【雑文】珈琲/希望的観測/母親/拝金主義/女性蔑視
研究室に行って珈琲を飲んだ時の事を考えていた。あの時、僕は、教授に、「この珈琲は酸味が強いタイプですか」と言った。それで、結果、「味が分かってるじゃないですか」と言われた。そう言われたので、それで良い話だ。それで良い話なのだが、僕は、その珈琲の味の品評について、時間がかかったのは何故かを考えていた。
確か、最初の方、僕は、苦味が強いタイプかと思っていた筈だ。それが、ちゃんと判断してみると、酸味が強い。こういう過程を辿ったのは何故か。理由を考えた結果、1つ浮かんできた答えは、以下のようなものだ。僕は苦い珈琲が好きである。よって、希望的観測にしばらく支配されていた。
さて、このような事があると仮定して、話を進めよう。そうすると、僕は母親から、「あなたは値段が高ければ(食べ物が)美味しいと思っている」と言われる。この言い方からして母親には大変腹が立つし、なぜこのような事を言われなければいけないのかとまで思う。それはそうと、しかし、これも上記の理由で説明できる。
即ち、しばらくの間、高い=美味いの希望的観測が僕の味覚を支配するのだ。安ければ、安い=不味い、である。だから、僕が美味しいものを食べたい時は簡単だ。高いものを食べればいい。
さて、困ったことに、うちの母親は拝金主義者で、しかも豪遊するタイプではなく、預貯金が増えるのを楽しみにするタイプである。一方、僕は、金銭感覚こそ、むしろ節約気味ではあるが、奔放な側面があり、定期的に無駄遣いをしている。母親との仲は悪いし、母親の考えは端的に言って頭が悪いと思う。
母親の話に絡めていうと、僕の奔放さは、皮肉な事に、淑女・マザーへの影響を多分に受けている可能性がある(つまり反発)。やれ、僕は、ユダヤの金持ちなどを引き合いに出して、彼らは紙幣を紙切れ同然だと正しく認識しており、それは交換する時に初めて価値を持つなどとのたまい、平気で自販機でコーヒーを買う。
でも、やはり、研究室でタダで飲ませて貰えるなら、それはそちらの方が良い事を理解している。そんなこんなで、わあ、これはお得だぞ、と飲ませてもらったのが例の珈琲だったのだ。酸味が強い珈琲である。
問題なのは─母親は経験や幸福などを金銭的価値に換算する事も、金銭を経験や幸福量に換算する事も、恐らく出来ないという事だ。金だけが資産だと思っている。研究室で飲んだ珈琲は、一杯だけなら大した値段ではない。研究室で本格的な珈琲を貰ったという体験的価値が高価なのだ。それを理解できないのが、たまたま母親、つまり女性の親だった。
そこから、僕は女性蔑視に走っても良かったが、しかしイデオロギーで誤魔化し、女性尊重的なオピニオンを持つに至っている。しかし、拝金主義的な女性はやはり嫌いだ。端的に言って頭が悪い。(拝金主義者の男性は嫌いじゃないのかって?そんな男はほぼ存在しない)無論、金の数だけに拘っていなければいいという話ではなく、物質崇拝者も嫌いだ。
そんな事を書いていたら、電車で三駅ほどすぎた。本を読みたいので、ここら辺で失礼します。
著者プロフィール:
抜こう作用:元オンラインゲーマー、人狼Jというゲームで活動。人狼ゲームの戦術論をnoteに投稿したのがきっかけで、執筆活動を始める。月15冊程度本を読む読書家。書評、コラムなどをnoteに投稿。独特の筆致、アーティスティックな記号論理、衒学趣味が持ち味。大学生。ASD。IQ117。