6月14日、ちょっとした日記
BTS、もとい防弾少年団を推し始めてだいたい2年くらい、ずっと恐れて続けていたことが来てしまった。
解散するわけじゃないと言われても、あまり、もう、正直よく分からない。
一寸先は闇と言うのはまさにこういうことなのだろうと本能的にわかった、それはきっと本人たちも。
この2年間、armyとして様々な場面でチームBTSの強さを見た。
そして変わっていくarmyも見た、armyだけでなく、全てが変わった、今思うと全部の変化はこの決断に繋がっているのだと、ちょっとくらいは考えている。BTSがきっかけで仲良くなった友達もずっと「ユンギが死ぬまでBTSやりたいみたいな話してるけど大丈夫かな」なんて言うこともよくあった。
すごく正直に話すと、Twitterでも言ったようにホッとした、これが本当に大部分を占めていて、私は案外人の幸せを容易に願うことが出来る人間で(願えなくても悪いことではない)単純なので結局、ナムジュンが幸せに笑って生活してくれればそれで全部が上手く行くように感じる事ばかりである。
だから、泣いてるところを見たら頭が真っ白になった、 字幕や本人たちの反応を見て、この人に無理をさせた、私が泣かせてしまった、どうしようと。
ナムジュンが泣いて、私も不甲斐なくて泣いた。
一度、中学の同級生にナムジュンの容姿をバカにされ、大号泣しながら家族に愚痴ったことがあった、よく考えると人のために泣いたのはそれが人生初めてだ。
今まで、2年間の色んな思い出を思い出してみると少しでも、全てが防弾少年団に繋がっている。
自分の中で大きな変化としたらユニセフのスピーチだったと思う、あのスピーチは私の今までの人生のなかで1番大きなターニングポイントだと言っても過言ではない。
ありのままの自分を愛すること、そのままでいいと認めてくれた、それだけで天へ舞い上がるほど嬉しい気分だった、その後、初めて友達以外の人にLGBTQ+であることを話した。
そういうわけでこの2年間私のマインド的な部分を育ててくれたのは紛れもない防弾少年団であり、これからもきっと色々な言葉を紡いで、知恵や光を授けてくれるのだと考えている。
早くBTSの魅力に気づいていれば、そんなことを思う日もあるかもしれないが、悩みの多いティーンエイジのうちに出会えただけでも奇跡であり、人の繋がりを強く感じる機会にもなった。
ただ、何度も言うが、私はナムジュンが笑顔であればそれでいい。
竹取物語の翁と一緒、まさに”翁心地あしく、苦しき時も、この子を見れば、苦しき事もやみぬ、腹立たしきことも慰みけり”というわけである。
ファン側としてもちょっとした場所の変化だと考えて、これを機に私は留学にチャレンジしてみようと思う。
照れるが、将来は色んな国の人のお手伝いができるカウンセラーになりたいと思っている、その夢に向かって一時、かけるべきなのかもしれない。
それに、海外公演あった時にメントわからなかったらショックだからね。
BTSの今後に幸あれ!
裸足の両足が俺らのガソリン
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