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#2 ‘‘想像’’

現実には存在していないもの、現実に存在するものとは違う物事を頭の中に想い描くこと。

つまり、心と頭の中で物語を見ること。

なぜ私がこのテーマを2回目の投稿で選んだのか。
それは、私が人生で一番大切にしているものだからである。

今回は3つの章に分けて‘‘想像’’の話をしていく。


1:‘‘想像’’をエネルギーにしている人

さて、皆さんは‘‘想像’’をエネルギーにして成功している人と聞かれた時、一体どんな職業の人を思い浮かべるだろうか。
10秒考えてみて欲しい。

1...2...3...................9...10!

誰が思い浮かんだだろうか。
ひょっとするとこんな職業の人が思い浮かんだのではないだろうか。

・映画監督
・小説家
・漫画家
・料理人
・YouTuber

このような職業が思い付いたのではないだろうか。
わかりやすく‘‘想像’’を武器にしている職業ではあるが、‘‘想像’’をエネルギーにして成功している人とは、もっと幅広く、全ての職業に当てはまっていると私は思っている。

2名程有名な人を取り上げてみよう。

1人目は『ハリー・ポッター』の生みの親でもある
小説家J・K・ローリング


彼女はこんなことを言っている。

「‘‘想像力’’とは存在しないものを描き、生み出す、人間特有の能力なのです。」
「世界を変えるのに魔法はいりません、すでに‘‘想像力’’という世界を変える力を持っているんです。」

↓動画ではより詳しく彼女の思いがわかる。
https://www.youtube.com/watch?v=Xt18FKyrL_w

‘‘想像力’’というものを存分に発揮することを楽しんだからこそ、世界中で愛される物語を生み出すことができたということが彼女の言葉から読み取れる。

‘‘想像力’’とは、人類が平等に持っている能力である。
しかし、使いこなしている人と使いこなせていない人とでは明らかに世界の見え方が違うという訳だ。

2人目は世界を変えた天才

スティーブ・ジョブズ
彼がAppleを大企業にする前、どこで作業をしていたか知っている人も少なくないだろう。
答えはガレージだ。
車や荷物を置く為だけの場所で、彼は世界を大きく変えることをしていた。
そして、その時彼が使っていた武器はたった一つ。
‘‘想像力’’である。

当時、パソコンというのは仕事上必要な人だけが仕事場で使う高価な物だった。
しかし、彼はそうは思わなかったのだ。

もし、誰もが欲しがるものになったら?どうしたらそうなる?
パソコンで何ができればみんなが家庭で必要とするのか?
もし誰もが手に入れられる物だったら?


そんなことを‘‘想像’’していたことが大成功をもたらしたのだ。
誰もがこれはこうあることが普通だとか、そうあるべきだと考えていることに疑問を持ち、自分の頭の中で‘‘想像’’することで新しい常識や考え方が生まれる。
そしてそれが人類の発展に繋がっている。

先に述べたJ・K・ローリングの言葉

「世界を変えるのに魔法はいりません、すでに‘‘想像力’’という世界を変える力を持っているんです。」

‘‘想像’’の力で世界を変えるということを彼はやり遂げて亡くなった。
こんなにカッコ良い生き様はなかなかないだろう。

↓興味があればこの二つの映画はぜひ見て欲しい。
ジョブズの人間関係に軸を置いている
https://www.youtube.com/watch?v=ZjgUOSED_cM 
ジョブズのビジネスの才に軸を置いている
https://www.youtube.com/watch?v=lPv8Ltya0_U

例に出した2人は非常に有名であり、特別な存在だと思ってしまうかもしれない。
しかし、彼らは‘‘想像力’’の扱い方を知っていて、自分の‘‘想像’’したことを信じる力が強かったということでしかないと私は思う。
(もちろん個性として秀でている部分もあるが...)

2:‘‘想像’’の力を否定する人

これは皆さんの身近に常にいる人のことを言っている。
悪意のある人と善意の人が存在する。

<悪意のある否定的な人>
このタイプは皆さんの周りにはあまりいないかもしれない。
わざわざあなたの想像していること、叶えたい夢を悪意を持って否定するような人がいたらすぐその人とは距離を置けば良いだけだからだ。
よって、悪意のある否定的な人に関してはこの程度で話を終える。
問題なのは次である...

<善意のある否定的な人>
ある学者はこれらの人を「善意のドリームキラー」と呼ぶ。
「善意の」とはどういう意味か、それは愛情や心配などという本来はプラスとなるはずの思いのことである。

例えば、学校の先生や親、友達などである。

皆さんも経験したことのある三者面談でまさに善意の否定が降りかかって来るのである。
あなたの偏差値や成績、日頃の態度を基準に話が始まる三者面談は善意の否定が最も起きやすい場であると言っても過言ではない。

パターン1
生徒(仮に読んでいるあなたとする)
「〇〇高等学校の△コースに行期待です。」
先生
「君の成績だと無理だよ」「偏差値からするとこっちのが良いよ」
「そこに行きたかったならなんでもっと勉強しなかったの?」

「何を言ってるの?こんな成績じゃ行ける訳ないでしょ!」

パターン2
生徒
「将来◇◇になりたいです!」
先生
「ほんのひと握りの人しかなれない世界なんだよ?わかってる?」
「もっと真面目に考えなさい」「成績を見てからもの言いなさい」

「ちゃんと就職しなさい」「2,3年就職して社会を知りなさい」
「〇〇なんて無理に決まってるだろ、もっと真剣に考えなさい」

上記のようなことを三者面談やそれに似た場面で言われたことがないだろうか?
先生も親もあなたの幸せを願ってこのようなことを言っているのだ。

しかし、よく考えてほしい。
先生も親もあなたがなりたい姿を想像して発言しているのではない。
今までの経験、統計からあなたの幸せになる道はこれだと決めつけて言っているのである。

なぜそうなるかは明らかである。
先生も親も自分の選んできた道が正しいと思い込みたいからである。
好きなことより安定した就職、家族の為に我慢、好きなことができない自分への慰めなど、これらのエゴがあなたを同じ道に引き込もうとしてしまう。
先生も親も善意で言っているのにも関わらず、あなたの将来の選択肢をいくつか破壊していることになっているのである。

あなたはそんな時にこそ、将来の自分の姿を‘‘想像’’して、その‘‘想像’’を強く信じて日々を歩めば、自ずとそこに勝手に近づいて行くことになるのである。

これは私自身の人生で今現在も証明中であるが、今の所勝手に近づいていると認識している。

3:‘‘想像’’の力に救われ続けている私

これまでは有名な人物や周りにいる人のことなどを述べてきたが、ここからは私自身の体験について述べていくことにする。

ただ、ここまで長くなってしまったので少し細かい内容は省くこととし、また別の回で個人的な体験の詳しいことは述べるつもりである。

私が‘‘想像’’の力の重要性に気づいたのは中学3年生の時である。

小学生からずっと、学校の勉強という意味ではバカだった。
ただ、そう思われることはとても悔しいので中学1年生の時にあることを想像してみた。

それは[頭が良いと思われている自分]である。

そんなこと、、、笑
と思うかもしれないが頭を良くしよう、成績を上げようと思った訳ではないのに勝手に結果がついてきたのである。

この‘‘想像’’をしたことで、中学3年生になった時に[頭が良いと思われている自分]を実現させておくための効率的な方法を見つけることが出来たのである。

これは是非これからお母さんになる人に参考にしてほしい。
方法は単純、学校の勉強というのは学年が上がるごとに難しくなる。
つまり、学年が低ければ低いほど簡単だということ。

この法則から導ける受験前に心の余裕を手にし、頭が良いと思われる方法は一つである。

‘‘低学年時に高得点をとり、高学年時に平均点付近を目指すこと’’

おそらくこれは私の知る限りでは一番楽に効率よく確実に評定を高くできる方法である。

なぜなら...中学1,2年生の時の自分を想像してみてほしい。それが答えである。
遊び呆けていたはず。
テスト2日前になってエンジンをかけ始め、前日は徹夜などの経験があるのではないであろうか。

その時期の中学生は勉強をしたいなどと思う人はほとんどいない。
もしくは部活に本気で勉強は置いておくという人もいるだろう。
しかし、稀にその時期から大学進学を目指して本気で勉強をしている人もいる。
その稀な人には対抗しようとしてはいけない。
目標があるからその人は出来ているのであって、無理に戦おうとすると精神を削られてしまうからである。

以上のことから、中学1,2年のみんなが遊んでる時期に定期テストで良い点を取ることはとても簡単なのである。
逆に3年生になってみんなが受験を意識して塾に行き始めた段階で戦い始めるなどというのははっきり言って効率も悪ければ、評定もみんなが上がるから上がりにくいという最悪な戦いになるのである。

具体的に言うとするなら、例えば国語のテストがあるならそれを5日前、4日前に読み始め、当日まで該当の作品を繰り返し読んでいれば良いだけなのだ。
テストの時には読み飽きているので、問題文をみた瞬間にどこの段落の誰のことを言っているかなど、考えずとも出てくる。
しかし、周りに生徒は2日前まで遊び呆けているので自然と差がつく。
理にかなっているし、楽な方法だとわかっていただけただろうか。

そして、結果として私の場合は学年上位の評定で、筆記試験を受けずに高校に入ることが出来た。
周りの人みんなにあいつ[頭良いもんな]と思わせて...

この経験がきっかけとなり、‘‘想像’’の力を大切にし、信じて行きていこうと思うことが出来た。
ちなみにこの方法を信じて高校生活でも実施した結果、大学も筆記試験をせず、評定での入学をすることが出来た。

※実際に頭がしっかりよくなりたいのならばこの方法では厳しいだろう。


まとめ

さて、ここまで‘‘想像’’について色々な角度から述べてきたが、まとめると以下のようなことである。

・どんな職業の人でも自分の‘‘想像’’を信じて生きている人は、その
  ‘‘想像’’と同じ、もしくはそこに非常に近い姿になることができる。

・世界を変える力がある

・自分が生きていく上での軸を持つことができる

・‘‘想像’’することで効率の良い方法やそこに向かう為の道が勝手に開かれていく

‘‘想像’’したことを信じて動くことで、後から理にかなった方法や出会いが必然的に付いてくる。それでも不安で「現状これしか出来ないから仕方ないじゃん」と言っている人は、おそらく一生大きな挑戦は出来ないであろう。
そういう人のことを悪いと言っているわけではない、ただ、そういう人ほど他人のせいにしたり、誹謗中傷をしたりすることで自分の存在を認めようとする傾向があるということも事実である。

こんなことを書いている私も今後失敗することはあるだろう。
ただ、それを恥ずかしいと思うことはない。
なぜそう思わないかはまた別の機会に書くだろう。

また、もっと‘‘想像’’に関しては果てしなく書くことは出来るのだが、それはまた複数回に分けて書いていくことにする。


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‘旅’

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