疲れた私は漫画「ご飯は私を裏切らない」を摂取する
「ご飯は私を裏切らない」とは
ご飯を食べて、思考を止めて、現実から目を背けよう――。
29歳、中卒、恋人いない歴イコール年齢。バイト以外の職歴もなく、短期バイトを転々とする日々。私は、現実から目を背け、思考を止めるためにご飯を食べる。私は人の期待をすぐ裏切るけれど、ご飯はこんな私の期待を裏切らずにいつも美味しい。奇才の新鋭・heisokuが贈る奇妙なグルメ物語!
(ヤングエースUP紹介文より)
私を惹きつけてやまない漫画がある。2019年4月末に突如としてUPされた漫画「ご飯は私を裏切らない」(作:heisoku先生)。
ヤングエースUPで初めて見つけたとき、まずそのサムネイルが私の目を引いた。主人公と思しき女性。白ご飯。そして食材(?)たち。レインボーカラーの画像から滲み出るそこはかとない闇。それらに引き寄せられるように作品ページへ入ると、今度は上記の紹介文が私を釘付けにした。当初は短期集中連載だったのだが、まだ本編を1ページも読んでいないのに、短期連載であることを心の底から惜しく思った。(のちに好評のため本格連載化)
作品ページには本作のジャンルが3項目付記されている。「グルメ、料理」、「ホラー、怪奇」、そして「ギャグ、コメディ」。ユニークが過ぎる組み合わせに対し、脳が理解を拒む。しかしそれとは裏腹に心は完全にわかってしまう。これが私の期待に100%以上応える作品であると。
本編を読んでみると、やはりというべきか、想像を絶するものだった。バイト掛け持ちで何とか食い繋ぐ主人公の疲弊。摩耗。幻覚。先への不安で夜も眠れない。それでも明日も働かなくてはならないという現実。その現実をなんとか生き延びるため、絶望的思考をシャットアウトして眠らなければならない。その手段として、お金がないなりにおいしいご飯を食べ、眠くなる生理現象を引き起こすとともに、感受性をフル活用して心を満たすことで一時的に不安を脳から締め出す。そのように用いられるご飯が本作の「グルメ、料理」要素。ちなみに外食以外は作り方も十分詳しく記述されており、再現可能。成る程グルメ漫画である。
そんなご飯とともに綴られる主人公の内面・思考が私の心を捉えて離さない。私自身はまがりなりにも定職に就き、主人公ほど悩み苦しんではいない。しかし大なり小なり疲労、苦悩、立ちはだかる現実がある者ならば、主人公の思考に脳が引っ掻かれ、溢れ出る闇に心が覆い尽くされる。「共感」というにはあまりに傲慢だが、感情の奔流に為す術なく引きずり込まれてしまう。
それでも私はこの作品をあくまで”楽しんで”読んだ。主人公の摩耗しきった内面を余す所なく描いている点が「ホラー、怪奇」たる所以であるが、彼女が感受性を総動員して思考を展開するさまがエンターテインメントの域まで昇華されている、それゆえの「ギャグ、コメディ」なのだ。
ただし絶対に誤解しないでいただきたいのは、幻覚を見ながらネガティヴ思考する主人公のことを笑い者やネタ扱いしている訳では決してないということだ。主人公と共に厳しい現実を見つめ、美味しそうな食べ物に目を輝かせ、様々な生き物へ思いを馳せながら引き攣った笑顔で気分を高揚させて絶望的思考を追い出し、最後には現実に帰ってくるが明日の苦しみに幾らか備えができた状態となる。
この「現実に帰ってくる」というのが個人的には重要だ。良い漫画を読んで楽しい気持ちになったところで、溜まった仕事がなくなることなどなく、明日もまた朝起きて出勤し、立ち向かわねばすべてが破綻する。だから気晴らしだけでなく現実へ立ち向かおうとする心理状態へのギアチェンジが結構大事だと思うのだが、この漫画はその段階まで私を導いてくれる。私はこのエンターテインメントから紛れもなく明日を生き延びるための活力を貰っているのだ。
そんな「ご飯は私を裏切らない」は本編全11話、単行本描き下ろし、並びにコミックス発売記念特別編が存在し、本編第1話~第3話及び特別編はヤングエースUP及びニコニコ静画にて無料公開されている。本編お品書きは「いくらトースト」、「チョコレートドリンク」、「ローストビーフいくら丼」、「おにぎり」、「キャベツ」、「ハンバーガー」、「おかゆ」、「焼き魚定食」、「カレーうどん」、「ニューコンミートのマリネ」、そして「いくらの軍艦巻き」。
各話紹介
第1話(いくらトースト)
いくらは一粒一粒が生まれなかった命そのもの
その存在のすべてを食べているって考えてみるとなんかすごい
主人公のバイトの話、不安の話から、いくらを通じて死生観の話まで発展する。最初のページから文字だらけだが不思議と読みづらさがない。むしろ主人公の独白をいつまでも読んでいたくなる。
第2話(チョコレートドリンク)
私にとってチョコはお菓子じゃなく
食べ物ですらなく
ロボットの燃料
チョコレートドリンク。第2話にしてご飯じゃなくなった。しかも主人公曰く食べ物ですらないとのこと。しかしやはり美味しそうだし、主人公の感受性フル稼動っぷりにも引き込まれる。第1話でもそうだが、ただ思考を垂れ流すだけでない確かな構成力が光る。特に終盤の高揚感から最後のオチまでの流れは圧巻。
第3話(ローストビーフいくら丼)
こういうのを他人丼っていうけど言葉の元になった親子丼は鶏に見知らぬ無精卵をかけて親子と言い張るのだから猟奇的だ
第3話にしてついに外食が出てきた。そしていくらが再登場するが、主人公のいくら観の変化が今回のポイントのひとつ。もうひとつのポイントは当然ローストビーフで、肉を通じて食物連鎖や「誰かの役に立つこと」へ思いを馳せる。また今回は主人公のバイト風景が垣間見える。第1話からずっとそうだが、主人公のネガティヴ思考はあくまで上手く生きられない自分自身に向けられたもので、周囲の人々やこの世を呪う言葉が主人公の口から出てくることはない。そんな主人公の人物像にもまた惹きつけられる。
第4話~第11話は単行本に収録。単行本には各話後のオマケページに加え、巻末に7ページに及ぶ描き下ろしが収録されている。内容はここには書かないが、描き下ろしコンテンツはかなり充実しており、Webで全話読んだ方も気になるならばチェックしてみることをお勧めする。
第4話(おにぎり)
冷ご飯のもっちり歯ごたえのある食感けっこう好き
史上最大級の文字数で送る第4話。文字だらけでもやっぱり読みづらさはない。今回は主人公の感じる生きづらさが、珍しい生き物の生態の豆知識とかを介さずストレートに述べられ、なかなかに心が抉られる。それでも毎ページ不思議な高揚感があって楽しい。グルメパートはコマ数で言うと少なめだが、素朴な中にひと工夫するのが原点回帰という感じで印象的。この話を読んだ貴方は冷凍してシャリシャリになった甘めの梅干しが食べたくなるに違いない。
第5話(キャベツ)
うわーんキャベツもう一丁‼
前半まで読んだ段階では「今回は虫の話しかしないのかなあ」と疑ったが、読み終えてみればグルメパートは過去最大スケールだったし、主人公の思考にも完全に引きずり込まれた。主人公がここまで料理または「料理ではない何か」を作るようになるまでにどれほどの苦闘があったのだろうか……
第6話(ハンバーガー)
チェーン店はね
美味しいからいっぱいあるんだ
美食の最適解さ
「普段は入らない高いほう」のハンバーガーチェーン。普通に良い感じの食レポが繰り広げられておなかが減ってくるが、ハッピーなセットのチェーンの話が出てきたあたりから雲行きが怪しくなり、最後は生きることや命について考えさせられる安定のオチ。序盤から主人公がかなり表情豊かだが、同時に目がかなり死んでいるのが印象的だった。
第7話(おかゆ)
技術の進歩かな?私が侘しいやつなのかな?
今回のグルメパートはコンビニで買ったものを温めすらせずそのまま食べるだけだというのか……?と思ったらそんなことはなかった。個人的に印象に残ったのが「元気のおまじない」。この元気のおまじないは生きる意味とか考え始めちゃったときに極めて有効であり、第2話の「私はロボット!」(優れた対仕事防御フレーズ)と双璧を成す強力な自己暗示である。
第8話(焼き魚定食)
なんで人間は陸に上がったんだ乾燥するじゃんか
生き物に関する膨大な知識を主人公はどこから得ているのか。思索・興味の対象は古代生物から眼前の真アジへ。包丁を入れたところから虚無が広がる……。今回は危なかった。主人公の虚無に共鳴し、心がどこかまずいところへ連れていかれそうになった。いや、いっそほんとうに連れていってもらえたら…………。……寝よう。
第9話(カレーうどん)
何より恐ろしいのは全てにおいて自分に問題があること
「記憶に紐づいている食べ物」……なんでもない世間話から主人公が初バイトを振り返る。回想は全編通して心を抉るリアルでしんどい話だが、カレーうどんの美味しさを噛みしめることで彼女もいつもの調子を取り戻していく(いつも生きづらいけど)。ご飯は私を裏切らない。美味しいご飯とその記憶は生きる上での救いなのだ。
第10話(ニューコンミートのマリネ)
自分もわかってなかったし後で同じことやってただろうな
つまり未来の結果をいま受け取っただけ!
うつ病チェックめいた健康確認項目に「引っかからないよう回答する」ことをどこか当然のように認識する主人公。彼女は虚無的ながら無気力ではなく、とばっちりで注意を受けてもそれを自分のミス減少に繋げようとするし、注意事項を自ら水平展開しようとする真摯さがある。加えて相変わらず他者に対する悪感情を抱かない。前話までの積み重ねを経てここに比較的平和な回を持ってくることで、彼女の(生きづらさゆえだが)奥ゆかしい性質が際立つ。この主人公でなければ作品のエンターテインメント性は成り立たず、もっと愚痴っぽくなっていたかもしれない。毒にも薬にもなりうる難しい素材を彼女がいい具合に料理して我々に届けてくれているのだ。
第11話(いくらの軍艦巻き)
ただただ純粋にいくらを好きでいられる世界がそこに広がっているんだろうか
最終回。いくらが三たび登場。主人公のいくら観にも深化が見られる。相変わらず先は見えないものの、曲がりなりにも何かを成そうとする主人公の姿は私に勇気をくれる。生きづらさ成分は今回控えめだったと感じたが、終盤アラームが鳴ったときの「!!」(すごく勢いのあるフキダシとともに)が全てを物語っているように思う。
コミックス発売記念特別編
こんな自分でも人生が楽しいと思えるような素敵な幻想が必要だ
こんな私でも人生がトータルで楽しいと思えるのはこの作品をはじめとした「素敵な幻想」があるからで、単行本の所有感もまた素敵である。今回は生きづらさパートもグルメパートもシンプルに力強い。チキンだよねえ。チキンハートだよ…
苦しみ、磨り減り、疲れ、それでも明日も逃れ得ぬ現実が待つ貴方にこの至高のエンターテインメントが届くことを願い、本稿をnoteコンテンツ会議へ投稿する。
「閉塞まんが」……?
これは…………?
heisoku先生の過去作について目撃情報が得られた。「ご飯は私を裏切らない」と比較して全体的にサスペンス色が強め。人の心のざらざらした部分に対する洞察とエンターテインメントへの落とし込み、そして心をざわつかせる画の凄味に魅了される、珠玉の読み切り作品群。
次回作……?
2022年1月、意外にも集英社・少年ジャンププラスに、我らがheisoku先生待望の新作読み切りが掲載された。人身売買されていた少女が兵士になったり兎の目が怖かったりする。
そして同年6月、heisoku先生はヤングエースUPに還ってきた。
まさか、通っているのか?…………高校に!!
相変わらずちょっと想像の及ばない部分のディテールが異常に作りこまれており、それでいてなぜかとっ散らからない構成力も健在。『ご飯』ファンなら必見、heisoku節全開の新連載である。