読み放題対象「100分de名著 アンチフェミニズム①」
その日、とある”政治的に正しくない”アレな知り合いから、緊急入電があった。
「今からサバトがはじまりますよ!」
サバトとは穏やかではない。なになにナンナノ?と言われるままテレビをつけた。
これだった。
上野千鶴子、加藤陽子、鴻巣友季子、上間陽子と、名だたる上級フェミニストの皆さんが集って、しかも、徹底していることには、司会(安部みちこ)や朗読まで、それどころかゲスト(バービー)まで、全員女性で――「女だらけ」で、くんずほぐれつフェミニズムについて語り合う集会らしい。これでは流石に女性版”ホモソーシャル”番組のように見えてしまう。
公式サイトの宣伝文句によれば「多角的なテーマから名著をひもとく」「出演者同士で意見を戦わせ『フェミニズムとは何か』に迫っていきます」ということだが、多角的で、意見を戦わせるのが全員「女性」って、これが「多様性の統一なの?」というかんじだ。こういうのを翼賛体制というのではなかろうか。
一体、いつも「国会議員の女性の比率が先進国最低で~日本は遅れてる~ヘルジャパン♪」「うぎゃあぁぁ!男性同士が結束して固まり合って、女性を排除して、これがホモソーシャル!」とさけびながら、「男女比率が一緒」を「政治的な正しさ」とする態度は、どうなっちゃったのか。
(なお付言すれば番組中でも「女性は衆議院議員10%で、参議院でも23%で、これはおかしい!」などと憤りでもって、とりあげられていた――)
女性はたとえ実力が劣っていようが、その適性がなかろうが、「数合わせ」で登用してしまうことこそが、「政治的な正しさ」ではなかったのか。
もしかして「フェミニズムを語るのも聴くのも女性がふさわしく適任に決まってるでしょ!だから、女性だけでいい」という理由なのだろうか。それこそがまさしく、性別に「適性」を求める態度の最たるものではなかろうか。
これが「男性集団はホモソーシャルでキモいが、女性集団が男性を排除するのは正義なんですよ!」(私はいいけどお前らがやるならホモソ)というやつだろうか。
いきなり見る前から出オチのような「100分deフェミニズム」である。
だが、ご存知のように、私は「怖いものみたさ」が、とても強い人間である。「好奇心は猫をも殺す」というが、私は100万回死んだ猫である。
だから、この番組も、もちろん見てみた。とりあえず、とりとめもなく、「気になった点」「つっこみどころ」をメモしていたらものすごい量になってしまったのだ。すると「え?みせてくださいよ、面白そう!」といわれるので整理して、開陳することにした。
気づいてみればこれ最高に素晴らしい番組だった。
なぜって?
むしろ「100分de名著フェミニズム」という番組は、実際に見ていたら「え? その本を読んでそんな意味を取り出すの?読解力やばくないの?」からはじまり、「語らないように周到に配慮していること」「とりあえず、わかりやすい共通の敵をつくって、ごまかしている部分」が目についた。というか、そもそも取り上げた本4冊の中には、かなり問題があるものが含まれているのだ。なにがアレなのか、もちろん彼女たちが語るわけもないので私が語る。
つまり逆にいえば、そのまま「フェミニズムってなにがどうしてだめなのか」を「多角的に」洗い出すような番組となっていたからだ。この番組一本みれば現代の「フェミニズム」が抱える問題がすべてわかってしまうほど素晴らしい構成だった。
NHKでこの番組を企画した人たちに正直、大変、申し訳ないと思うことしきりである。だが、これは「100分de名著 アンチフェミニズムを学ぶ」として楽しむことができる番組である。
もちろん、そのまま見てはだめなので、不肖のニワカが解説していこうとおもう。つまりこれから書くことはNHKの番組をそのまま、「100分de名著 アンチフェミニズム」に読み替えてしまう副読本である。もちろん、実際に番組をみてなくても大丈夫! NHKは、これ再放送もすると思うので、予習に使ってもいいよ!
この番組の構成はパネラーが本を紹介するのだが
一冊目は、「伊藤野枝集」(岩波文庫 森まゆみ編)である。
まずこの本からして現代フェミニズムは、
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ニワカ式note リベラルは窓から投げ捨てよ!
優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。
和菓子を買います。