優しいって偽善?
自分で言うのもなんだが、昔からよく「優しいね」といわれる。
でもそれは私にとっては本当の善意ではないのかもしれない。
こんなことを言ってしまうと、優しいねと言ってくれてきた人たちには申し訳ないが、
どちらかというと、「優しくしている」という方が正しい。
優しさをアピールしていると言った方が分かりやすいかもしれない。
例えば好きな人がいて、その人に自分の事を好きになって欲しいと思ったら優しくする。
それと一緒だと思う。
「この人優しいな」と思って欲しいから優しくする。ほんの少しの下心と自己満足で優しくしている。
さすがに、根本的には「力になってあげたい」という気持ちはあるし、本当に困っているひとがいたら、純粋な気持ちではあるのだけれど、
ちょっと手助けをしてあげようという場面ではやはり、「手助けしてあげよう」と思ってるくらいだから、そこには下心と自己満足が発生している。
と、ずっと思っているのだけれど、
恩の押し売りをしているわけではないし、誰にでも優しくするわけじゃない。
かといって、全くリターンを望んでいないかと言われればそうではない。
学生時代なら、「気になる子と仲良くしたい」と、距離を縮める為に優しくしたし、
社会人になれば、「上司・部下からの評価」へと優しさが気遣いに変わる。
優しさというのは、自分の物差しで色んな事に使ってしまうから、偽善というのは言い過ぎだと思うけれど、
やっぱり一種の自己満足でもあるのかな?
と捻くれて考えてしまうのは私だけかな。