私について①
人と同じ生き方をしたくなかった。そう子供のころ思っていた。だから、その頃は大学にも行きたくなかったし、就職もしたくなかった。何か他の人とは違うワクワクしたエキサイティングな生き方をしたかった。けれども私は必死に受験勉強をして大学へ行き、就職もした。
サッカー選手にずっとなりたかった。そう強く思っていたのは小学生の頃からだったと思う。サッカーで初めて他人から認められ、評価され、自分自身を好きになれた気がした。サッカーをしているときは自分を肯定できた。けれども私はどこのプロチームからもオファーを受けることなく25歳になった。
彼女が出来たら世界一幸せな彼女にすると本気で思っていた。なんでも言うことを聞いてあげるし、なんだってしてあげようと思っていた。けれども、付き合ってきた彼女に対して私が与えることができたことは、思っていたよりはるかに少なかった。
どこで私は間違えたのだろうか。そう考えることがあった。今の自分に対して果てしない嫌悪感を抱くことは数えきれないほどあった。どこかで自分に期待していたのだろう。その期待に応えられなかった自分自身が情けなく思えてならなかった。
自分が思っていた以上に大人は子供であったし、子供のあの頃より私は生きることが下手になっている。表面上では、大人っぽく余裕を見せていても、内面は何も変わっていない。NEWSのweeeekの中にある歌詞”外面良くして35歳を過ぎた頃オレ達どんな顔?かっこいい大人になれてるの?”が胸に突き刺さる。
大人という妄想に近い概念にとらわれ、大人になりきれない大人は意外と多くいるのではないだろうか。自分の理想を現実のはざまに揺れ動き、妥協点を探していく日々。自分がいくら立ち止まっても、世の中は動き続ける。適応していくしかないこの窮屈さ。けれども私はこの日常を肯定したい。確かに理想的な姿にはなれていないし、いつでも不安は付きまとう。それでも私は今でも、昔の情熱に満ち私だし、理想に夢見た私のままだし、恋焦がれた私でもあるのだ。確かに今のままでは多少退屈だし、エキサイティングではない。けれども不幸か幸せか、明日はまたやってくるし、人生は進み続ける。確かに、昔のように純粋に希望や理想を持ち、自らに期待はできないかもしれない。けれども、あの頃にはなかったものが自分のポケットに、たくさん詰まっていることも事実である。あの頃の自分ではできなかったことができる。今の自分だからこそできる戦い方があるのだ。そう今思っている。
”The world is a fine place and worth the fighting for"
(どうでもいい余談ですが、ヘミングウェイの子孫にあったことがあったりします(笑))
ではまた。
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