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近藤誠医師 がん放置説⑨

パワーに惹かれた
 
かつて私は近藤誠さんに心酔していました。『患者よ、がんと闘うな』をはじめて読んだ時、気迫のようなものを感じました。文章全体に満ちている決意を感じたのです。
 医学界をむこうにまわして闘おうとする彼のパワーが、行間からあふれて届いてきました。自立した精神、自分の足で立っている人の、潔い美しさもあり、この一作で完全に彼のファンになりました。
 近藤さんはこの本がベストセラーになったせいで、病院内で他の医者と出会っても、そっぽを向かれるようになったそうです。挨拶すらしてもらえなくなったと、書いていました。それを読んで義憤にかられました。ますます応援したくなったのです。
 不愉快な思いをしながらも、近藤さんは医学界全体を敵に回してたった一人で戦っていた。つまはじきにされ、袋叩きにあいそうになっても逃げず、くじけない。日本中のがん患者さんのために、自説を展開しつづけた。私はそんな風に感じていました。
 放置説の是非は別にして、近藤さんの気迫とエネルギーはすごかったと思います。闘う人の魅力にあふれていました。
 彼が叩かれればたたかれるほど応援したくなりました。気持ちは近藤さんによりそって一体化する。理性よりも感情が反応して、近藤シンパになったのでした。
 彼の在り方、生き方にもひかれました。ひとりで立ちあがって声をあげるだけでも大変なのに、声を大にして叫びつづける。だから応援せずにはいられない。私は近藤さんに生き方のモデルを見、希望を見たのです。それも妄信的に放置説を鵜呑みにした理由でした。

実際に放置する人は少ない

 近藤さんの放置説に賛同する人は多いと思いますし、実践する人も多いのでしょうが、実際に最後まで放置する人は少なそうです。
 近藤さんが慶応病院時代に手がけた放置療法の患者さんはおよそ150人しかいなかったようです。
 最初は放置を選択しても、私のように途中で意見を変える人がたくさんいるのだと思います。私は不調を感じる前に近藤説の間違いを知って方向転換しましたが、体調の悪化に耐えきれず、なんとかしたくて抗がん剤などの治療を受けたいと願う人も多いのかもしれません。
 つい先日、私は家に会った古い文芸春秋誌(2014年6月号)を見つけ、掲載されていた近藤さん関係の記事を読みました。
 「近藤誠先生、私の受けたがん治療は正しかったでしょうか」というタイトルで近藤さんのセカンドオピニオンを受けたジャーナリストさんの報告記事です。今回、自分でも近藤さんのことを書いてみようと思ったきっかけが、その記事でした。
 記事の筆者はステージⅢaの大腸がんで手術を受けた後、生活の質の低下を懸念して再発予防の経口抗がん剤治療を辞退しています。近藤さんの主張に後押しされての決断だったそうです。
 この報告を聞いた近藤さんは、大腸がんの再発予防のための術後補助化学療法はほとんど効果がないとして、抗がん剤を断ったのは「大正解ですよ」と語っています。強い違和感がわきました。
 私自身も子宮がんの後で、もうひとつのがんになっています。この筆者と同じステージⅢaの大腸がんを体験しているのです。
 大腸がんの術後の経口抗がん剤治療も受けました。個人差もあるのでしょうが、私の場合、副作用は皆無でした。自分の飲んでいるのが抗がん剤であることをうっかり忘れ、市販の胃腸薬か何かを飲んでいる気分になっていたくらいです。
 調子はどうなのと夫に聞かれて、何のことやら理解できず「何が?」と聞き返したことがあったほどです。「抗がん剤の副作用は大丈夫なの」と言われてはじめて、そうだった、私は抗がん剤を飲んでいたのだったと気づいたくらい副作用は軽症。生活の質は低下しませんでした。
 経口抗がん剤による不調を感じることもなく、問題なく普通に仕事をしていましたし、奥武蔵や高尾山などの低山ではありましたが、山登りも続けていました。
 抗がん剤イコール生活の質を著しく低下させると決めつけるのは、私の体験からもあきらかに間違っていると思います。

 私は、勝俣範之『「抗がん剤は効かない」の罪』毎日新聞社、を読んで、放置説の誤りを知りました。
 近藤さんの説が間違っていると気づいて治療を受ける方向に転換することが出来たのですが、この本を読むことがなければ、近藤さんを信じたままがんを放置して今ごろは生きていられなかった可能性もあります。
 もう一冊、勝俣範之『医療否定本の嘘』扶桑社も読みやすい文章で放置説の間違いを指摘しています。
 書店では見つけにくいかもしれませんがネットでなら購入可能です。近藤説を信じる方に、この本を読んでいただければと切に願います。
 以上で近藤誠医師の放置説にかんする私の体験記事を終了します。読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。感謝です。

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