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「千石二丁目の駄菓子屋さん」
今で言うとスーパーマーケット「かみもと」の向かいにある、不忍通りへ抜ける道。
ここは以前、小さい商店街だった。氷屋さんがあり、化粧品を扱うお店があり、食料品店もあった。
色々なお店があったが、子供心に最も残っているのは、やはり駄菓子屋さんである。当然と言えば当然かもしれない。
小学校低学年でも買い食いを許された場所であり、手持ちのお金で済むように必死で計算して買い物をした場所だった。数百円を握りしめて走ってお店に向かう時から、すでに頭の中では取捨選択が始まっているのである。
友達の家であれ、公園であれ、特に高学年になるとまず駄菓子屋さんでお菓子を買い、その後移動してわいわい食べる。だから私にとっては駄菓子屋さんはよく言う「社交場」ではなく、「補給所」だった。あまりたむろする方ではなかった。
思い出のお菓子はもちろんたくさんある。「ねるねるねるね(バナナ味)」に始まり、大きいキャンディーの中にガムが入っている「どんぐりガム」、「チロルチョコ」、「うまい棒(めんたい味)」、「キャベツ太郎」。
木のへらですくって食べる「ヨーグル」、「フルーツ餅」、『さんたろう』だと思っていた「蒲焼きさん太郎」、高学年になってから美味しさを知った「BIGカツ」……
今でもコンビニに行けば同じものは揃うと思う。
けれどあの、ちょっと雑然としたせまい空間は、子供にとっては手が届くようでいて、決してそのすべてを手に入れることはできないのだと言うことを、ほど良く教えてくれた場所なのだ。だからこそ夢や希望に似た、わくわくするものが詰まった魅力的な場所でありえたのだ。
懐かしいものが何もかも良いものだとは限らないが、駄菓子屋さんのあの求心力は、とても独特のものだった。
けれど小学校を卒業すると、まったく駄菓子屋さんに行くことはなくなった。
私は中学から、となりの町にある学校へ行った。だから地元の友達と会うことも少なくなっていった。
再び駄菓子屋を訪れたのは、おそらく高校生になってからだ。格闘ゲームで遊ぶようになったので、「そういえば駄菓子屋さんに何か筐体があったはず……」と思い出したのだ。大きなゲームセンターでは1プレイ百円だが、場所によっては1プレイ五十円(百円で二回プレイできる設定になっている)なので、もしやと思って訪ねてみた。
格ゲーの筐体はあった。あったのだが小さめの筐体でやりづらかった。
そのうえ対戦で小学生にも負けたので非常にばつが悪く、あまり長居はできなかった。
ただ、ひとつ小学生の時にはできなかった事をした。道をはさんで隣の肉屋さん(ハヤシハム。ここもまた、今はもうない店)でコロッケを買ったのだ。
店を出ると、いつのまにか小学生たちは、どこかへ消えていた。
コロッケを食べながら、駄菓子屋さんと肉屋のあいだにしばらく私は立っていた。
小学生には、もう戻れない。
戻りたいわけではないが、この往来に集まって、あれこれ吟味しながら手持ちの数百円を使うことは、まず、もうない。
年齢を重ねるということは、こういう不可逆な流れの中を泳ぎ切っていくものなのだなと、高校生だったその頃に私は思ったのだった。