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ノンバイナリーからどちらでもいいや、へ
私は《にわゆうこ》
私は存在するもので、生命体
私は人間で、生物としてメス
ジェンダーに関しては特に氣にしていない
私にとって大事なことは《にわゆうこに宿る能きに全てを委ねる》こと
にわゆうこに備わった全てはそれを全うするのに最適なものとして全て用意されている
自分がノンバイナリーとわかり落ち着いて、性別は女性だなと認識したのが昨年。
今年の夏がまだ終わらない秋口に、無性にノンバイナリーと言うカテゴリーが苦しくなりました。
なんだなんだ???これはなんだ?ひと月ほど悶々としました。
その結果、セクシャリティの時と同じだ、とわかり自分の中の整理整頓。
++++++
これまでは《私》が分からないからカテゴリーに当てはめていたのですが、《私》がなんたるか分かるとカテゴライズする必要はないことを実感。
自分がわからない時はカテゴリーがあると安心するんですよ。でも、自分がわかると不自由極まりないものになる。そこに縛られる感じが出てくるんですね。
ノンバイナリーとは何だ??
ノンバイナリーの定義って何??
いやいやいやちょっと待て
ノンバイナリーの前に、私は私だよ
そう、私の声ではなく、自らがカテゴライズした何かに沿わせて物事を考え選択してしまうんです。そうすると、それに則していないことがあるにも関わらず無理やり合わせてしまったり、そこに合わない事に悩み始める。
おかしな話よね。
還元論の話になるのですが、私の大元はどこらへんまでいくのかわかると、自分の中の優先順位が分かると思います。私にとって大事なことは《にわゆうこ》ということで「そこに宿る能きに全てを委ねること」、性別やジェンダーに対してはさほど氣にしていなかった。
き、氣にしていなかっただと????
初潮を迎えて四十半ばまで悶々としていたのに…慢性肩凝り過ぎてで肩凝りはありませんと笑顔で言ってしまう重症肩凝り患者のように慢性化していた悩みを抱えていたのに…。
そう、すごくずーっと悩んでいたんですよ、セクシャリティ含めて。でも、悩んでいたのは自分がどちらの性なのか?ではなく、自分の立脚点がどこか分からないことからくる不安で悩んでいたということでした。
その悩みが解消されると、結果的に社会的な性別(ジェンダー)は私にとってどちらでもいいやとなる。あ、決して蔑ろにしていると言うことではなく。
私の肉体だからこそ大事にしたいし、備わった全てを活かしたい。女だから日本人だからどうこうではなく、《にわゆうこ》の肉体を活かした結果そうなる、と言うことです。
で、結論として「ジェンダーは何ですか?」と聞かれたら、「どちらでもいいですが答えだな」です。