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【ニワカ式】「民主主義」という言葉の魔力 ~決して名前をよんではいけないあの人~

バイデンが就任演説で、「私たちは候補者の勝利ではなく、民主主義の大義の勝利を祝います」とか「友よ、民主主義は勝ったのです」とか「民主主義」と11回もいったことが話題だ。

しかし、実は11月のカマラの勝利演説のときから「民主主義」という言葉は頻出していた。バイデンの演説と違いごく短いものなのに、6回も「民主主義」と使っている。

私はその時から彼らバイデン政権が、妙に「民主主義」という言葉にこだわる人たちであり、その言葉に縛られて行動するのではないかと予想していた。

一部では、バイデンの「民主主義は勝った」という言葉だけが独り歩きし、「これは、トランプに投票した全ての人を“民主主義ではない”と排除する問題発言だ。自分たちだけが民主主義側だとする選民思想だ」とか「トランプが前回勝ったのだって民主主義なのに、この言い草」とかいわれた。しかし、一応は反論できるようにちゃんと出来ている。以下はバイデンの演説である。

そしてほんの数日前にはこの場所で暴徒が、暴力をもって国民の意志を沈黙させられるなどと考え、私たちの民主主義の仕事を阻止し、この神聖な場所から私たちを追い出せるなどと勝手に思い込んでいました。思い通りにはならなかったし、今後も決してなりません。今日も、明日も、決して。絶対に。

全文(BBC 全訳)を読めばわかるが、そのほかもバイデンは「民主主義は壊れやすい。そして皆さん、今のこの時は、民主主義が勝利しました。わずか数日前に暴力が議事堂の基礎そのものを揺るがそうとした、この同じ神聖な場所で」「もちろん意見の違いはあっても構いません。それが民主主義です。それがアメリカです。平和的に異議を唱えること、それがこの国の一番の強さなのかもしれません」といっている。つまり、第一義的には、対暴力として「民主主義の勝利」を読むのが正当で、これには真っ当で誰も文句もつけようもない。

しかしどうなのだろうか。
自らの政治方針を訴えるべき就任演説で、「私たちの民主主義を守ります。アメリカを守ります」と何度も繰り返し強調されても、議事堂を日々、身を張って守ってくれているのは警備する人たちだしなあ、警備を強化すればいいだけじゃないのか、と思ってしまうのは私がひねくれ者だからだろうか。
議事堂を襲撃したのはトランプ支持者のごく一部であろう。しかし、大統領がわざわざ「民主主義の勝利」を強調するのは、それはやはり「勝ったバイデン=民主主義側(善) 負けたトランプ陣営=反民主主義側(悪)」という彼らにとって都合のよいイメージをより強化するための演説(一種の「死体蹴り」)なのは否めないのではないか。以下は演説のメッセージを読んでいく中で、その印象を補強していくとともに、バイデンの就任演説が歴代大統領の中でも特筆すべき「陰険」さに支配されていることを明らかにする。

これはリベラルの陰険さなのか、「結束」を訴えるものの陰険さなのか。

決して名前をよんではいけないあの人

今回のバイデンの演説、非常に特徴的な点がある。なぜかマスコミ各社はその事に触れないが、これほど長く、同じことの繰り返しが多い演説のなのに、トランプは「名前をいってはいけないあの人」のような扱いなのだ。そう、トランプの名前が消されて、一度もでてこない。そんな名前を呼んでしまったら呪われるという感じである。

ところがいってることは、もちろん暗黙の内にトランプ陣営へ


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