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ディバイデッドホテル 9/32

 呆然とする梶原を尻目に、田代と加藤は話を続けた。
「アニキは、何が苦手ですか?」
「オレか? オレァ、食い物に苦手はねえけどよ。ま、強いて言えば、女だな」
「へ? ご冗談」
「いや、マジだぜ。オレは女の、ナメクジみたいにくねくねした体がたまらなく嫌でね」
「マジすか」
加藤は目を白黒させた。
 彼がヤクザ者をしている理由の一つに、イイ女を抱きたいというものがあった。それこそナメクジを、その体液まで味わい尽くしたいと、若い彼は四六時中考えていた。それが嫌いとはこれ如何に。
 ふいに田代が立ち上がった。顔から表情が消えていた。加藤も梶原も、合わせて立った。店の入口で、ハンチングを目深にかぶった、体の大きな男が、腕を組み、額に皺をよせ、メニューを書いた立て看板を眺めていた。男は、田代たちの視線に気づき、少しためらったように瞳を左右に揺らした後、「オウ」と声を掛けてきた。
「叔父貴」
「おめえら、何してんだ? こんなところで」
「いや、その。ちょっと野暮用で」
「野暮用? おめえのことだから、また何か、きなくせえことでも企んでんじゃねえのか」
「滅相もない。商売ですよ、マジメな」
叔父貴と呼ばれた男、伊東組の若頭、狩野茂は、トマトバーガーのセットを頼んで、できるまでカウンター前でおとなしく待ち、戻ってきた後、隣のボックス席の、田代の斜向かい、梶原の隣に掛けた。
 その間、田代たちは直立不動。彼に促されて、ようやく元の席に腰を下ろした。
「しかし、トマトバーガーも変わったな」
彼は包み紙を開き、一口かじってから言った。
「そうっすか?」
「おう。オレァ、これが初めて出た時から食ってるんだ。ダチが、どぶ板通りのこの店で、バイトしていたからな。覗きに行くと、食わせてくれたんだよ。昔はもっと、ミートソースが多くてよ。齧るたびにはみ出して、包み紙がソースだらけになったもんだ」
「はあ」
「それが今じゃ、どうだよ。見ろ。小ぎれいにまとまってよ。ナボナみてえだろ? 味は薄いし、おまけに温い。昔のミートソースは、やけどするくらい熱くて、手に持ってられないほどだったんだがな」
田代と加藤は、揃って困惑気味な笑みを浮かべた。
 狩野は、二人の所属する組の幹部だ。彼らの立場では、まともに会話することも憚られるような相手だ。そんな雲の上の存在と、横浜で邂逅したことも意外だったが、彼が、相好を崩してバーガー談議に花を咲かせたことも意外だった。二人揃って顔を引き攣らせ、黙って相槌を打つより他になかった。
「熱いソースと冷たいトマト。このコントラストが、トマトバーガーの醍醐味だ。はみ出たソースをスプーンで掻き出して、トマトを温めながら食べる。手間がかかるけどよ、何ていうか、手間もよ、味の内ってわけでよ。おっと、じゃあな。邪魔したな」
狩野は食べかけのバーガーをトレーの上に投げ出すと、セカンドバッグを掴んで足早に店を出た。
 田代は窓の外の通りを見た。三車線道路の向かいの、ホテルの前に、何やら言い争う母娘の姿があった。その二人の前に、白の軽自動車が停車した。母親が助手席に、娘は後部シートに乗り込んだ。
 軽が発車すると、こちら側に路上駐車していたBMWのバンが音を立てて発進し、中央分離帯を乗り越えて反対車線に入った。
 加藤は、田代の向かいに掛け直した。
「叔父貴、何してたんですかね?」
「知らねえよ」
田代は、狩野の残していったトレーを取り上げ、ポテトを摘まんだ。それから、半分以上残っていたバーガーを指さし、「食っちゃえよ」と言った。
「スミマセン。トマト、食えないんで」
加藤は、短く刈った後ろ頭を掻いた。
(つづく)

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