「隠蔽」。
後語り
前回のnoteに引き続き、直感で選んだ3種類にメッセージが通貫し、集まることで1つの大意を成すことができている例の1つだなと感じました。
直感力を高め、目の前にあることを見たままに受け取る。余計なフィルターを極限まで取り払うことで初めて本質が見えてくるようになり、その状態で受け取ることで「教えてくれてありがとう」という感謝の念が生まれるようになります。この感謝の念が、あなたの心をより一層豊かにしてくれるのです。
クラリセージによる「第三の眼、開眼エピソード」的な話を最後にシェアして〆にします。
僕には、1つ年下の自閉症の妹がいます。いきなり告白すると、僕は未だに妹の存在というものを受け入れることができていません。その理由については以下のPodcastにて展開しているので、そちらを参照して頂ければと思います。↓
受け入れられないまま、今まで26年間過ごしてきました。「いつか向き合わねばならんな」と思いつつ、その問題に蓋をして目を逸らし続けてしまっているのが現状です。「なんでこいつは存在するのか」と、存在自体を否定してしまっていた過去も数知れず。そんな状況ではあるものの、クラリセージを身体に塗った直近2回、不思議な映像が僕の脳裏に流れ込んできました。
1回目は、流暢に言葉を話す妹の姿。
「いつも迷惑かけてごめんね。これからも迷惑たくさんかけると思うけどよろしくね。ありがとう。」
このような言葉をかけてくれました。知的障害のため、妹はここまで流暢な話し方が普段できないにも関わらずこのような映像が流れてきたため、非常に強く印象に残りました。
2回目は、いつも通り食事をする妹。
何気ない食事の1コマであったものの、見えた映像では「いつも以上に明るい笑顔の妹」がいました。
普段の食事では感じない温かいオーラ、認めることができていない僕と裏腹に僕のことを好きでいてくれている妹の姿がそこにはあり、映像が終わった後は何とも言えぬ複雑な気持ちに押し潰されていました。それが今日です。
クラリセージは、僕はあまり得意としていない香りです。エッセンシャルオイルの面白い点として、そのオイルが持つ課題を避けていたり克服できていない場合、強い拒絶反応を示すことがあります。具体的には「臭い」という反応を僕は示します。
「臭い」と思いながらも使用する理由は、直感でそのオイルを選び取る自分がいるからです。不思議ですよね、嫌な匂いのはずなのに直感では求めているって。恐らく、潜在意識的には「妹と向き合おう」という力学が働いているのでしょう。一方でその課題は今の僕にとって処理負荷が大きすぎるため、うまく向き合うことができない。この意識と現実問題のギャップが僕を苦しめている原因なんだと思います。
少なからず、スピリチュアルの世界や哲学的思考に触れたことによって、学生時代よりは妹に対して寛容になれている気もします。でもまだまだそっぽ向いてしまっています。
植物から教わることは果てしなく多いです。人間なんかより、植物の方が遥かに強い生き物です。これからも植物たちの力を借りつつ研鑽を積んで、その体験も通したメッセージを今後もまとめていきたい所存であります。