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ディバイデッドホテル 3/32

 両手に玉を握った竜が、口を開けていた。その口に手を翳すと、さながら、火焔を吐く八岐大蛇のように水流が出た。
 山口明夫は、慌てて砂利を踏んで後ろに下がった。水の勢いがよすぎて、撥ね返りでシャツを濡らしそうだ。
「日頃の行いが悪いからだよ」
明夫は声のした方を覗いた。
 手水舎の脇に、むき出しの膝を抱えた小学生の男の子が座っていた。
「何とかならないかな」
明夫は、独り言のような口ぶりで、彼に話しかけた。
 天王町商店街の鎮守、午王神社は、近年宮司が代替わりし、それに伴って社殿や施設をリニューアルしていた。二、三か月前、手水舎が新しくなり、センサー付きの竜が設けられた。溜水を柄杓で掬うより衛生的だが、所詮水道水だ。
「五〇円」
明夫は、少年の顔を覗き込んだ。鼻まで伸びた前髪の中の瞳が、フッと逃げた。
「カネを取るのか?」
「何事も、神様の思し召しだからね」
洒落たことを言う。
 大した額ではない。この、少しひねた少年は、蛇口の締め方を知っているのだろう。参拝のための通行税と思えば、支払いをためらうほどではない。明夫はポケットの小銭を一握り掴んで手のひらで広げた。
「釣銭はある?」
「ないよ」
「百円玉しかないんだよ。後は、五円か一円」
「あるだけ出せばいいジャン。神様は、おつりなんか出さないよ、フツー」
 明夫はムッとなった。
 少年の言い分は無理だ。そもそも手水舎は、神社の設置したもので、彼が使用料を取る筋合いはない。
 だが、無理の中にも一理ある。この場で手をすすぎたかったら、水を緩めなければならないわけだが、そのやり方を明夫は知らない。彼は知っている。だから、小遣いをやって締めてもらう、というわけだ。理不尽ではあるが、実際問題としては、それほど突飛な出来事ではない。自分でできないことを、してもらうわけだから。
 しかし、と明夫はさらに思った。
こういう横着な稼ぎ方を、幼いうちから覚えるのはどんなものか。
 カネの稼ぎ方には、大きく分けて三通りある。
 一つは、企業でも、公務員でも、身の丈に合った職場に就き、仕事を習い、覚えつつ稼ぐこと。サラリーマンやOLという言葉はもう古いが、要するにそういう働き方だ。雇用先が安泰なら、一生涯十分な所得を保障される。日本では、多くの人が、このやり方で生活の糧を得ている。
 もう一つは、元手を運用すること。いわゆるインカムゲインと呼ばれるもので、株式を所有したり、アパートを経営したりして得られる稼ぎだ。農業は、土地を元手にして収益を得る営みだから、やはりインカムゲインと言える。これは、元手となる資産があることが前提となる稼ぎ方で、ない者にはできない。だからやっかみの対象になるが、稼ぎ方としては、比較的正当なやり方だ。
 さらに、もう一つは関税だ。人間活動の折々に関所を設け、通行するたびに関税を得る。貿易だけではない。高速道路は走るたびに通行料金を取られるし、電車は乗るたびに運賃が必要だ。電気を使えば電気代、ガスを使えばガス代、テレビを見れば視聴料、ネットに接続すれば通信料。現代社会は、生きているだけでも様々な関税に突き当たるものだ。
 歴史を紐解いても、例えば、関税と武士の発生は切り離せない。関東や東北地方に進出した清和源氏は、配下のサムライに関所を与えて、東国から都へ至る街道を支配した。鎌倉幕府を興した源頼朝は、東海道と東山道を塞いで糧道を断ち、当時凶作に喘いでいた畿内の平氏政権を揺さぶった。その上で、北陸道を支配した木曽義仲が、先に上洛して政権を倒したのだ。
 一回の通行税は、大した額ではない。だが、これが積もると莫大な額になる。少しずつ集めて、やがてたくさんになる。それが関税だ。これは、地道で時間がかかるが、三つの稼ぎ方の中で最も効果的な方法だ。その最たるものが国税であるわけで、すなわち、世の中で一番儲けているのは国であるというのが、現代社会の実相である。
 国が儲けるのは、少なくとも間違いではない。というより、国は儲けることを目的としていない。国家は様々な事業を手掛けており、そのための経費が必要だ。国税はそのためのものだ。例えば、現代日本においては、増え続ける老人に医療を授けること。実際、今の政府は、このことだけにほぼ施策を集中しているといっても過言ではない。
 子どもに教育を授けることも国の役割だ。子どもは、未来の大人だ。彼らが成人したとき、正しく世の中をリードできるように躾けること。これが教育だ。時代が変遷して、様々な世代が育つ。優秀な子もいれば、そうでない子も現れる。一様でないのが人なる生き物の定めであるから、多少のブレは、予め織り込まなければならない。全体のムラを補正しつつ、優良な素材を摘出する。それが教育の、究極の目的だ。
 明夫は思った。社殿が新しくなって、参拝客が増える。年毎の祭りに集う客も増える。それは、いいことなのだろう。地域の人々が、古い伝統を尊重しようと考えているわけだ。つまり、世の中平和だということだ。
 しかし、そうした敬神愛国の世間の空気に便乗して、年端のいかない少年が、関税商売を企むのはいかがなものか。つまり、教育上適切かどうか、ということだ。
 明夫は、少年の頭に拳骨を落とした。
「いてーな! 何すんだよ」
「蛇口、締めろよ」
「締めて欲しけりゃ、金払えよ」
「お前の蛇口じゃねーだろ?」
明夫はまた拳を固め、口に寄せて息を吹きかけた。
 少年は立ち上がった。震えていたが、逃げなかった。
 フン。
 多少は、筋があるか。
 その時、一声、指笛の音がした。振り返った少年の視線の先を見ると、拝殿の陰に、イタチのように隠れた女の子の後姿が見えた。
(つづく)

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