卓上のオカルティスト そっとおやすみ あとがき

 第一章を書き始めたのが2018年の3月……中々の難産だったのは自分の中でのネガティブな事象をテーマにしていたからか。
 Twitterでも少しあとがきめいたものを書いていたが、改めてこの作品を振り返り、ネガティブな事象とは何かを書いてみる。そもそも作品は作品内で完結するべきだし、作者のあとがきは往々にしてイタい自己満足にしかならないのだが、ほぼ四年というこの歳月を通して何か得るものもあるかもしれないのでこれを記す。

 ミステリーとボードゲームとオカルトをテーマにしたのが『卓上のオカルティスト』という話なのだが、主人公の逢実錦自あいざね・きんじにはオカルトと戦うだけの特別な力は持っていない。見森野梨花まみもり・のりかの《予感》や四烏しがらすの常人離れした力(『super highway』)はわかりやすく何かしらの力ではあるが、逢実は何も持っていない。どうやってオカルトと戦うのか? それは作者である私自身が小さい時から考えていたことがベースになっている。

 すべての怖い話には、ルールがある。

 口裂け女は「わたし美人?」と聞いてきて、回答を間違うと襲ってくるが「ポマード」と三回唱えると逃げる。人面犬は「何見てんだよ」と言ってくる。『ムラサキカガミ』は20歳まで覚えていると死ぬ。エトセトラエトセトラ。怖い話は物語として語られるのだが、そこには物語になった時点でその怖い話独自のルールが生まれる。逢実は、オカルトにおけるルールを見出し、それによって恐怖に立ち向かう。『そっとおやすみ』でも、鹿目粧治子かなめ・さちこの、三年に一度四つの肝臓を食べなければならないというルールを推察する。それに以上でもそれ以下でもなく。そして逢実はこの人間を超えた化け物と対峙して無傷で生還するのだ。まるでボードゲームのルールを理解し、そのゲームに勝つように。

 それ故に、逢実錦自は『卓上のオカルティスト』なのだ。

 そしてこの方法を逢実自身が確立させたことにより、『そっとおやすみ』のテーマが浮き彫りになる。この作品で幾度となく出てくる、ボードゲーム『そっとおやすみ』の手札が四枚揃ったら手札を伏せるというルールのモチーフ。作中では、何かが四つ揃えば何かが起きると予感している者たちばかりが登場する。それは抗えない。さながら運命のように、いや運命なのだ。

 『そっとおやすみ』のテーマは、「運命にはルールがある」なのだ。

 運命は変えられない、これこそが私がネガティブにとらえてしまう事象なのだ。果たして運命を乗り越えることはできるのか? それすらも運命でありすべては決まっていて我々は甘んじて運命に屈するしかないのだろうか。作者の私としては、希望を込めて『否』としたい。何故なら逢実錦自が、自ら運命のルールを理解し、ボードゲーマーのように運命に立ち向かっている。我々も、変えられない定めの運命を受容するのではなく、彼のようにルールを理解し立ち回れるのではないだろうか。

 逢実錦自が主人公としてオカルトと戦う方法を確立させたことにより、彼の運命は大きく変わる。色々なことはあるけれど、自分のルールを信じた者は強いのだ。そして第三作では、更に物語は違うステージに向かう。ので、読んでくださいというお願いです。

(でもこんなこと書いてる暇があればとっとと第三作を書けばいいのでは?)
(まぁいいじゃん)

(了)

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