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「私の万年筆」のはなし

  愛好家と言えるほど所持はしていないけれど、万年筆が好きでして。

 インクに浸けて、そのまますっと最初のひと文字を書く瞬間が、たまらなく心地いい。

 手持ちの純正インクカートリッジがないので、インクに直接ひたして使っている。持ち歩きはできないけども、今の私の使い方に合っているから、これでいい。

 ブルーブラックのインク。線の濃淡。そして字を書くときのちょっとした緊張感。

 そしてしみじみ思うのだ。私、手書きで文字を、文章を書くことが好きなんだなあと。


◆◆◆

 私の万年筆への興味は、父が持っている一本から始まった。

 そのペンは、音楽家のバッハをモチーフにしたモンブランの万年筆だった。

 ペンのデザインがどうこうというよりも、そういった自分が愛好しているものが製品として販売され、手のひらの中へ届くという出来事がいいな、すてきだなと思う性分なので、そんな万年筆の世界っていいなあと、ふいにあこがれを抱いたがのきっかけなのである。

(言い換えてみればオタクとしてその喜び、理解できるぞ! となったわけで)

 私は自分の感情の方向が決まると、即、動いてしまう人間だ。要するにこらえ性がないのだが、この時はいろいろ問題があった。

 そもそも万年筆は基本的に高価だ。

 特にこのころは子供向けのエントリーモデルに位置するペンすら知らず、大体の価格帯も分かっていなかった。

 なので前述したバッハモデルのモンブランの価格を検索してみたら、
「高い……!」
より
「怖い……」
 という気持ちが湧いてきて、これはおいそれとハマれない世界だ……と震えたのだった。

◆◆◆

 そしてもうひとつ、すぐに買いに行こう! とならない理由がある。

 実は万年筆に対して、私は少しだけ苦手意識があったのだ。

 中学に進学が決まったとき、親戚から万年筆とボールペンのセットを頂いたことがあった。

 なのだが、なぜか万年筆のインクカートリッジは黒しかないものだと思い込んでいた。
 そして日記を書いたり、鉛筆で描いた絵をなぞってみたりとしたけれど、筆圧が強めなので万年筆の力加減がわからず、壊してしまいそうで頻繁には使えていなかった。
 そしてそのまま、万年筆から遠ざかっていたのだった。

 だから、万年筆が欲しい、という気持ちが高まってくるなんて、ちょっと驚きだった。

 ものは試しで、父に「使っていない万年筆ってある?」と聞いてみた。

 父はデスクの上のペン立てをかき回したり引き出しをごそごそしたりして、

 ああ、これなんかいいんじゃない? と一本の万年筆を渡してくれた。

 それが「パーカー75 スターリングシルバー」というモデル名の、万年筆だった。

 ずっと使わずにいた物だから、銀色の軸が黒ずんでいた。そのときは名前も分からず、後日オーバーホールに出して詳細を知ったのだった。

 この万年筆は父が恩師から頂いたものだそうで、キャップと軸の両端に、父のイニシャルが入っていた。

 なんだかそれが胸にきて、「ちょっと壊れてるけど」と言われたが、預からせてもらうことにした。

◆◆◆

 そこから、万年筆への興味が一気に加速した。

 ネットで初心者向けとされるペリカンのペリカーノなどの子供向けモデルを文房具屋に見に行ったり、電子書籍で雑誌を見たりなどした。

 結果としては、LAMY(ラミー)のサファリの赤を、銀座の伊東屋で購入するに至った。

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 写真を見て、あまりに好みのかわいらしさだったので決めた。三千~四千円くらいの値段だった。十分手が届く値段だし、かわいいしで、迷わずにレジへ並んだ記憶がある。

 なので今、私がいちばん使う万年筆はLAMYサファリだ。

 父から譲り受けたパーカーはどうしたか? というと、今は私の部屋の引き出しの中で眠っている。

 正直なところ、オーバーホールに出したり
文房具屋の万年筆担当の方に相談したりしたのだが、

「ペン先が開いてしまっているので、これ以上は調節ができない(極太字のまま)」

「蓋が壊れているので閉まらない。持ち運びができない」

「カートリッジを刺す部分が壊れているので、インクの瓶に直接浸けて使ってください」
(コンバーターは使えたのかも? そこを忘れてしまった)

……とのことだったので、普段使いは控えることにした。実際、日記や手帳に書くには太字過ぎて、字がつぶれてしまうのだ。

 とは言うものの、これを父に返すことも、また違うと思った。

 なぜならこのペンは、私たち家族を養ってくれたペンだからだ。

 父は研究職で、まだワープロもなかった時代にこの万年筆で原稿を書き、私と兄を育ててくれた。

 それがどんなに大変なことだったか、疲弊しきったこのペンから、ダイレクトに伝わってくる。

 物心ついたときから見ていた、書斎でデスクに向かっているいつもの父の背中が浮かぶのだ。

 だから、この万年筆は「お下がり」ではなく「受け継いだもの」なのだと考えている。

 こういう感じは、けっして悪くない。
 新しく買った物にはない、ふしぎな高揚感がある。

 その物が過ごしてきた時間ごと、自分のところに来たようで、この万年筆はいったいどんな景色を見てきたのだろうかと、思いを巡らせると、なかなかに楽しいのだ。

 そんなペンと出会ったので、私の万年筆ライフは上々の幕開けとなったのだった。

 

◆◆◆

 父からは古いマニュアルのフィルムカメラも譲り受けているので、その話もそのうち書こうかなと思っている。
 最近は撮ってないから、参考画像は十年近く前の写真になるけれども。


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