見出し画像

絵本でタイムスリップ

先日、通っていた絵本の学校の同期生とLINE通話した。実は、定期的にオンライン上に集っておしゃべりするという、先輩後輩方に羨ましがられるほど仲のいい期なのだ。なんとも幸運な縁に恵まれている。

そのなかで、おとぎ話の話から、子供の頃に読んでいた童話の絵本の話になり、メンバーの一人が平田昭吾さんの名前を出し、各々検索してみたら「懐かしいーーー!」の悲鳴が上がった。
長くご活躍されているためか、年代が違うはずの皆がそれぞれ好きだった絵本の話になった。
私は『はくちょうの王子』が大好きで、表紙の絵をトレーシングしていたと言えば、他の人も同じく模写していたと言い、多いに盛り上がった。

話に花を咲かせながらふと、こうやって思い出して懐かしい気持ちにさせてくれるなんて、絵本の力はすごいなとつくづく思った。
こんなにも子供たちに愛される絵本を作った平田昭吾さんはなんて偉大なクリエイターだったんだろうとすら思った。
誰かに心を大きく捕らえ、更に時間が随分経った後でも絵を見て当時の楽しい気持ちを思い出して懐かしむ。そんな作品を作れるなんて、そういうクリエイターになりたいものである。

それと同時に、果たして自分の作品はそういう作品になり得るのだろうかと思った。
絵本を作る時、私には子どもがいないので、基本的に子どもの頃の自分が読みたかった本を思い出しながら制作している。でも果たして本当にそうなのだろうか。
例えば、今敬愛する絵本作家としてガブリエル・バンサンや安野光雅などが挙げられるが、子どもの頃はあまりその良さが分からなかった。
家に「くまのアーネストおじさん」シリーズがあったけれども、そこまで素敵な絵だと思わなかったし、「旅の絵本」は何が楽しいのか分からなかったものだ。
今の「好き」がベースになっているといたら、子どもの頃の自分が読みたい本とは少し傾倒が異なるかもしれない。
もちろんそれが悪いわけではないけれども、子どもの頃の自分に宛てて制作しているつもりが実は違ったとなると、方向性も少し違ってくるのかもしれない。

平田昭吾さんの絵本を見て、あのきらきらした当時の自分の喜びを思い起こすと少し心配になってきたのだった。
でもそこからもう少し考えていくと、平田昭吾さんの絵本が大好きだったのは大分幼少期の頃で、もう少し大きくなった頃には「講談社のおはなし絵本館」を買い与えられ、そこで東逸子さんや牧野鈴子さんに出会って魅了されていたことを思い出した。
白雪姫もシンデレラも、ディズニーの印象が強く忘れかけていたが、絵本の形での白雪姫やシンデレラというとこのお二人の絵が思い浮かぶほど、しっかり根付いていたのだ。
このお二人、特に東逸子さんは随分大きくなるまで、それこそ高校生になるまで大好きで、自分の感性に大きな影響を与えていると思っている。
そして、私が絵本を作る時は、平田昭吾さんの絵本を読んでいた頃の自分というよりは、「講談社のおはなし絵本館」を読んでいた頃の自分を想定しているので、おそらく大きく逸れていないのではないかと思い始めたのだった。

何はともあれ、子どもの頃に絵本をめくって、その絵の世界に心躍る感覚を少し忘れかけていたことを認識した出来事だった。
今も絵本を読めば感動したり、素敵な絵に魅了されたりするが、子どもの頃の、あの絵本がきらきらしているように見えた感動とは少し違う気がする。
子どもの頃の自分に、あのきらきらを届けられるように制作を頑張ろうと思った。

いいなと思ったら応援しよう!