「甲斐荘楠音の全貌」展@京都国立近代美術館
京都に行く予定がたったので、友人が行って面白かったと言う「甲斐荘楠音の全貌」展に行ってきました。
確か、昔、岡本神草の展覧会に行って、そこで甲斐荘楠音の作品も見た気がするけれども《横櫛》の記憶しかないので、今回が初めて甲斐荘楠音作品をじっくり見る機会となりました。
全体的な感想
階段を上って中に入ると、まずどーーんと甲斐荘楠音ご本人の写真がたくさん載っているパネルがお出迎え(因みに、エレベーターでも会場に行けます)。
それを見ると、なかなか端正なお顔をした方だったのね、というのが分かります。
展覧会を通して、ご本人の写真がたくさんあり、こんなにも画家の写真が多い展覧会も珍しいのではないか?と思ってしまいました。
写真が多い理由は、展示室を進んでいくと分かってきます。
甲斐荘楠音は素人歌舞伎で女役を演じたこともあり、そういった写真も展示されていました。
それを見て思ったのが、甲斐荘楠音は画家であるだけではなく、自分の身体を使って表現するアーティストでもあったのかなということでした。
素顔の写真においても美意識に裏付けられたようなポーズを取っているし、自分の作品に呼応するような太夫に扮した写真などもあり、ますます確信を持って思いました。
”甲斐荘楠音”という画家を知るにはこうした写真が必要不可欠で、絵だけでは彼が創り出そうとした世界観を知るには不十分のような気がしました。
こうした中で描かれた絵画作品ですが、女性の美醜を描くというのが甲斐荘楠音の特徴のようです。
微笑んでいるはずなのに、どことなく無気味さを感じる絵たち…おそらく陰影を黒っぽい色でつけていて(墨?)、その上に不自然なくらいの白い白粉を乗せている感じが、独特の雰囲気を出しているように見えました。
個人的には、顔や手のこの描き方が結構好きで、仄暗さを感じる退廃的な雰囲気がツボでした。
ただ、着物にまで過剰な陰影をつけている作品は、あまり好みではなく、そうした絵の着物は、なんとなく厚みがあってぼわっとして見えて、野暮ったく感じてしまいました。着物に模様が装飾的に描き込まれていて平面的である方が、顔や手の不思議な立体感が際立って好きでした。
あと、過剰に豊満な裸婦像もちょっと好みに合わんな…という感じでした。
ルノワールの豊満な裸婦像にも通じるものがありましたが(それよりも妖しさが感じではある)、ダイエットに邁進したい身としては、何が魅力なのかがよく分からん…状態でした。
さて、今回の展覧会のポイントの一つは、今まであまり知られていなかった甲斐荘楠音の映画におけるお仕事にスポットライトを当てていることでした。
時代考証や美術、衣裳などを手掛けていたそうです。
正直なところ、映画タイトル見てもピンとは来ませんでしたが、衣裳のコーナーは圧巻。
なかなかのかっこ良さでした。映画の衣裳ということもあって、自分が着たいと思うのには派手ですが(そもそも男物だし…)、今でも大衆劇などで着たら見栄えが良さそうだなと思いました。
余談ですが、映画のポスターの文句が結構面白くて、現代のコピーライター真っ青な直接的な文言が微笑ましかったです。「!」を多用すりゃあいいってもんじゃないよ、みたいな。
時間の関係でコレクションギャラリーは流し見しかできなかったけれども、「甲斐荘楠音の全貌」展を充分堪能して大満足でした。
すんなりと「美しい…」と思える作品はほとんどないですが、じわじわと良さが浸食してくる感じの作品たちでした。
印象的だった作品
以下、自分のメモレベルでの作品感想です。写真がないのでなんのこっちゃ分からないって感じかもしれません…
《遊女》
階段にたたずむ遊女の姿を描く。階段に陰影はなく、ただの線なので状況が分かりにくいけれど、ここは線のリズムが画面のリズムになっている気が。全体を通してだけれども、手の形・描き方が好き。
《横櫛》
”横櫛”は歌舞伎の「切られお富」として有名な「処女翫浮名横櫛」を指しているそうな。作品自体に「切られお富」要素はないけれども、「切られお富」を観劇した後、兄嫁の彦をモデルにして描いたとのこと。
同じ構図・タイトルの作品が2点あって、1つは広島県立美術館所蔵のもの、もう1つは京都国立近代美術館所蔵のもの。前者は第1回国画創作協会(大正7)に出品された際に絵葉書が飛ぶように売れたらしいが、後者の方が小説『ぼっけえ、きょうてえ』の表紙になっていて個人的になじみ深い。
それのせいか、こちらの方が好きだった。顔の描き方が異なり、国立近代美術館蔵の方がぼんやりとした描き方で妖しい雰囲気が出ている。
《毛抜》
およそ髭なんて生えてなさそうな若衆が、上半身裸で毛抜きしている絵。歌舞伎の「毛抜」かららしいがが、歌舞伎は豪傑な武士が毛抜きをするわけだが、豪傑さを表すために腰元にも若衆にも言い寄るシーンがあるので、その若衆のイメージなのかなと思った。
憂いを含んだ顔で、周りに芥子の花が配置されているのも、なんだかドキリとさせられる。
《秋心》
この作品は素直に「美しい!」と言える数少ない作品。つまり割と正統的な美人画と言っていいかも。
主張の大きい背景に、シンプルで白っぽい女性が立つことで、女性の楚々とした雰囲気を出している。でもその背景にある着物を着るんだよな、と思うと、着た後の雰囲気がまたガラリと変わりそうで、彼女の二面性を感じる。
好きな作品だったけれども1点気になった点が…鏡、ちゃんと持ててる?
《春》
グラスを置き、細い棒みたいなものを持った華やかな着物をまとった女性が、これまた華やかな絨毯(?)の上に寝そべる。グラスにはシャボン玉液があって、棒はストローなのか?それとも水を飲むストロー?ちょっと分からないけれども、雰囲気的にシャボン玉だったら素敵だなと思った。
全体的に柄ON柄で華やかな作品で、でも画面上部に無地の金屏風を配することで、画面を落ち着かせる、その配分が絶妙。
《籐椅子に凭れる女》
透けている黒い着物を、裸体の上にさっと羽織っただけの女性が、籐椅子に手をかけて立つ。
透け感ある着物を通すことによって、むき出しで描くより足や腰の質感が出ている。
と書くと妖しい雰囲気を想起しそうだけれども、他の作品に比べるとむしろ爽やか。顔がすっきりしていて、髪も現代風だからかも。
《畜生塚》
未完の作品とのことだが、むしろ墨で陰影つけただけのこの状態が作品のように見える。それくらいの迫力。
真ん中の人の構図は、キリストを十字架から降ろした時の絵に見えて、描いた当時はミケランジェロなどに傾倒していたということだったので、そういうのを参考にしていたのかなと思った。
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