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ディバイデッドホテル 2/32

 夜は安らぎの時間じゃない。夜があるから、人は怠けるのだ。田代信郎は、根元まで吸った紙巻きタバコを、携帯用の吸い殻入れに捨てた。
 星空の下に、闇が広がっていた。月が闇を裂き、海面に光の道を作っていた。
 浜には、昼に稼いだ海の家が眠っていた。日暮れ時に降った雨が、観光客と、浜のゴミを掃っていた。田代は舎弟の加藤を連れ、やや離れて建つ一軒の、勝手口の扉を開けた。
 監視カメラが頭上から睨んでいた。扉の裏に控えていた、派手な開襟シャツの、金髪の小柄な男が、「スミマセン、決まりなんで」と頭を掻いた。二人は黒のジャケットを開いて見せた。武器は不携帯だ。
 中扉を開けた。大音量の音楽と、眩い照明が漏れ出した。
「いよう、兄弟」
長髪の男が照明を遮って現れ、ハイタッチを求めてきた。田代は音を立てて挨拶を交わし、彼の差し出すグラスを受け取った。
 暖簾の向こうの、野外照明で照らされた座敷には、煙が漂っていた。タバコではない。甘ったるい、中年男の汗のような匂い。マリファナだ。まだ水着姿の、日焼けした男と女が四人。いや、五人か。ジョッキのビールを傾けながら、煙管や紙巻きを咥えて、煙を吹かしていた。
「しかし、近頃は、どっちを向いても外国人だよね」
長髪の男、金沢秀人は、籐の椅子を田代に勧め、板張りの丸テーブルを挟んで、自分も向かいに掛けた。
「コンビニ店員は中国人で、ビル清掃はベトナム人、介護士はフィリピン人、アイドル歌手は韓国人、両国の力士はモンゴル人。日本人は一体、どこに行ったんだ?」
「あっちでラリッてるのは、みんな、日本人だろ?」
金沢は、両手を広げて粗暴に笑った。派手な柄の開襟シャツから伸びた腕には、両方とも、手首まで刺青が入っていた。
 彼の舎弟が、銀のアタッシュケースをテーブルの上に乗せた。瞼が太くて肌が浅黒く、頬骨の張った、武骨そうな男だ。
「昔は、日本人って言えば勤勉の代名詞だったらしいけどさ、今じゃ、東洋一の怠け者だ」
「フン。そうでもねえべ」
「いや、マジ。こいつは、最近雇った、ウチのヒットマンなんだけどさ、ピストルを、枕の下に敷いて寝るんだぜ。サッカー選手が、ボールを抱えて寝るようなもんだ」
アタッシュケースの蓋が開いた。びっしり詰まったチョコレート塊。末端価格で三千万を超える量の、大麻樹脂だ。三浦半島の西岸で海の家を経営する金沢は、傍ら、洋上取引で国産大麻を買い入れていた。
「コイツらはすごいよ。徴兵制の国だから、射撃訓練を受けてるだろ? 警官よりも腕がいいんだよ。おまけに、英語も北京語もペラペラだ」
「そのうちオレらが、こいつらのパシリになってるかもな」
チゲーネーヤ、と吐き捨て、また、金沢は粗暴に笑った。上唇が捲れ、ピンク色の歯茎がむき出しになった。
 彼は、組織に属さない、フリーの売人だ。学生相手のマリファナ取引からはじめて、自ら購入ルートを開拓し、手広く商売するようになった。ならず者の出世株だ。しかし、大量の商品を扱うようになると、グラムいくらの粗悪品とは売り方が変わる。彼は、地元のヤクザ者の田代と兄弟盃を交わし、彼の属する組織、伊東組に、卸を依頼しようと目論んだ。もちろんそのために、予め組に多額の献金をした。
 曲が変わり、ハイになった連中が踊り出した。咥えタバコの加藤が、大麻樹脂の隣に、持参したひと回り小さいアタッシュケースを置いた。薄青い煙が、三人の間に漂った。金沢は、振り返って用心棒に耳打ちした。加藤に飲み物を渡してないことに気づいたのだ。
 留め金を外すと、アタッシュケースの蓋が開いた。紅色の座布団の中に鎮座する、二丁の黒鉄の銃。一丁は自動小銃で、もう一丁はリボルバーだ。加藤は黙って一丁掴むと、まず、ビールを注いでいる用心棒の後頭部を撃った。それから、座敷に飛び込み、踊り狂う半裸の男女に向かって、「動くな!」と叫んだ。
 田代は自分の銃を取り、背後を振り返った金沢の米神に銃弾を撃ち込んだ。
「捨てんな」
田代は銃をホルスターにしまい、ポケットから携帯用灰皿を出して加藤に投げた。
 加藤は、スミマセン、と呟き、口から吐き出した紙巻きタバコを拾って、灰皿に収めた。
 田代は、金沢に渡されたビールを飲まなかった。グラスについた唾液から、身元を割り出されるのを嫌った。グラスが濡れれば指紋は消えるが、フィルターに染みた唾は消えない。タバコの吸い殻は、有力な身分証明書だ。彼は、駆け出しの加藤を嗜めたのだった。
 半裸の男女たちに手伝わせ、二つの遺体を座敷に並べた。
「いいか。今からお前らは、オレらの『ダチ』だ」
田代は、彼らに供出させた身分証を撮影しながら言った。
「仲良くしようぜ。黙っていれば、悪いようにはしねーよ」
彼らは、呆然と眼球を揺らしながら、遺体を茣蓙に巻いた。呆然と口を開けた金沢が、動かぬ瞳で彼らを見上げていた。
 板張りの壁に、眩い光が照射された。
 田代は新しい『ダチ』に指示し、茣蓙に包んだ金沢たちの遺体を表に出した。月を背にして、一つの機影が浜に迫った。飛行機? ヘリコプター? どちらも違った。
 五つのプロペラを搭載した、乗用車大の有人ドローンだ。
「いいか。人間、一人でできることは少ないんだよ」
田代はダチに説教した。
「こうして協力すれば、たいていのことは簡単にできる。みんなで力を合わせることが大切なんだよ」
ドローンから、二本の鎖が下ろされた。二つの遺体は、粛々と鎖に巻かれた。
 勝手口で見張りをしていた金髪の男が、田代の傍に駆け寄った。
「や、やり過ぎじゃないですか?」
田代は彼を横目で睨んだ。彼は、頭一つ分田代より背が低かった。
「身柄を押さえられればよかったんですよ。現場を確保できたんだから、確実に起訴できた」
「アイツが、死にたがったんだよ」
田代は笑った。あんな中途半端なワルが、自分と同格になろうと考えるのは筋違いだ。たかが売人が、出世を夢見たおかげで、命を縮めたのだ。
 金髪の男、梶原郁也は、自然と膝が震えた。これが、ヤクザか。
 彼は、この海の家で夜な夜な開催される金沢のドラッグパーティーに潜入した、麻薬取締員だ。金沢の取引に、地元やくざの伊東組を引き込んだのは彼だった。金沢が近頃、まとまった量の大麻樹脂を入手したという情報を得た彼は、髪を金色に染め、体を焼き、太ももに刺青シールを張って金沢に近づき、高額取引の仲介を買って出た。気風のいい金沢は、腰の低い彼の態度を気に入り、伊東組とのコネクションの構築を依頼した。
 伊東組は、三浦半島の西部に拠点を持つ博徒の組で、半島東部の繁華街を拠点とする杉本一家との対抗上、麻薬捜査に協力的だった。彼らは麻薬をしのぎとしていなかったので、取り締まりはむしろ望むところだった。梶原は、上官の指示で、伊東組を経由して金沢のパーティーに潜り込んだのだった。
 田代信郎は、伊東組の組員だ。
「ハサミと組織は使いよう、ってわけだな」
田代は言った。梶原は、不審げに顔を歪めて彼を振り返った。
 ドローンは、金沢とその用心棒の遺体を乗せ、沖へ向かった。
(つづく)

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