ある陸上競技選手の足跡:1998-2002:大学生時:寮
今回はサクっと行きます。一つ一つのエピソードを書き出すとキリがないので(期待してくださいw)徐々に書きます。
今朝このような投稿をして、そうだ「寮」って大学時代の大きなネタの一つだな、と思い出しました。大学の監督をしている時は「寮」というのは色々課題が多く、運営上どうしても欠かせないものとなります。
もし「寮」が無くても、「無い中でどうするか?」という「ある」ことと対比しながら考える必要があるんですよね。
それくらい「寮」って駅伝チームには欠かせないものになります。
自分が在籍していた当時、陸上競技部専用寮はまだありませんでした。サッカー部と共用だったんですよね。当時のサッカー部って相当強くて、Jリーガーになった人も居て・・・豪快な人も居たんですよね(笑)
そこまで親密に交流を図る機会はなかったですが、2年間一緒でしたね。箱根駅伝初優勝後の2000年から専用寮が出来てそちらに移動しました。今、その跡地はサッカー部専用寮が出来ていましたが、最後に見たのも10年くらい前。今はどうなっているのでしょう・・・
陸上競技部寮も変わりました。時が過ぎるのは早いです。
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自分が入学する前は寮を見たことがありませんでした。確か入試の時も見ていないような気がします。初めて見たのは入寮時だったような気が?
同部屋の先輩は同じ関西出身、気さくな方で有難かったです。競技のことより勉強面や生活面、何より関東との「文化の違い」などの方が多く相談に乗って頂いたような気がします(笑)
色々カルチャーショックでしたからね。
もちろん、大学チームって全国から集まるからそれぞれの選手の背景も色々。目的や目標も様々で、西脇工業高校のようなはっきりとした感じ、絶対こう!というのは無かったですね。
そういう部分でも色々戸惑いました。ともすれば勉強に逃げ込みたくなるような感じで・・・
4年間過ごしましたが本当、先輩も同期も後輩も色んな人が居ました。もちろん、他人ばかりでなく、自分もその「色んな人」であったでしょう。
みんなその中で折り合いを付けながらなんとか1日1日を過ごしていたと思います。思い出せば貴重な体験はしていたと思います。
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他の大学の寮は伝聞程度で詳しくはありません。当時と今ではその寮の事情も大きく変わっている事でしょう。もちろんこれからも変わっていく。
専用寮ではなく大学寮、国際寮という形になっていくかもしれませんし、シェアハウスのような形で数人ずつ住むスタイルになるかもしれません。全く同じ道を辿ることはないでしょう。辿る必然性も全くありません。
チーム事情がそれぞれ違うように、寮事情もそれぞれ違うでしょうね。
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