創作 1973年10月-1975年7月
人の何気ないブログを読むのが好きだった青春。
物語を読むのが好きなのは今の今まで健在だけれど、何分最後まで読みきれない。
たくさんの本を読みたいと言いながらスマートフォンで一日を終えてしまい後悔に苛まれる日々……。
Youtubeってなんであんなに延々とみてしまうのか……。
人は人にとって恐ろしいものを考えるのがお上手なこと……。
最近買って読んだ本の話を。
創作 1973年10月-1975年7月
奥付もなく、出版社も作者もわからない。
検索をかけて初めて「リクロ舎」というところからの本だということだけが分かった。
どこの誰が書いたのかわからないこの日記を読み終えたとき、ヤバイものを見つけた、という最初の興奮とはまったく違う、文学作品を読み終えたときのような、心に残る痼と爽快さを感じた。
この本の「主人公」は、文学者を目指し、名作を読み耽り、その作品の素晴らしさに打ちのめされ、己が「凡人」であることを深く自覚していく。それでも覚悟へ向かって彼は自身を追いつめ、勤めを辞め、食い詰め、日雇い仕事に身を置き、ギャンブルに囚われ、借金を負い、何度も心を新たにし、ある日、行き先も決めぬ旅に出る。そして、旅を終えても何も変わらぬ「ただの自分」に諦観のようなものも覚えながら、精神世界を覗き始めるようなところでこの日記は終わる。
昭和のひとりの若者のある日からある日までの無作為の日記にしては、その始まりも終わりもあまりにも文学的にすぎる。私が偶然古物として発見したこの日記は、もしかしたら、海に流した瓶詰めの手紙のように「いつか誰かがこれを読む」ことを細い細い時間の糸の先につないだ祈りのようなものなのではないかとさえ思った。
私はこれを読んで「表現」とはなんなのか、そして凡人とそうでない人の差は何なのかを考えさせられながらも、結局のところ、この「主人公」のあまりに真摯であまりに人間的な有様に惹かれていった。虚実の皮膜でゆらめく「人」に。
本書についていた栞にかかれていた文言である。
正直、この栞の文言を読んだ上で無いと私には、この本の高尚さというか文学的なものはわからないのだけれど、ただただ惹かれて没頭した。
誰の日記かもわからない。
借金を繰り返し、花札はしないと書いた次の日には花札で負けたと書く。
日々本を読む。読まない日もある。
ふと引用した文章や、ポロッと格言めいたことを書いたりもする。
弱い駄目な人間だなと思いながらも、葛藤が合間見えて、ついついページをめくっていた。
結局、地名を検索してみたり、読んでいる本を調べてみたり。
不透明な状態の読書は文章に没入するしかないく、本来の本を読む楽しみはこれなのかもしれないと思ってみた作品だった。
長崎で取り扱っている書店は一つのみらしく、他県でもあまり見かけることはないかもしれない。
こんな読書もたまにはよいかもしれない。