来年ないか(笑)、 引力を剥がす
23時30分頃、山手線右回りの中でふとイヤホンを外したら
「来年の目標かー、いや来年ってないんだった!」「ww」
って会話が聞こえてきました。
イヤホンを耳にはめ直そうとする手が思わず止まってしまいました。
来年がない?という意味が全く理解できず電車の中で勝手に放置された気分でした。
声の主らは女子大生風の2人で、ライブ帰りの様相。不穏な話題ではあるけれどバリテンション高くて音量は大きかったですがこの時間帯の山手線なので何の違和感もなく。
「来年の目標かー、いや来年ってないんだった!」
以外、手がかりになる会話がほとんどなく勝手に想像してしまいました。
・来年は何かから卒業している
おそらく、目標というのは彼女らの学校か何かで毎年設定する必要がある。
しかし、来年は卒業している年なので目標を設定するタイミングはない?
・世界に、来年はない
2024年で世界が終わることを信じている2人だった。なので2025年の目標を設定する必要はない。
彼女たちには来年がないことに対して、不安や絶望などが微塵も残されていない。
2024年にやれることは全部やり切る予定が立てられているので、来年ないやんけ!とウケている。
・彼女らに、来年はない
世界は2025年もその先も続く。ただ、彼女らには2025年はない。
2024年のどこかで、存在が消えることが予定されている。それに対する不安もなく、諦念もなく、冗談で進んでいる。
この突拍子もなく希少性の高いシチュエーションに優越感を覚えているのか、パブリックなJR車内で高らかにウケている。ちょうど私の思考が釘付けにされてしまっているので、術の中である。
彼女らは恵比寿で降り、何も分からずじまいでしたが、私の頭の中は品川で乗り換えた後もぐるぐる、最寄駅に降りた後もぐるぐるぐるとしていました。
言葉が存在しない時間、空間にいたいと思いました。
24時間の中で文字で書かれた言葉もなく、人から発せられた言葉もなく、頭の中にこびりついた言葉もない時間や空間はあるのでしょうか?
現実世界の現象を言葉を通して認識してる以上、言葉を意識しない時間も空間もないでしょうが、それでもそんな世界に一度行ってみたいです。その時に何を思うのか知りたいです。
あでも言葉がないなら思えないか。