オフ会からはじまりインドに3度無料招待されたレア体験
きっかけは本当に些細なことだった。
2002年に大学を卒業した俺は就職氷河期の中、今でいう超絶ブラック企業の印刷会社の新入社員として俺は入社した。
今思えば、学生時代に学ばなかったことによる必然なのだけれども、紙媒体が斜陽産業であることは当時でも想像に難くないのに、何も考えずに俺は面接官が人が好さそうという理由だけでそこを選択してしまった
3年間は頑張ろうと思ったが、朝6時に自宅を出て日が変わるころに帰宅する生活の繰り返しで手取りも20万円もいかない生活は、生きている事の意味を日々問いかけてきて、3年にちょっと足らないくらいで俺はその会社を辞めた。
当時はそれまでも俺は「何もしない」つまらない人間だったため、25年間生きてきてその会社を辞めた事が一番嬉しかった記憶が残っている。
そして、退社後俺はスロットのプロになった。
それまでと違い時間の余裕ができたので、スロプロとしての活動をブログを書き始め、読者も結構増えた。
その読者の方とたまにオフ会と称して飲みに行くことがあったのだが、大元を辿ればこれがきっかけだったと思う。
インターネットで男性に興味をもち、会いに来るような男性は好奇心が旺盛で行動力があり、結果的に面白い人や社会的なステイタスが高い人が多い。
最初にオフ会でお会いしたのは東京都のJR新小岩駅付近に住むスロプロだった。
丁度関内ホールと言う横浜市のJR関内駅の近くにあるイベント会場で開催される稲川淳二の怪談ライブのチケットを2枚持っていたのだが、一緒に行く予定だった相手の都合が悪くなり、急遽スロプロとして書いていたブログで募集をしたところ、来てくれた方だ。
その方は普通のスロプロと違い、プロが最も敬遠するチェーン店のみで毎年2000万円勝っていてマンションを購入したプロだった。
当時とは言え、その数字は驚異的な数字であり、その具体的な内容を聞かなければ誰も信じない話だった。
今ではもう通じなのだけれども、物凄い単純な話で気づけば誰でもできるのに、何もしない人間だった俺はそんな貴重な必勝法を知ったのにも関わらずやらなかった。
その攻略法とはプロが敬遠する大手チェーン店に毎日何軒も回り、すべての台で何ゲーム回ったかを確認して天井が近い台だけを打つというシンプルな物だった。
スロットには設定という物があり、設定1が一番出ない。
そして当時は天井という物もあり一定回数をレバーを叩いてリールを回すと必ず当たるようになっていた。
そのプロが通うチェーン店はすべてのスロット台が設定1でそのまま放置されているため、毎日回転数をチェックするとどの台があと何ゲームで当たると分るのだ。
そのプロの方はそうやって何軒もチェーン店を回り、低投資で天井が当たる台だけを打っていた。
その後、スロットブームは去ってしまいそのまま俺のブログも競馬ブログに切り替えたけれども。
しばらく競馬ブログを更新していると、北海道大学の外科医の先生がオフ会で俺に会いに来てくれて競馬の勝ち方を教えてくれた。
元々はニフティー通信が始まった時の競馬会の会長だったとのことで、競馬を始めて最初の2年は負けたが3年目以降は一度も負けておらず年間1000万近く勝ち続けているという方だった。
一番重要な概念はオッズ切と言う概念と教えてくれ、競馬ソフトを駆使して的中率2%で年間それだけの額を勝っている方だった。
おかげで競馬の回収率が劇的に改善した俺は人と会う事の意味を学習していった。
運は「運ぶ」と書く。
一カ所にとどまっている人は何も運ばないのだから運も来ない。
有名なタリーズの創業者松田公太氏の名言にも「幸運は他人が運んでくるもの」という言葉がある。
インターネットはそれまで接点がなかった人との縁をもたらせ、大きな幸運をもたらせる可能性があるとそこで俺は知った。
それからは積極的にオフ会を開催し、来てくれる方と会う事にした。
結果的に、日本で一番最初に自費出版の会社を作った方や、BET365というブックメーカーでテニスとバトミントンの種目で勝ち続けて会社を辞めてそのプロになった方、都内でファミリーマートを14軒経営する方と言った面白い方々にお会いすることができた。
そうこうしている内に俺は神奈川県社会人競馬サークルを作り、年に2回ほどビッグレースがある時にオフ会を開催することにした。
その最初の野毛で開催した2019年皐月賞のオフ会の時の事だ。
そこに「はじめまして」の競馬好きのタクシーの運転手の方が参加してくれた。
このタクシーの運転手の方だが、悪い事ではないが野心家だった。
なんとか雇われである事から抜け出そうと試行錯誤している内に俺のブログを見つけ、本物だと思って会いに来てくれたらしい。
そしてこの方との偶然の出会いが俺をインドに招待されてくれたインド人との縁となる。
この方は独立したい気持ちが強かったため、タクシーのお客さんと移動中に色々会話をするようにしてヒントを探っていた。
そんなある日、たまたま乗せたインド人が物凄く優秀なインド人だったのだが、乗せた時にはお酒に酔っており財布を落としてしまったそうなのだ。
支払いは後日で良いとタクシーの運転手がインド人を自宅に送り届けた翌日
インド人の方も優秀でちゃんとした方だったため、翌日支払ってくれそこで信用関係が生まれたらしい。
そしてこのタクシー運転手の方もチャンスだと思ったのだろう。
急接近し、俺が開催する勉強会とかにもインド人を連れて来てくれた。
そんな中、インド人の方も外資勤めで、月収も所得税だけで俺の月収の総支給を超えるような優秀な方だったが、日本とは異なり、いつまでも雇用が続くわけでもない事を理解しており、日本人との接点を持って何かをやりたいというお互いの需要がマッチした
俺自身も今はサラリーマンを続けているけれども、自分自身がもっとも会社員に向いていないと理解していたので、インドで何かのビジネスを行えたら面白いと思った。
そこで言われたのが招待するからインドに来てみないか?という言葉だった。
最初聞いたとき、一瞬躊躇した。
何しろ怖い。
よく知らないインターネットで知り合った縁で繋がった人にインドに来いと言われているのだ。
もしかしたら死ぬかもしれない。
でも、死ななかったとしてそのまま何もしなければどうなんだろうか?
それって面白いか?
いや、それ以上にどっちが後悔するだろう?
何もしないで何もしなかったなと何十年間ただ生きるのか、死ぬかもしれないけれども何かをしようと前のめりに生きるのか?
どう考えても後者だなと思った俺は、よく知らないインド人に誘われてインドに行くことにした。
英語もしゃべれないし、海外行ったことも無いのにだ
そのインド人の方は外資の会社の役職者でもあったので、おそらく会社の経費で俺を重要なお客さんと言う扱いで、飛行機からホテルから現地の一日運転手から全部手配してくれて費用を支払ってくれた。
そこでスーパースプリングと言う日本の「日本ピストンリング」と言う会社と取引している会社を紹介され、俺はそこの日本代理店の代表となった。
なのでたまに栃木県にインドのスーパースプリング社の代理店として営業に行く。
その後も打ち合わせで年末に同じようにインドに招待してもらい、工場見学をさせてもらった。
そこで東急ハンズのイベントのキャンドル立てとかがインドで作られている事を知る。
また、日産の自動車の工場のラインもインドで作られていると知った。
その後コロナが流行してしまい、落ち着き始めた今年のお盆に3度目インドに招待されて行ってきた
そこでインドの銀行の副頭取を紹介されたり、所属している社会層の違いを感じたのだけれども。
野生の猿にスナック菓子を盗まれたりもした。
そして帰り際の事だ。
俺はワクチンを3回接種しないでインドに行ったのだが、インドの空港でカウンターのスタッフがそんな外国人を見た事がなかったのだろう。
帰国の日の1時間後に出発する飛行機でインドから出すわけには行かないと言われてインドに半年くらい拘留される危機に陥った。
いや、日本からは同じ条件でインドに行けるのに、インドから日本に戻れないというのだ。
そんな馬鹿な話はないだろうと思ったのだが、前例がないとのことで翌日から日本で仕事が入っているというのに出国できないと言われたのだ。
俺は英語もヒンドゥ語も話せないし、あいにくWi-Fiも繋がらずグーグル翻訳も使えない。
そして携帯の電池もギリギリ
途方に暮れていると、後ろから日本人の若い男性がやってきてくれて助けてくれた。
厚労省の条件を調べてくれて、インド人のカウンターの方と交渉してくれ、無事帰国できる事に。
その若い男性に「よく英語しゃべれないのにインド来ましたね」と言われた。
けれどもと思う。
何かが足りないから「できない」とか「やらない」という発想は間違っている。
出来ない理由を探してしまえば、何もやらない人になってしまう。
やってしまってからどうにか本気でしようとする意志があればどうにかなる。
実際にワクチンの回数が足りていなくて言葉が足りなくても結果的に俺は日本に帰国出来ている。
昼の仕事で歯医者の先生と話した話でもあるが、セミナーを開いているような年商何百億円の社長さんの口癖が真実だと思うのだ。
それが「俺は馬鹿だからよ、まずはやっちまうんだ、やっちまってからどうするか考えるんだよ」なのだ。
この社長は牛丼が食べたいと思ったら、お金がなくてもまず食べてしまうそうなのだ。
そして食べてから店員に交渉するのか、隣の人に交渉するのか、食い逃げするのかを考えるらしい。
なのでフェラーリの営業にも勧められてお金がなくてもまずは買っちゃうそうなのだ。
買ってから金策をどうするか考える。
そのフェラーリが限定品なのでちょっと月日が経つと何倍もの価格になるらしいのだけれども。
常軌を逸した考え方に見えるが、最近は俺はこれが一番正しいと思ってしまう。
人間大丈夫な理由を探して行動しようとすると、石橋を叩いて結局石橋が壊れるまで叩き続けるので、結果的に考えるだけ無駄な時間を過ごしてしまい、何もできない人になってしまう。
やらない方がいい理由を見つけるまで探してしまうのだ。
その理由探しの時間がそのまま無駄な時間の過ごし方になってしまう。
だからこそ、リスクの大きさは考えるにしても基本的にやってしまってから結果を改善していく考え方じゃないと何も起きない。
そんなわけで、無事帰国できたのだけれども、どこで英語を覚えたのかこの助けてくれた若者に聞くとスマホのアプリだと言うのだ。
聞いた瞬間にかなり頭の回転が速い人物だと思ったので、帰国後飲みに行ってきた。
そうしたらやはり京都大学卒業で東芝に勤める25歳
インドでは友人の結婚式に参列し、世界中をその年齢で旅行しまくっているらしいのだ。
そして、飲み屋で話しているうちにグルメ談議で画像の海鮮丼を見せたら新潟の共通の行った事あるお店であることが分かった。
海鮮丼の映像で新潟のお店が分かるというどういう記憶力なんだと衝撃を受けた。
↑新潟県柏崎市にあるジャンボエビフライが有名な「とみ家」さん
しかしながら、こういった一つの行動が新しい縁や派生して新しい選択肢をもたらせる。
京都大学卒の社会層に俺はいないので、こういった縁も大事にしたいと思うのだ。
そして帰国後のことだ。
招待してくれたインド人が江東区でインドスパイスの販売店も経営している。
俺はインドにガチャガチャが存在していない事に目をつけたので、ひとまずテストでそのインド人が多数住んでいる団地にあるスパイスの店にガチャガチャを設置した。
これの手応えが良ければインドにもっていってインドでガチャガチャのビジネスを展開したいと思うのだ。
インドの「ガチャガチャ王に俺はなる」とかどこかの漫画で聞いたような宣言をしたくなる。
人との出会いは学習の連続だ。
このインド人に生きていくのに最も重要な事も学んだ。
それが「結果の決定者」についてだ。
このインドの方は自動車部品の品質管理の仕事をしている。
このインドの方が会社から求められたのはこういったものだった。
去年のクレーム発生件数が60件で、本年度のクレーム発生件数を45件に下げるという目標
随分とキツイ目標値だなと思ったが、半期を経過した時点でクレーム発生件数が10件らしい
このままのペースで行くと年内で20件となりクレーム発生件数が3分の1になるという驚異的な数字を叩き出すことになる。
本質的に言ってしまえば、クレームの件数を減らせという目標に対して、クレームがこなければ目標達成という事だ。
実態は何も変わっていなかったとしても、顧客がクレームを言わなければクレームの件数は減る。
そう考えた時、クレームにならないようなモノづくりや対応は管理は大事かもしれないが、その正攻法だと人間の本質は変える事ができないので、目標値にいかせるためには教育的な部分を含めて時間が足りない。
限られた時間の中で結果を出すためにはそんな誰もが考えそうな正攻法の方法では駄目なのだ。
先日再放送でニトリの社長の激レアさんを連れてきたでも出ていたが、ニトリの社長は高校がすべて落ちた時に、校長先生に米俵一一俵もって挨拶に行き、不合格を合格に捻じ曲げたとのこと。
今だったら不正だと叩かれそうだが、望む結果に対して創意工夫をし、望む結果を出したのだから秀吉と似ているところがあると思うのだよな。
昔から多分原則は何も変わっていない。
社会は人が織りなして、人が結果を決めている。
人が当然すべてなのだ。
クレームにするかどうかを決めるのも人なのだ。
そしてクレームを受けるのも人
つまり、モノを良くしたり、対応を良くしたりといった正攻法は誰もが考える事だがそれだけで劇的結果を出そうとしても多分無理だ。
それよりもクレームにする側、つまり顧客にクレームになるような内容をクレームにしてもらわない方が圧倒的に早い。
甘えさせてもらう、許してもらう。
逆にいえば、物や対応など何も変えなくても顧客の窓口の人と懇意にし、その結果を変えられる人と協力を得られれば、毎日誰かしらと飲んでいるだけで結果を出して全員ハッピーにすることができる。
発想の転換が必要なんだよな。
人が結果を決めるのだから、目標の数値もそれを決める人と交渉したりして、仲が良ければ自分の都合の良い数字に変える事もできる。
今回のインド人のクレームの話を聞いたときにピンと来たのだけれども、クレームになる過程でもいろんなフィルターがかかっており、クレームにならないチャンスポイントは無数にあるなと。
まずは、納品先等の受取人で止めることもできるし、現場のそれを使う人間でも許してもらえば止めることができるし、その間に対応すればいい。
クレームを言わなければならない窓口の人でも止めることができるし、クレームを受けた側の問い合わせ窓口でも止めることができるし、その上司と仲が良ければそこでも止めることができる。
正攻法よりも人なんだよな
意外に、皆自己都合でのみ生きていて自分の足元しか見えていないため、すべてが他者の力で結果が変わる事を本当の意味で理解している人は少ない。
できる人は皆他者の力を借りている。
そう考えると、やはり結果を決めるのも人なんだよな
結果に否定されたら間違っているかもしれないと考えるべきだと思うが、もちろん人が絡まない結果もあるけれども、本質的には結果を決めている人に否定されたら間違っているかもしれないと考えるべきなんだろうな。
当たり前かもしれないが、自分の望む結果をもたらせる人、それを決める事の出来る人、結果を変える事ができる人の協力を得ることを第一に考えるべきかもしれない。
そうか、逆に正攻法は最後の手段なのだよな。
営業で言う飛び込みや架電のように、何もすることが無い時に仕方がなくするもので、重要なのは誰がどの結果に作用する力を持っているか。
それを把握し、そこに営業をかける事。
結局すべての人は営業を何らかの形でしており、生まれながらにしてすべての人間は営業マンというのは間違いがない。
このインド人の方はクレームを言う側に交渉して、クレームを言わないでもらう代わりに別の対価を出す交渉をして結果を変える事の出来る人に結果を変えてもらっている。
結果の決定者に結果を自分に都合よく変えてもらう事。
オフ会からインドに行き、一番重要な学びはそれだったかもしれない。
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