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「エビスヤ」のパン
「いつも焼き立て、エビスヤの『パン!』」
母と一緒に、そう言ってはキャッキャと喜んでいた。
『パン!』で膨らませた紙袋を叩いて、音を鳴らすのである。パンを食べたあと、母はこうやって遊んでくれた。これもあってか、私はエビスヤのパンが大好きだった。
もちろん何度も、連れていってもらった。大きいショーケースがあり、銀色のトレーに乗ったいろいろなパンが、トングでつかまれるのを待っていた。こちらからでは手出しができない。そこがまた、パンへの憧れを高めたのだった。
3~5歳だった私がそのころ読んでいたのは、かこさとしの「からすのパンやさん」という絵本だった。その本の中に見開きでいろいろな形や味のパンが描かれたページがあった。
私は食べ物の絵に弱いが、見開きにズラッと並んでいるとさらに弱い。なのでそのページが大好きだった。
そして「からすのパンやさん」のイメージを、エビスヤに重ねていた。巣鴨のアンデルセンにでもなく、ヤマザキパンの店にでもなく、エビスヤだった。それだけ好きだったというのもあるが、鍵はショーケースにあるのだと思う。
ショーケースいっぱいに並んだパンたちは、カバヤのおまけ付きお菓子よりも魅力的に映った。さらに子供ではまだ、その種類すべてを把握しきれなかった。
その「いっぱい!」という感覚と、パンを焼いている人を意識できる造りのお店というのが「からすのパンやさん」と重なり、『おいしいものがいっぱいある=すごく好き』につながったのではないかと思われる。
エビスヤの数あるパンの中で、いちばん好きだったのがフィッシュフライだった。つまりは白身魚のフライとタルタルソースがパンに挟まれているのだが、とにかくこれが好きでたまらなかった。マクドナルドのバンズのような柔らかさはなく、しっかりとしたコッペパンが使われていた。タルタルソースを教えてくれたのも、このフィッシュフライではなかっただろうか。新しい世界を拓いてくれたわけである。ありがたや。
そしてチョココロネ。これもエビスヤで知った。なんとも不思議な形をしたものだ。ひらいている方から食べるとチョコレートクリームが多すぎ、とじた方からだとクリームが押し出され、落ちてしまう。
我が家の食べ方は「とじた方をちぎり、ひらいた方のクリームをすくいとって食べる」というものだった。もしかしたら一般的な食べ方なのかもしれないが、私はこのおもしろい食べ方をいつも楽しんでいた。
大人になるにつれ、様々なパン屋と出会ってきた。
巣鴨のヴィ・ドゥ・フランス、トースト。大きなお店では銀座木村屋、デパ地下の浅野屋、近年だとメゾン・カイザー。
どれもそれぞれにとてもおいしい。好きなパンはいろいろある。
けれども、思い出を感じながら食べることのできるパンはそうはない。
今はもうないエビスヤの、今はないショーケースの前に立ち、あのフィッシュフライを指さして「これください」と言いたい。
叶わぬ思いを抱えて、ただ記憶の中のフィッシュフライをほおばる。サクサクの衣、パンの甘さ、タルタルソースのおいしさ。
似たパンはあれど、同じパンは今はもう、ないのである。