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近藤誠医師 がん放置説⑥

放置説は死を前提としている
 通常の医療が死を敵とみなし、死なせないための手立てを可能な限り講じようとするのにたいし、近藤さんの放置説は死を前提にしています。
 死と敵対せず、死を受け入れることからはじまります。そこが他のトンデモ医療や健康本と呼ばれるものとの違いです。潔さを感じて私が引きつけられた点でもあります。
 人間は必ず死ぬ。すべての人がひとりの例外もなく、必ず死ぬ。死ぬまでの時間をどうすごすか。実は落とし穴があるのですが、放置説はそこを起点として、がん治療の問題を考えているように思えます。
 病院に通い、病院に入院し、治療をうけつつ病人として生きて、少しでも長く生きることをのぞむか。病気のことはあえて無視して、病院とも治療とも無縁の、普通に暮らす時間を長くとるか。
 どちらが良いと言えるものではない。当時はそう思っていました。個々人の生き方であり、個々人の選択だと思っていたのです。私はできるかぎり病人になりたくないと思い、最後まで普通に暮らしたいと願ったので、最初は放置を選びました。

 数年前の話ですが、私の親友がすい臓がんになりました。たまたま受けた検診で、たまたまつけたオプションですい臓がんが発覚したのです。幸い初期だったので、手術も可能でした。
 それから一年後に、彼女のがんは再発しました。がんが発覚してから4年あまり、ずっと治療を受け続けました。そして、亡くなりました。
 最後まで意識は鮮明でした。彼女が亡くなる十日前に会いました。緩和ケアの病室でベッドの上にすわって、普通に会話もできました。知らない人には病人と気づかれないかもしれない。そのくらい元気そうでした。どこかが痛いとか苦しいとかもありませんでした。
 友人は緩和ケアが高額だけれども10ヶ月ならなんとかなると話していました。その後のお金の心配をしていましたから、もっと生きられるつもりだったと思います。実際には1ヶ月入院しただけでしたが、私もそんなに早く亡くなるとは思わず、本気で一緒になってお金のことを相談しました。本当に元気だったのです。
 彼女は近藤さんを嫌っていました。「とんでもない説」とみなし、私が近藤さんの名前をだすたびに嫌がっていたのですが、最後のころにふともらしました。
「がんが見つかってなかったらどうだっただろうと思うのよ」
検診で初期のすい臓がんが見つかったことをラッキーと思ったけれども、そうではなかったかもしれない。がんに気づかず、何も知らずに普通に生活していた方が良かったのではないか。そんなニュアンスでした。
 治療中、友人はずっと下痢に悩まされました。副作用です。外でご飯を食べるのは無理。トイレが近くにないと不安。
 下痢のせいで、好きだった山歩きもできなくなりました。友人に会うのも困難。私とも電話で話すだけでした。書道だけは続けていて、最後まで書道展に作品を出したりしていましたが、そのほかはすべてセーブして病院通いを中心にした治療漬けの日々でした。
 もう治療法がないと医者に宣言されてから、彼女は家の整理をはじめました。家族用の広い住居を引っ越し可能なレベルまで片付けて、ワンルームマンションを購入。購入契約は、予期していなかった緩和入院の数日前に完了しました。あとは引っ越しと不動産屋に売却を依頼するだけ。ものの見事に片付けたのでした。
 もう充分生きたのだからいつ死んでもかまわない。後悔はない。友人は死を覚悟していましたが、最後の最後になって、がんに気づかない方が良かったのではないか、治療に明け暮れたのは間違いだったのではないかと心が揺れたようでした。
「そんなこと今ごろ言っても意味ないね。治療を受けてしまったもんね」
あきらめ顔でそう言って、それだけで話は終わりました。彼女としても、最後の数年を普通に暮らした方が良かったかもしれないと、心が揺れたのだと思います。
 友人が無治療のままに過ごせばどうだったのか。私には分かりません。すい臓がんを放置した場合に生じる不調や痛みの実状を知らないからです。死の一週間前、トイレまでの数メートルを自分で歩けなくなったとは言っていましたが、痛みはまったくなさそうでした。緩和ケアのおかげだったと思います。

 近藤さんは放置したあとに生じるかもしれない問題を無視しています。「完全放置したがんは、苦痛もなく老衰のように亡くなることができます」と明言しているのですが、こればっかりは私もそのまま受け取ることができません。
 近藤さんを信じて乳がんを放置し、近藤さんの患者になりながらも、痛みに苦しんだ友人がいるからです。
 西洋医学の痛み止めは効かない。鍼治療を受けると痛みがうすれてしびれに変わると言って毎週往診してもらっていました。体力がなくなってしまって、自分で出かけるのは不可能でした。往診を頼むしかなかったのです。
 近藤さんから離れることはありませんでしたが、彼女が穏やかに痛みもなく死ねたわけではありません。
 近藤さんは彼女のケースを発表していません。無治療を選択した彼女の決意にかんしては『あなたのがんはがんもどき』で紹介していますが、彼女が最後の2年間に味わった痛みや苦しみについてふれた文章は、私の知る限り、ありません。
 すべてのがんが無治療のまま放置することによって老衰のように楽に死ねるという記述は明らかに嘘です。

 放置を選択して53歳で亡くなった友人は、近藤さんの患者になって乳がんの放置を決意して以来、死に支度をはじめました。
 まずは徹底した身辺整理。形見分けのように友人たちにアクセサリーや衣類を送り、何年かがかりで荷物を最小限に減らしてマンションを売却。山崎章郎医師のケアタウン小平に入居しました。
 並行して今までしたいと思いつつ出来なかったことを実践。旅行、観劇、食事。一見楽しいようにも見えますが、常に「最後かもしれない」という悲壮感が付きまとい、同行しても心から楽しむことはできませんでした。
 治療やそれに伴う副作用とは無縁でしたが、がん発覚以降の彼女は「死」に支配され、常に「死」と向き合っていました。精神的にはツライ日々だったように思えます。
 最後の2年くらいは痛みも出て、衰弱が激しくなりました。がんが乳房の表面に出てきて悲惨なことになっているとも言い、臭いがするのではないかと気にしていました。
 治療を選択した友人が最後の最後まで元気で痛みもなかったのにたいし、放置を選んだ乳がんの友人はひっきりなしの痛みに苦しみ、やせ細って衰弱した期間が年単位でした。
 これは私の友人たちのケースでしかありません。これを普遍化できるとも思っていません。
 それでもこれだけは言えます。治療を受けた友人には、常に、良くなるかもしれないという希望がありました。副作用の下痢に苦しみながらも未来を思い描くことが可能でした。ワンルームでひとり暮らしをしようと将来を設計することも可能でした。
 放置を選んだ友人には希望がなかった気がします。先に待ち受けているのは絶対的な死。死が立ちふさがる未来しか見えない。「自分には未来がない」と口癖のように言っていました。
 怒りっぽくなっていて、次々と友人を切り捨てました。私は彼女の貴重品をいれた貸金庫を開けることのできる唯一の人として、指紋認証の登録までしたのですが、やっぱり何かで彼女を怒らせたらしく、原因不明のままで切られました。だから最後の1年間の体調はしらないままです。
 何年間も自分自身の死と対峙しつづけるほど、我々の精神は強くないのかもしれません。希望なしには、日々の生活に喜びや幸せを見つけにくいのかもしれません。
 放置した友人は、放置したことを後悔したかもしれないと思います。
 近藤さんという存在を教え『患者よ、がんと闘うな』を教え、放置説の素晴らしさを力説したのは私でした。
 私は友人に近藤さんを勧めたことを、本気で後悔しています。

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