あなたは誰?と聞かれたら
就活をしていると、面接で自己紹介をする。
与えられた時間によって内容を調整するけれど、必ず喋るのはこんな内容だ。
〇〇大学大学院、〇〇研究科から参りました、ニワオニコと申します。
学部・大学院と〇〇学を学んでいて、現在の研究テーマは〇〇です。
本日はよろしくお願い致します。
何度も口にしてきた。慣れたものだ。
でも、時々、ふと「私は誰のことを話してるんだろう?」という感覚に襲われる。
自己紹介なんだから自分について話しているに決まっているのだが、自信が無くなるというか、これで本当に自分のことを表せているのか不安になる。
私は自己紹介で、毎回所属大学から話す。
それは、そういう風にやるもの、と教育されているからだ。
しかし、所属よりは研究テーマの方が、私にとっては大切だ。
知り合いが、入社後の自己紹介で院での研究テーマについて話したら、「研究なんていいからあなたについて教えてほしかった」と言われたと聞いた。
私に言わせれば、研究テーマほど自分について語る手段もない。
院生なら、自分の時間の大半を研究につぎこんでいる。
研究テーマは、もはや自分の半身である。
分野にもよるだろうが、社会科学系の分野なら、自分の問題意識から研究テーマを選択していることが多い。
研究テーマとアイデンティティは、分かち難く結びついている。
集団面接なんかで他の就活生の自己紹介を聞いていると、〇〇について勉強していますとは言っても、研究テーマまで言及していることは少ない。
学部生が大半で、研究はしていないからだ。
代わりに、彼ら・彼女らは部活やサークルについて話している。
ここでもやはり、所属について語っているわけだ。
自己について語る上で、所属はどんな役割を果たすのだろう。
よく、女性についてこんな趣旨の話を聞く。
独身の頃は〇〇さんと呼ばれたのに、結婚したら××さんの奥さん、子どもを産んだら△△のお母さんと呼ばれて、自分の存在が薄くなる
それがつらいという気持ちを否定するつもりはないが、私には違いがよくわからない。
どっちにしろ、所属における役割によって自己を規定しているのは同じじゃないかと思う。
職場が家庭に置き換わっているだけではないのか。
それこそ、「所属なんていいからあなたについて教えてほしい」だ。
逆に私が他者を認識する時、何によってその人を知ったと判断しているのだろう。
私はその人の、性格や倫理観、好きなものや好きでないもの、何を大切にしていて、どんな考え方をするのかを知りたい。
もちろんそれらを知る上で、所属が手掛かりになる可能性がある。
でも、所属が不可欠かと言われると、どうなんだろう…と思う。
所属に言及することなしに、それらについて知ることも可能なはずだ。
もしも自分の所属に関する概念がまったく通じない世界に行ったら、私は何によって自分を語るのだろう。
名前は言うとして、身体的な性は見てわかるはずだから、やはり後は研究テーマかもしれない。
研究テーマやこれまで研究でやってきたことを語る内に、自分についての大半を語れる気がする。
あなたは誰?と聞かれたら、あなたはどう答えますか。
私たちは、私たちを、何によって認識しているんでしょうね。
最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。