一通の訃報
半世紀も生きると、訃報に接する機会が増える。
大きなものとしては、自分や配偶者の親だ。ワタクシの場合、父はワタクシが三十九歳のときに他界したし、ダーリンの母は、彼が二十四歳のときに亡くなった。これらのケースは、平均的な年齢よりも早い死であろう。ダーリンの母は、事故死であったし。
ダーリンの父は三年前に鬼籍に入り、夫婦二人の四人の親のうち、最後まで残っているのはワタクシの母のみとなった。今のところは元気でいるが、矍鑠とは言えない。早晩、その日が来るだろう。
それから、親戚のおじやおば。友人や同僚の父母だ。年齢的に自分の親と大差ないので、当然のことだろう。昨年末届いた年賀欠礼は六通ほどだったが、みなこのカテゴリーに入る。当然と言えば当然だ。
松の内が明けてから、一通の寒中見舞いを受け取った。
送り主は、中学生の頃からお世話になった英語の先生の奥様だ。つまり、ワタクシの恩師ともいえる先生が亡くなられていたということだ。
お世話になった先生ではあるが、中学や高校で教えてくださった方ではない。元々は高校の教員で、ワタクシが知った頃は大学教授だった。その先生のところに、定期的に通って英語を教えて戴いていた。
この先生とどのように知り合ったのかは覚えていない。ワタクシが個人的に知り合ったはずもなく、母の、もしかしたら父の知り合いだったのだと思うのだが、母は既にそのあたりの記憶がぼやけており、確認できない。
まあ、そんなことはどうでもいい。ただ、先生はワタクシの人生に多大な影響を与えた方だったのだ。
英語とは言語であり受験科目ではない。英語を学ぶことを目標とせず、英語で何か学びなさい。
そうして、英語を学ぶ楽しさと実用性を叩き込んでくださった。
こんなにいい出会いがあったにもかかわらず、さまざまな事情によりワタクシの留学の夢は潰え英語で何かを学ぶことはできなかったけれど、英語を学ぶ楽しさと英語の実用性の高さは、身に付いた。染み付くほどに付いた。おかげで、その後二十年以上、教育という業界で英語に関わる仕事を続けることができたのだと思う。
奥様からのお葉書によると、九十歳で天に召されたとのこと。そう、先生はクリスチャンであった。ダーリンとワタクシの結婚式では、鍛えた美声で賛美歌を歌ってくださった。忘れられない思い出だ。
もう一度お会いしたかったな。
先生、長い間教えてくださってありがとうございました。大人になってからもずっと、心の師でいてくださってありがとうございました。
天国では、キティちゃん、ナナちゃん、ポロちゃん、ティティちゃんと楽しくお過ごしくださいね。