NAGI
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2024/10/14に7党党首討論が行われた。以下はその中のいくつかのトピックの抜粋となる。(要約/変更あり) 地方創生(玉木代表(国民民主)→石破総理(自民)) 地方創生交付金の倍増について、巨額の繰り越しがある。これは意味があるのか? →10年間の反省が必要。精査を徹底し、無駄な投資をなくしていく。 日米地位協定の改定 (馬場代表(維新)→石破総理(自民)) 沖縄県民へ日米地位協定の改定について、再度メッセージをお願いしたい。 →過去の事例から、現状の沖縄の状況
野田立憲代表※以下、主に石破首相側のまとめ 【石破首相×野田立憲代表】 ・裏金問題 →企業団体献金継続 →12人が非公認(非公認立候補者が当選した場合は、追加公認することはある。) →裏金関連に新たな事実が出てきているが、再調査は否定はしない。 ・補正予算 →能登被災は予備費で対応。衆院選後、補正予算はシームレスに行っていく想定。(予備費は財政民主主義に反しない。) →予備費の乱用を野田代表は問題視。 玉木国民民主代表【石破首相×玉木国民民主代表】 ・政策活動費
デリバティブ(金融派生商品)とは、ある原資産取引の価格から価値が派生する商品である。デリバティブとは複雑な取引も多いが、大きく以下の3つにわけられる。 1.先物 2.オプション 3.スワップ 1.先物 上場している取引を先物、取引相手を把握した状態での取引を先渡と言ったりする。 先物取引は、将来の価格を今決める取引であり、決済は将来となる。将来の価格を今決めるため、金利が価格決定の重要な要素となる。 それに加えて、先渡し取引は、取引相手側の倒産リスクも考慮しなければならない
自己に尊厳や自己肯定感を持つにはどうすればよいのか。自分をなぜ愛せないのか。それは自分の価値を他者から求める”他者依存”が強く関係してくると思う。私たちは常に周りの目や他人を気にして生きている。それはなぜなら、私たちは自分自身の価値を、他者の評価や他者との比較から得てきた過去があり、他者から承認されたり、他者と比較し優位であることが自分の価値に等しいからだ。逆に言えば、他者から評価されなくなったり、他者と比較して劣等感をもつ個人は自らになんら価値を感じなくなってしまう。自分
新自由主義と個の時代そしてコミュニティー。この3つについて考えていきたい。新自由主義により競争は激化し、格差が広がった。一部が富みその他多数の敗者がわずかな富を分け合う。そんな社会システムのなか、時代は集団や組織から個の時代へと移行しようとしている。そのほか大勢に埋もれない”尖った個”それが直近のテーマなのかもしれない。ただ個の時代になっても社会システム自体は変わらない。むしろ、より競争は激化し敗者はより敗北を身に染みるようになる。計り知れない自由に押しつぶされてしまうかもし
何番ラインに私は乗っているのだろう。地下に激しく鳴り響くアルミ缶のような地下鉄の走る音とオレンジ色の不規則に配置された座席に囲まれたわたしは不覚にも眠りに落ちていた。窓の外をみるとちょうど地下から顔をだし、マンハッタンのきらめく夜景をバックにブルックリンへ地下鉄は走り続けている。時刻は午前一時を回った頃だろうか。あまりの人気のなさに不気味さを感じる。それにしても先ほど見た映画はよかった。まさかニューヨークのさびれた映画館で(それは本当にねんきの入った小さなものであった。)英語
思考停止せずしっかり物事を考えることが大切であることは間違いない。しかしながら、人が思考停止するのは自然なことでもある。考えることということは思っている以上にエネルギーの必要な行為であり、人間はなるべく省エネであろうとする。自己防衛のために思考停止するともいえる。この自己防衛の力は思っている以上に大きいし強い。抑うつなども、もとは強いストレスから自らを守るため自己防衛的に作用する。そうだとすると、この自己防衛とうまく付き合っていくことが求められてくる。頑張るのは大事だが、無理
資本主義は無駄で成り立っていると思う。本当に人間が生きる上で必要なものだけで世の中が成り立っていたら資本主義はこれほど繁栄をもたらさなかっただろう。街を散歩するとそんなことを思う。ではなぜ人は無駄に対してお金という価値を支払うのだろうか。それは退屈と刺激が関係していると思う。「退屈は人を殺す」というがあれは本当だ。常に刺激を求める脳に支配された人間にとって退屈とは大きな敵であるのだ。けれどもいつまでたっても刺激は満足を与えてくれない。もっと、もっととさらなる刺激の奴隷と人は化
人と同じ生き方をしたくなかった。そう子供のころ思っていた。だから、その頃は大学にも行きたくなかったし、就職もしたくなかった。何か他の人とは違うワクワクしたエキサイティングな生き方をしたかった。けれども私は必死に受験勉強をして大学へ行き、就職もした。 サッカー選手にずっとなりたかった。そう強く思っていたのは小学生の頃からだったと思う。サッカーで初めて他人から認められ、評価され、自分自身を好きになれた気がした。サッカーをしているときは自分を肯定できた。けれども私はどこのプロチー
誰かの人生や生き方のテンプレートをそのまま自分の人生に適用できるほど、自分自身は単純ではないし、人生は簡単ではない。だからこそ、自分自身を知り自分の生き方を模索する努力が大切なのだと思うこの頃である。
この作品は2017年に書きました。世の中や社会そして自分自身に対する絶望をそのまま荒くストレートに吐き出して書いていきました。この時と現在との私自身を比べてみると、状況はあまり変化していないかもそれないし、むしろ悪化しているのかもしれません。しかしながら今日も私は生きています。納得できないことばかりだし、わからないことばかり、自分自身に対する嫌悪感を強く感じることもあります。しかしながら、そういった葛藤や苦悩をすべて受け入れたうえでしか、新たな道を見つけることはできないとも感
好きなテレビ番組にアウトデラックスや月曜から夜更かしがある。なぜこれらの番組が好きなのか考えてみた。番組の企画や内容が面白いというのはあるがそれは本質ではなくて、それらに対する私の好きの本質は、誤解をおそれずにいうと、様々な社会不適合者が番組内でいきいきと自信を持って映っているところにあると思う。 私自身、社会不適合であることを日々感じる。それはとても辛く、自己肯定感を持つことは難しい。けれども、番組内で紹介される人々(多くの場合一般人)は、自らの個性を受け入れ、それに誇
宗教批判 フランス革命による自由主義 ブルジョアとプロレタリアート というような流れ。 階級の闘争と解放の歴史 解放の本質は、人間の解放つまり本来的な人間性の回復か。 だがそもそも奴隷は悪か。自由こそ善であるのか?←ドストエフスキーにもあるが、人は自由を求めているのだろうか。何かに依存することこそ人間の本質であるとも思う。歴史的に見ても人は何かしらに依存してきた。 だが、支配者層が被支配者層よりも甘い蜜を吸っているのも確かである。そしてある程度の支配するための苦労も必要だ
多くの事において言えることはバランスが大切であると言うことである。そういうとなんだか、責任逃れの主張に聞こえるが、それが事実であるのだからしかたがない。絶対的な唯一の答えというものはないのだから、私たちは常に複数の要素を掛け合わせてそのバランスを調整し最適な答えを探していくしかないのだ。 ときにそれらの要素はお互いに矛盾し合うこともある。いや、むしろ矛盾し合うことの方が多い。世の中には正しい答えが無数にあるのだ。それを私たちは自覚するべきである。 そういうスタンスでいる
よく長時間電車に乗っている時、向かいの一列〔10人くらい〕に座っている人の共通点を探すことが癖なのだが、以前の一位は毎回スマホを使っている人が占めていたが、最近では間違いなくマスクをしている人に変わった。社会の移ろいやすさを感じる今日この頃である。こんなことを考えていると、平家物語の冒頭を思い出す。 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。