2024/09/14 :コズミック キリスト教入門 無教会主義 主の祈り

 今日は、起きてずっと本を読んでいた一日だった。直近、こういう日が多いが、凄く充実している。『コズミック 流』(清涼院流水/ミステリー小説)を読み終わり、『キリスト教入門』(矢内原忠雄/無教会主義による入門書)を読み始めた。

 『コズミック 流』は、読み終わって思わず笑ってしまった。この後、『ジョーカー 清』『ジョーカー 涼』『コズミック 水』の順で読む(いわゆる清涼in流水読み)のだが、上巻にあたる『コズミック 流』はひたすら密室殺人が行われまくるだけで終わった。20人くらい死んだが、1人1人丁寧に死んでいった。物語的に一歩も進んでいる実感がない。あまりに従来のミステリーとかけ離れた、異例の構成が可笑しかった。

 『動物化するポストモダン』では、『コズミック』は、データベース消費の一つとして捉えられていた(はず)。即ち、背景に大きな物語を持たない、ミステリーを要素分解したミステリー的なものとして。しかし、2024年に『コズミック』を読むのは全く話が別である。つまり、本書は、国内ミステリー史という「大きな物語」にアクセスする為の必須文献である。

 それで、あと三冊読まなくてはならない。結構な文量である。『ジョーカー 清』を読み始めて、一通り笑った後、『キリスト教入門』を読み始めた。

 『キリスト教入門』は、70ページ程読んだが、序盤も序盤なのであまり発見はなかった。個人的に重要と思われた箇所は次である。集会に出られない信徒は、聖書や研究書を通して、エクレシア(キリストの体/教会)に連なるべきと示された事。無教会とは教派ではなく、教会の外に救いありとする立場であると示された事である。

 個人的に、人との関わりに苦手意識があり、教会にしろ集会にしろ出るのは気が望まない。そんな僕は、もし日本で教会主義が主流であれば、大変苦しい思いをしただろう。内村鑑三先生に感謝である。キリスト教信仰においての集会の必要性については、未だにあまり理屈が分かってはいないのだが、苦手意識さえ払拭出来れば参加してみたい気持ちがある。兎に角、個人的に聖書の勉強を深めていくのは必須だと思った。

 そこで、集会情報について色々と調べていて、『ネットエクレシア信州』というサイトを見た。そこで、無教会主義の有名人についての評伝を読んだ。内村鑑三に師事した無教会キリスト者に東大総長がいて、その人が矢内原忠雄である事は知っていた。が、実は(無教会キリスト者)東大総長は2人おり、南原繁もそれである事を知った。エリートを排出している思想だからと有難がるのは、酷く世俗的である。けれど、『良い木は良い実を結ぶ』とあるように、間接的に無教会の良さを証明しているようにも思った。

 それと、「主の祈り」を唱えた。イエスは人前でこれみよがしに祈るな、と言っているのに、ガッツリ人前(親の前)で祈ってしまった。良くないと思ったので、─────。ところで、このような信仰生活は楽しい。今日は嬉しい事が多かった。キリスト教を基軸にして、多様な学問を熱心に学び、世界に何かを遺していきたい。もっとも大学生活をエンジョイしている自覚がある。この調子で暮らしていきたい。

 

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抜こう作用
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