ツイッターもやめられないリベラルがカマラ・ハリスを大統領にしてやれるわけがない
2024年のアメリカ大統領選は共和党のドナルド・トランプが勝利したようで民主党のカマラ・ハリスに漠然と(だって投票権ないし)大統領になってほしかった俺としては残念であったが、トランプが大統領になったところで世界が終わるわけでもないし、トランプはイスラエル支援の姿勢が鮮明なのでガザ侵攻は今後イランと周辺国を巻き込んだ中東戦争へと拡大して長期化するんじゃないかとは思われるものの、ウクライナ支援については米国一国主義を標榜するトランプ政権が削減ないし停止するであろうから、ウクライナの敗戦という形ではあってもウクライナ戦争はとりあえず終結し、それはプーチンの思うツボ感もあるのだが新冷戦と呼ばれる欧米ブロックと中露ブロックの緊張も少しは落ち着くかと思えば、まぁ少なくとも短期的にはそう悪いことばかりでもないだろう、ぐらいののんびり具合。しかしBlueskyを覗けば案の定というか俺のリベラルな相互フォロワーの人たちはお通夜ムードであった。Blueskyでこれなのだからサイバーカスケード(集団極性化)の発生しやすいツイッターのリベラル界隈なんか阿鼻叫喚であろう。
それにしても、仮に政策に賛同できる点があるとしても、現時点で何件かの刑事訴追を受けており、その言動ときたら浅ましいことこの上ないトランプが、そうした汚れがない上に若くて活力のあるカマラ・ハリスに比べて大統領に適任と考えるアメリカ人が全体の半分以上いたということは、傍目にはずいぶん不思議に見える。それで、なんでそういう判断になるのだろうと考えていて、あー、そうそれ、インターネットのサイバーカスケードが関係する話かもなー、と思った。
エコーチェンバーというのはよく知られた概念なので詳しい説明もいらないだろうしそもそも素人の俺にはできないが、それと関連する概念であるサイバーカスケードの方は少なくとも日本語のネット空間ではあまり聞く機会がない。これはどういうものかといえば、同じような考えを持つ人たちが同じような話をする中で、どんどんその意見を先鋭化させていく、という概念。ツイッターのようなSNSではまずエコーチェンバー(同じ思想を持つ人たちが集まって異なる意見が減っていく)が生じ、その中でサイバーカスケードが起こるってな具合である。
俺のようなきわめていい加減な人間からすればトランプは単なるモブ的な小物であるが、まだツイッターをやっていた頃(もっと具体的に言えば2020年の大統領選のとき)にはトランプを世界の破壊者であるかのようなリベラル・左翼の言説はよくタイムラインに入ってきたものであった。曰く、トランプは狂人であるからいつ核のボタンを押して核戦争になるとも限らないとか、トランプはマイノリティの権利を蔑ろにしているのでマイノリティはもうアメリカでは生きられないとか。2016年にヒラリー・クリントンを下してから4年間のトランプ政権下でもそんな事態にはならなかったことから、2020年の時点でこれが現実から遊離した空想上の恐怖であることは、単に現実を見ればわかったはずだが、それでもツイッターのリベラル・左翼界隈ではその恐怖が半ばパニック的に語られていたもので、こうした言説はツイッターのエコーチェンバーとサイバーカスケードの仕組みによって蔓延したことは想像に難くない。Qアノン支持者の議会襲撃をもたらしたのも同じ仕組みであることは言うまでもないだろうと思う。
さて問題は、2020年に恐怖のトランプ政権が去ってバイデン政権が誕生してからも、こうした空想的な政治言説はツイッター上で収まるどころか、コロナ禍に入ってむしろ拡大したかのように見えることであった。アフガン撤退に失敗してタリバン政権を誕生させ、コロナ禍に入って100万人を新コロで死亡させ(いくらなんでも死にすぎである)、中途半端なウクライナ支援をダラダラと続けてロシアのウクライナ侵攻を泥沼化させ、その一方でイスラエルによるガザ侵攻は止められず、そればかりかイスラエルへの軍事援助もなんだかんだ苦言を呈しつつ結局は停止していないバイデン政権の客観的な評価は、おそらくアメリカの歴代大統領の中でも低めになるであろうと思われる。ところがそうした評価というか批判はツイッター上でリベラル・左翼のインフルエンサーからはあまり聞こえてくることがなかった。その代わりに聞こえてきたのはトランプと結びつく陰謀論への警戒と、トランプその人に対するものもそうだが、イーロン・マスクなどトランプ支持者への激しい敵意、等々だったのである。
このことは2つの結果を生み出したと考えられる。1つはバイデンの2024年大統領選撤退の致命的な遅れ。バイデンが大統領選への立候補を取り下げたのは今年7月に入ってのことであり、4年間の準備期間のあったトランプに対してカマラ・ハリスは実質的に3ヶ月程度で選挙態勢を整える羽目になってしまった。この遅れは数値的なものに留まらずバイデンの失策イメージをハリスに背負わせることにもなったんじゃないだろうか。米民主党のこうした判断ミス(としか思えない)はトランプや陰謀論を恐れるあまりバイデンに対する健全にして客観的な批判がインターネットのリベラルの間で積極的になされなかったことと無関係ではないだろう(なぜなら、それはバイデンに「行ける!」という感触を掴ませてしまっただろうから)
もう1つはおおまかに言ってトランプ陣営を悪魔化することでの善悪二元論的世界観の蔓延である。世界を善の陣営と悪の陣営に二分して悪に怯えながら善の勝利を盲目的に信じるこの見方は、善人の中にも悪人が住んでいて、悪人も中にも善人が住んでいるというような、複雑怪奇に絡み合って安易に善悪判断など下しようがない現実の人間や社会の様態とは異なる、単純にして空想的な世界を人々に見せてしまう。反知性主義と重なるこうした世界観はなんらかの運動を行う際には都合のいいもので、SNSを駆使した環境保護アピールや性差別撤廃アピールはトランプの登場以降、アメリカを中心に活発になされるようになったが、同時に善悪二元論はディープステートの言葉に集約されるSNS陰謀論の強力な推進力ともなったのであった。世界には悪の親玉みたいヤツがおり、自分たちはその連中と闘う戦士なのだという確信を得たときに、人は運動に最大の力を注ぎ込めるのである。
この2つの結果のうちとくに後者、善悪二元論的世界観の蔓延は、なぜトランプみたいなロクデナシにアメリカ人の過半数が票を投じたかということを理解する鍵になるんじゃないだろうか。つまりこういうことだ。善悪二元論は宗教的には終末論とセットで語られる概念だが、世の中を善の勢力と悪の勢力の戦いであると想定するなら、もはや現実がどうとか言っている余裕はない。たとえばAさんは元犯罪者だが地域貢献をよくしてくれる人であるという場合に、現実の見方では「Aさんには良いところもあれば悪いところもある」ということになるが、善悪二元論の見方ではAさんを善人か悪人かのどちらか一方として、善人であれば一緒に戦う味方だが悪人なら追放するか(社会的に)処刑、とこのようにならざるを得ない。なにせ世界は善と悪が今このときにも覇権をかけて争っているのだから、「善人の時もあるし悪人の時もあるし……」などと呑気なことを言ってはいられない。善悪二元論とは戦争の原理なのである。
善悪二元論は従来であれば保守の発想であった。移民の排斥や領土の墨守は保守・右翼のイシューだが、その根底にはある属性や領域を十把一絡げに悪もしくは善と措定する、単純な善悪二元論があるのである。そして現在ではSNSのエコーチェンバーとサイバーカスケードによって、リベラルもまた同じ考えを採用するに至った。こうしてリベラルと保守の戦いは現実性を欠いた空想的なものとなり、空想的であるだけに妥協も限度も知らないものとなる。このような政治言説の状況にあって、トランプとハリスのどちらが大統領の器に相応しいか、現実に即して良識的に判断することは可能だろうか?
といえば、可能ではなかったのだ。なにせこれは光と闇の最終戦争であるから、トランプがどんなにロクデナシでも保守・右翼はリベラルを倒すためにトランプを擁護しなければならないし、リベラル・左翼はバイデンの失策を語らず、従ってバイデンとハリスの明確な違いも打ち出せないまま、あくまでもトランプを倒すためだけにハリスを擁護しなければならなかった。もはや問題はどっちのサイドに着くかというだけの話であり、その極限的な選択を前に、トランプの人格的な問題とか犯罪歴といったものは取るに足らない小さな瑕疵としてスルーせざるを得ない。これが俺の考える今回の大統領選挙でアメリカの有権者が置かれた状況であった。ようするに、SNSに際限なくブーストさせられた善悪二元論が現実を侵食し、本来あるべき政策論争や人物評価が冷静に行われなかったのである。
こうした世界の見方は言うならば子供の見方といえる。子供にとって世界は有害なものと無害なものの2つしかなく、そうではない現実にしばしば子供は当惑し憤慨するが、人や物事は決して一枚岩ではなく多面的であるという現実を、大人になるにつれて認識していく、あるいはそれを認識できるようになることが大人になるということと言える。とすれば、少なくとも政治言説の領域に関して言えば、全般的な傾向として、アメリカの人々は大人になることを放棄してしまったのである。
小さな陰謀は世界の至るところにあるとしても、世界を統制するほどの巨大な陰謀は現実には存在しないし、SNSでいくら戦争反対のハッシュタグを打ち続けても、現実の戦争は少なくともすぐに終結することは決してない。光の救世主が大統領となってアメリカ合衆国を救うこともなければ、闇の使者が大統領となってアメリカ合衆国を崩壊させることも現実にはないのだが、しかし、SNSという現実を欠いたバーチャルな空間では、そんなことが大真面目に信じられてしまっている。これは幼児退行というべきだと思う。トランプ再選が示すものはアメリカの幼児退行であり、(保守はもともとそうなので)とくにリベラルの、大衆化に伴う知性の低下なんじゃないだろうか。
俺は1年ぐらい前からツイッター(のバズと炎上を絶えず発生させる)の仕組みはもうダメだ、これが反知性主義の温床だと判断してツイッターは告知以外では使わず、数ヶ月前にはアカウントも消してそうしたツイッターのダメ仕組みをある程度克服したBlueskyというSNSをやるようになったが、ツイッターでバズりたいリベラルのインフルエンサーたちはイーロン・マスクにグチグチ文句を言いながらも背に腹は代えられず未だにツイッターにしがみついているようだ。情けない。あんたらがそんなだからカマラ・ハリス勝てなかったんだよとでも言いたくなる、というか記事タイトルでもう言ってた。
新トランプ政権の4年間でも世界は別に終わらないし、かといって輝くこともなく、適度に悲惨で適度に楽しい、ようするにこれまでと基本的には変わらないままだろうが、それでもリベラル的な見地からもうちょっと世界を良くしたいな~と思っている人は、4年後にハリスかもしくは別のちゃんとした民主党(じゃなくてもいいけど)候補にアメリカ大統領になってもらうために、さっさと人間の幼稚化を促進するツイッターなんか捨てるべきである。そして、現実はツイッターからそう見えるように単純ではなく、たいへんに複雑であり、割り切れないものだとリアルに知るべきだ。意見を通すためには交渉も説得も根回しも妥協も優先順位付けも作り笑いもしなければならない。良いことを言っているのだからその意見をみんなが聞くべきだとか考えるべきではない。一言で言えば、リベラルは大人になるべきなのである。アメリカ大統領選に限らず、それが世界を少しでも良くするために、真に必要なことなのではないかと俺は思う。