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路地裏

 私はいつものようにバーをあとにし、自宅へ帰ろうとした。いつものように、大通りを通り、駅へ向かう予定だった。けれどもその時はなぜか、違う道を無性に通りたくなった。それがすべての始まりだった。今思えば、そんな些細な思いつきさえも、すべて私を導くためにあらかじめから作られた逃げることのできないものだったのかもしれない。けれども、その時の私がそんなことを深く考えることもなく、その時々に絶え間なく変化する、感情の一端としか思っていなかったのだ。
 そうして、私の眼は大通りに立ち並ぶ、あるビルとビルの間にごく自然に向けられた。そこには見慣れない細い路地裏らしきものがあり、人一人がやっと通れるほどの幅であった。よくこの街には来るが、こんな道があったことも知らなかった。うまくいけば駅への近道となるかもしれない。私は、導かれるように、ビルとビルの間へ近づいて行った。
 昔は使われていたのかもしれないが、壊れ古びたスナックの店の看板らしきものや、居酒屋の暖簾のようなものが見えた。けれども、店であったらしき場所に明かりはなく、外観の廃れ具合のひどさから使われなくなってから、長い年月が経ったことを思わせた。異様だったのは、クリスマスツリーの飾りに使われる、ペッパーランプらしきものが壁につけられ、路地を照らしていた。赤、青、黄色、緑、ピンクといった光が、消えては、つき、消えては、また付く。それは、一種の生命体を思わせた。その光景はとても奇妙である。どこから電気がきているのかも謎であった。私は、その明かりに、導かれるように、細く、狭く、暗い路地裏へ向かっていった。路地に入るともちろん誰も人はいなく、静寂があたりを包み込んでいた。さらに進んでゆくと、どこか懐かしい匂いがした。幼い時、祖父母の家へ遊びに行ったときの玄関のような、それか、古本を開いたときのようなそんな匂いだった。さらに進んでいくと、子供の時に学校の帰りに毎日のようにやっていた、大好きなアニメのガチャガチャや、今ではもう見なくなった女優がポスターの中で嬉しそうにビールのジョッキを持ち上げながら、こちらを見つめていた。私は、現れるもの一つ一つに懐かしさを覚え、昔の思い出に浸った。まるでここだけ近代化から取り残され孤立しているように感じる。ふと、我に返り、すでに長いこと歩いているっことに気が付いた。
すると、行き止まりらしき壁にぶつかった。なんだ、ここで終わりか。そう思い引き返そうとすると、壁に小さなドアがついていることに気が付いた。ドアは壁に同化しており、よく目をこらさなくては見つけるのは難しいほどであった。そこで私は興味本位でドアへ近づき、ドアノブを引く。ドアは、大きなきしむ音を立てながらゆっくりと開き私は恐る恐る入ってみると、細い通路が続いていた。入って右側のベージュ色の壁には、3メートルほどの均等な間隔をおいて、オレンジ色のランプがつけられ、通路を照らし、足元は、立派なレットカーペットがしかれていた。通路はきれいな直線であった。

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