読み放題対象「なぜインテリリベラルたちは”死んでも許さぬアベシンゾー!”がやめられないのか」
「死んでも許さぬアベシンゾー!俺たちの闘いはこれだからだ!」――この情念が、安倍晋三の暗殺後、リベラル界隈をずっと覆っている空気だ。そう、今もずっとだ。
え? ほんとなの?
という感じだが、ほんとにこれだけで彼らのおよそ合理的ではない行動原理、説明できちゃうのだ。
なぜいつまで経っても彼らは「死体蹴り」がやめられないの?
「(自分たちは正しい側にいると思う)リベラル・インテリ層」たちが、いつまでたっても「アベ」が憎くてたまらない。自らの“良識”を自認し、知性や、学歴の高さを誇るインテリであればあるほど、「死体蹴り」がやめられない。
安倍晋三がご逝去した直後は、多くの人が「もういくらでも叩いて甘えられる安倍晋三はいなくなったんだ。リベラルは目的を失ってどうなっちゃうんだ」などと気を回す人もいた。
だが、甘かった。そもそも彼らは別に安倍晋三を「いくら甘えて殴りかかってもいい父親」的なものとしては全然とらえてなかった。
なんの温かみもなくひたすら本気で、この世から消滅して欲しいと憎しみぬいているだけなことはすぐ明らかになった。要するに「キモイ」という感情に近い。だからいくら排撃してもいいものになった。
思わずドン引きしてしまうが、マジで「殺しても殺し足りない」ほど「アベ」を憎み抜いていたのだ。
はじまったのは陰湿なる「死体蹴り」である。
そうして、言論でも民主主義でもずっと倒せなかった「アベがテロで死んでスカッ!とした悦び」を表現するべく動きだした。今では統一教会問題などすっかりメディアで飽きられ、騒いでるのは一部のアレだけだ。だが、当時あれだけ猖獗を極めた「アベとカルトはズブズブ!キャンペーン」は、そもそもこれ自体が、紛うことなきテロ行為正当化運動である。
たとえば「元日本赤軍の監督とズブズブの関係の社会学者の宮台真司さん」は、嬉々として出演したテロリスト山上礼賛イベントにおいて、「山上を美化?違うよ!山上を美化するものではないが、アベの暗殺には世直し機能があった。機能があったのは事実でしょ!!」とかドヤ顔で語り、ヤンヤと喝采をあびた。
それこそ左派系のマスコミ・ジャーナリストたちによって「殺人はいけないことだが~事件をきっかけに問題が広まり、多くの苦しんでいる宗教二世を救った」といったようなテロ肯定の言説と次々と作られた。事実もなにも、あることないこと織り交ぜて「死せる安倍」を悪魔化し、「殺されても仕方なかったやつなんだよ!アベは!!!!」とテロをどんどん正当化していったのが、歴史の事実だ。
「アベ」が死んでスカッ!とした気持ちを正当化するために、もはや死んで言い返せない安倍晋三に対してひたすら、「お前が死んでよかったんだぞ!」「お前が死んでみんな悦んでるぞ!」とテロを肯定して言い放つ数多のリベラル知識人・文化人たちのあまりに醜悪な姿である。ほとんどこれは「いじめ」に狂奔する心理状態に近かった。
まさに「死体蹴り」そのものであった。
私は、暗殺直後より「安倍晋三が死んでも”あべしね”は続きますよ」とずっと予言していた。どうだろうか。全くその通りになった。
だが、私も私の言論には責任をとろう。
なぜいつまでも、彼らは知性や理性をかなぐり捨てたように「死体蹴り」で狂うのか。国民の支持を得るためとか、選挙に勝つためといった合理的な判断をかなぐりすてて、いや実際問題、リベラル政党は見放され、「死に体」状態であるのに、いつまでも、ほとばしる黒きパッションに身を委ねるのか。
これは「キモイ!」という排撃の感情に極めて近い。
もちろん彼らは民主主義でも言論でも「安倍に勝てなかった」ことなど一切なんとも思ってないので、それに対する後悔の念もない。むしろ、現代日本のリベラルとは多くの観察される事象から明白なように「フェアなルールこそがリベラリズム」ということを全く知らない新種のリベラルなので、端的に安倍がテロで死んでスカッとしただけなのだ。要するに、「アベが死んだ」事自体は彼らにとってはまごうことなき勝利だが、しかし彼らが意識していない本当の憎しみが彼らを日々苛み続けているのだ。そしてまた「スカッ!」とするために蠢動する。
一個の怪物が日本を徘徊している。すなわち、「アベニクシ」という怪物だ。この怪物が、安倍晋三が世を去ろうが、現代日本政治の底流になってしまっている。しかしニワカは勇気をだして、このおぞましきものについて語らねばならない。
もちろん一般的には「そういう個人攻撃、スキャンダルなことしか今のリベラルは注目をあつめる争点が作れない」とか「先鋭化したコアな支持層へのサービスでますます先鋭化」とか「社会保障問題とか安全保障問題とかは複雑すぎて難しくて国民にどうやれば”響く”か運任せだし、党内で意見統一できない」とかいわれるが、そうではない。
本当に彼らにとって「死体蹴り」は快楽なのだ。だから、やめられないとめられない――この人間の不合理な感情を理解しなくてはならない。
だが、安心してほしい。実はこれ、「アベが死んでも”あべしね”が続く理由」には明快な答えがある、そして「死体蹴り」が、いつまで続くかもわかる。コレを知ったとき貴方はおぞましさにふるえるであろう。
というわけで書いていこう。自らの“良識”を自認し、知性や、学歴の高さを誇るインテリであればあるほど、いつまでもいつまでも、「死体蹴り」がやめられないのか?
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ニワカ式note リベラルは窓から投げ捨てよ!
優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。
和菓子を買います。