野原将揮『解説:音韻学~中古音と上古音』にある間違った記述
はじめに
『デジタル時代の中国学リファレンスマニュアル』に収録されている野原将揮『解説:音韻学~中古音と上古音』は、中古漢語と、上古漢語の近年の研究動向とその結果に基づく理論を簡潔かつ十分に紹介しており、初学者に有用な文章である。しかし、誤りもある。
特に見逃せないほどひどい問題を抱えているのがこの記述である。
3つ目の文章だけは、ただそれだけ取り出せば表面上は正しいが、「一つの韻部に対して、母音は一つであるとは限らない」という点が明らかになったことによるものではなく、この前の文章から抱く印象のような意味ではない。
そのような成果は存在しないどころか、実態は逆で、20世紀前半までの再構では一つの韻部に複数の母音が再構されていたが、20世紀後半以降、現在に至るまで、一つの韻部には母音が一つだけ再構されるのが普通なのである。
Baxter(1992: 243ff.)は、まさに例に挙げられている元部に対して、このことを詳しく説明している。
これは、かつての研究者は一つの韻部に異なる主母音を再構したが、現在(少なくともBaxter 1992)ではそうではないという意味である。
20世紀前半の再構
「20世紀前半」の代表格であるKarlgrenの再構を見ると、KarlgrenのクラスⅥ(=いわゆる元部)には3種類の主母音 *a, *â, *ă が再構されている(1933: 10–11; 1940: 19)。
上古漢語のいわゆる元部には、少なくとも中古漢語の寒韻・刪韻・山韻・元韻・仙A韻・仙B韻・先韻の単語が含まれる。Karlgrenの枠組みでは、一つの韻部から7種類(実際にはKarlgrenは重紐を無視したので6種類)の異なる中古韻母が発展したことを説明するためには、一つの韻部に複数の母音を共存させるしかなかった。
具体的には、Karlgrenの枠組みによる上古漢語の音節は大きく分けて、(A)介音を持たない音節、(B)介音 *-i̯- を持つ音節、(C)介音 *-i- を持つ音節の3種類がある。Aは中古一等韻または二等韻の由来、Bは中古三等韻の由来、Cは中古四等韻の由来である。いわゆる元部について考えると、まず中古四等である先韻への発展は、これだけが四等介音 *-i- を持っていたことで説明される(C音節)。寒韻・刪韻・山韻(=一二等韻)への発展と元韻・仙韻(=三等韻)への発展との違いは、三等介音 *-i̯- の有無で区別される(A音節とB音節)。しかしA音節が寒韻・刪韻・山韻の3種類に発展し、B音節が元韻・仙韻の2種類(実際には3種類)に発展したことを説明する手立ては、主母音の違いを割り当てるしかない。したがって寒韻・刪韻・山韻それぞれに対応する *â, *a, *ă の3種類の主母音が再構された。これらの主母音は、音韻的には異なるが、音声的には類似しているために韻を踏むことができた(=1つの韻部を構成した)と仮定された。
もう一人の「20世紀前半」の代表であろう董同龢の元部には4種類の主母音 *a, *â, *ă, *ä が再構されている(1944: 95–102)。董同龢による元部の再構は前舌母音仮説により導かれる結論を部分的に先取りしている。董同龢によれば、元部の中には、(a)先韻・山韻・仙A韻に発展するグループ(∈ *ä)と、(b)寒韻・刪韻・元韻・仙B韻に発展するグループ(∈ *a, *â, *ă)という2つのサブグループがあり、この2つは《詩經》で韻を踏むことができる(=1つの韻部を構成する)が諧声系列では多くの場合区別されるという。このサブグループの違いを母音の類似度で説明しようとした結果、主母音の数が増えることとなった。
20世紀後半初期の再構
王力
王力はKarlgrenを批判し、一つの韻部には正確に一つだけの主母音を持たせた。王力の寒部(=いわゆる元部)は全て *a を持つ(1957: 62, 93–94)。
円唇母音仮説に関して重要な貢献を行った研究者であるJaxontovの発言を見てほしい。
また、周法高は次のように述べている。
王力(1957)の枠組みでは、上古漢語の音節は大きく分けて、(Ⅰ)介音を持たない音節、(Ⅱ)介音 *-e- を持つ音節、(Ⅲ)介音 *-ĭ- を持つ音節、(Ⅳ)介音 *-i- を持つ音節の4種類がある。Ⅰは中古一等韻の由来、Ⅱは二等韻の由来、Ⅲは三等韻の由来、Ⅳは四等韻の由来である。すなわち、Ⅲの *-ĭ- とⅣの *-y- はそれぞれKarlgrenの *-i̯- と *-i- にそのまま対応する。KarlgrenのA音節が介音の種類を増やすことで2種類に分割されたのである。とはいえ、いわゆる元部では、KarlgrenのA音節を2種類に分割しても依然として王力のⅡ音節からは刪韻・山韻の2種類が発展することになる。これに対して王力は「不規則」とだけ述べて同じ *a を再構した。つまり、おおざっぱにいえば、王力の再構はKarlgrenの *a, *â, *ă をまとめて *a と省略して書いただけである。この再構の不健全さはともかく、Karlgrenや董同龢といった20世紀前半の研究者とは対照的に、一つの韻部には厳密に一つの主母音しか存在してはならないと考えたことが、王力の「革命」なのである。
Pulleyblank
Pulleyblank(1962)も、タイプA/B音節(三等か否か)の区別に対応する母音の長短の違いを除けば、一つの韻部には一つだけの主母音を持たせている。例えば、いわゆる元部では主母音は常に *ɑ か *ɑ̄ のどちらかである。Pulleyblankは、董同龢の観察に同意した上で次のように発言している。
Pulleyblankはグループ(a)(先韻・山韻・仙A韻に発展するグループ)に *ɛ や *ä ではなく *eɑ を再構しているが(介音 *e +主母音 *ɑ)、それはグループ(b)(寒韻・刪韻・元韻・仙B韻に発展するグループで、*ɑ で再構される)と同じ韻部に属し、したがって同じ主母音を再構しなければならないからである。この文章は、Pulleyblankが一つの韻部に複数の主母音が存在してはならないと考えていたことを示している。
Pulleyblank(1962)の枠組みでは、いわゆる元部には、母音の長短の違い、介音 *-e- の有無、介音 *-l- の有無から合計8種類(=2×2×2)の韻が再構可能で、それによって中古漢語の7種類の韻母への発展が全て説明される。
李方桂
李方桂は以下の方法論的原則を明示している。
実際、李方桂の元部の主母音は *a のみである。介音 *-j- の有無、介音 *-i- の有無、介音 *-r- の有無から、中古漢語の6種類の韻母への発展が説明されている。重紐の区別を無視していることを除けばPulleyblank(1962)とは表記が異なるだけでほぼ同じ枠組みである。
20世紀後半初期の再構のまとめ
このように、一つの上古韻部に7種類の中古韻母が含まれることについて、20世紀前半の考え方では音韻的に異なるが音声的に類似していたために韻が踏めた複数の主母音が存在したと仮定することで説明されていたが、20世紀後半には「不規則的な発展」あるいは押韻には影響しない複数の音韻要素(通常は介音)を仮定することで説明されるようになった。この転換は、20世紀前半にはなかった(少なくとも徹底されていなかった)、一つの韻部には一つの主母音しか再構されるべきではないという思想に動機づけられたものである。
BaxterとStarostinの再構
Baxter(1980)
Baxter(1980)は、表面的には、いわゆる元部に *-an, *-en, *-on の3種類の韻を再構している。この主母音 *e は、董同龢(1944)の *ä、Pulleyblank(1962)の *eɑ、李方桂(1971)の *ia にほぼ等しく、介音で説明する20世紀後半前期の方針を捨てて、一つの韻部に複数の母音を認める20世紀前半の考えに先祖返りしたように見えるかもしれない。
しかし実際には、Baxterは一つの韻部に3つの主母音を再構することを意図していない。元部は忘れて、幽部のことを考えてみよう。Baxter(1980)は、表面的には、いわゆる幽部に *-u, *-iw の2種類の韻を再構しているが、次のように述べている。
すなわち、*-u で再構された単語と *-iw で再構された単語は《詩經》では韻を踏まないようなので、(それが統計的にそれが保証されたならば)いわゆる幽部を *-iw 部と *-u 部の2つの韻部に分割すべきである、と述べているのである。
Baxter(1986)
Baxter(1986)では、いわゆる幽部に関する注意深い統計的研究が実際に行われた。ここではもっと直接的なことが書かれている。
Baxter(1986)ではこのように「split/separate rhyme category」という文句が何度も出てくる。幽部という一つの韻部に複数の母音を再構しようとしているのではなく、異なる主母音を持つ二つの韻部を想定しているのである。Baxter(1986)は清代の研究者の名前を引用して次のように述べる。
元部の話に戻ると、自身の *-en, *-an, *-on の再構が「従来の分析に反している」ことについて次のように説明している。
清代の研究について述べた部分を参照しているため主母音の数が問題なのではなく韻部そのものを問題としていることがわかる。そしてJaxontovの先行研究に言及する最後の文章は、Baxterのいう「従来の分析に反している」自身の理論が、「元部の母音は一つではない」ということではなく、「元部は一つの韻部ではない」という意味であることを明確に記している。
Baxter(1991)
Baxter(1991)は円唇母音仮説について次のように述べている。
上記の文章に付けられた注釈で次のように述べている。
この注釈は、『20世紀後半以降、韻部研究における最も重要な成果は「一つの韻部に対して、母音は一つであるとは限らない」という点が明らかになった』ことだという説明が間違っていることをかなり直接的に示していると思う。既に説明した通り、Karlgrenは異なる主母音が一つの韻部に存在することを認めていたが、「近年のほとんどの研究」はそれを認めないのである。
Baxter(1992)
満を持して出版されたBaxter(1992)は、上記の研究の集大成である。文量が多いので、Baxterが「元部は一つの韻部ではない」ことを主張した文章がどれだけあり、そのうち「元部の母音は一つではない」という意味に誤読されないような明確な記述がどれだけあるのかは調べていない。
だが、少なくともPulleyblankは書評で次のように書いている。
Sagartの書評にも次の記述がある。
PulleyblankとSagartは、Baxterが新たな韻部の区別を発見したと主張しているのであって、一つの韻部に複数の母音が存在すると主張したわけではないことを正しく理解している。
Baxter(2019)
最近の記述でも意見は変わらない。
Starostin(1989)
Starostin(1989)にも同様に「韻部を分割する」という直接的な記述がある。
野原(2021)の誤解
野原(2021)を見返すと、BaxterやStarostinが従来の韻部を分割して新しい韻部を設けたことを、一つの韻部に複数の母音が存在すると仮定したと単に誤って受け取ったわけではなく、むしろより深刻かつ奇妙な誤解をしていることがわかる。
野原(2021)は、BaxterやStarostinの *-an, *-en, *-on が韻を踏まないことを前提として設定されたものであることを正しく理解しているようである。しかしいうまでもなく、もし押韻不可能な韻母が複数存在するとすれば、それは別の韻部である。誤解されているのは韻部という概念だと思われる。
野原(2021)は韻部に対して次のように説明している。
*-an, *-en, *-on は主母音の違いにより押韻可能ではないので、この定義に従ってもこれらは別の韻部のはずである。この文章のすぐ下に最も深刻な誤りがある。
野原(2021)は「韻部」という用語について、一般的に言われるもの(《詩經》で韻を踏む単語または音節のグループ)とは異なる認識を抱いているようだが、それがいったいどのように定義されるものなのか、読者には全くわからない。
一般的に言われる用語に基づくと、「Karlgren、李方桂の段階に至って、韻部の枠組みは概ね確定した」というのは大間違いで、Baxter(1986, 1992)は、自身の取り組みが、まさに顧炎武・段玉裁・孔広森・王念孫・王力らと同様、「韻部の枠組み」の細分化であることを明示している。
ついでにいえば、Karlgrenの体系はいわゆる魚部を2つの韻部に分割するなど極めてユニークかつ批判の多い部分があり、確定したものとは言い難い。
李方桂(1971)はJaxontov(1960)よりも後の研究だがその成果を取り入れていない。Jaxontov(1960)自体に「韻部を分割」「新しい韻部」という表現はないが、既に引用した通りBaxter(1986)とStarostin(1989)は「Jaxontovは従来の韻部を分割して新しい韻部を設定した」と解釈し、そう明言している。
まとめ
Karlgrenや董同龢といった20世紀前半の研究者は一つの韻部に複数の母音を再構していたが、王力・Pulleyblank・李方桂といった20世紀後半の研究者は一つの韻部に一つの主母音しか認めないという方針から再構を見直した。BaxterやStarostinもその考えを受け継いでいる。
Jaxontov・Baxter・Starostinの取り組みは、従来の韻部を分割して新しい韻部を設定するものであると何度も明言されており、Baxterはそれが明清代の学者や王力による取り組みと同じものであると明言しており、実際そう解釈せざるを得ない。
それにもかかわらず野原(2021)は、韻部の枠組みは「Karlgren、李方桂の段階」で確定し、Jaxontov・Baxter・Starostinの取り組みは明清代の学者や王力による取り組みのように韻部を分割したものではなく、「一つの韻部に対して、母音は一つであるとは限らない」という点を明らかにしたものである(かつそれが20世紀後半の重要な知見である)と誤解している。
引用文献一覧
野原将揮(2021)「解説:音韻学~中古音と上古音」(漢字文献情報処理研究会『デジタル時代の中国学リファレンスマニュアル』、好文出版)
Baxter, William H. (1980) “Some proposals on Old Chinese phonology” (van Coetsem, Frans; Linda R. Waugh. Contributions to historical linguistics: issues and materials. Brill.)
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