ニワカ式「また”正義”が勝ってしまった」
(本noteは、2024年2月27日の最新投稿です)
そう、また”正義”が勝ってしまったのだ。
何の話って、ついに「いいね罪」が確定してしまった。最高裁で「伊藤詩織を中傷するようなSNS投稿に、執拗に『いいね』を押したのは違法であるから、杉田水脈は55万円の賠償を払え」と、杉田水脈の敗訴が確定したのである。
あいも変わらず”正義”の人々は、この判決に「当然だ!」「むしろ賠償額が少なすぎる!」「最悪のレイシストの杉田水脈は反省しろ」「一歩踏み込んだ画期的判決!」と大喜悦状態である。
ほんの少し前まで、「共謀罪で心の中が取り締まられる!いいね!が押せる社会を壊すな!自由な社会を守れ!」と騒いでいたのはなんだったの?という感じだ。
「加害の意図をもって『いいね』を押した」と最高裁で「いいね罪」が確定してしまった件、自分たちが投げ捨てたもののあまりの大きさに気づいてないのが日本の「リベラル」なのである。「精神に悪をもとめる行為」が自分自身に向かってきたときどうなるのか、何も考えていない。
そうして、一方ではリベラル界隈は、「これでいいのだ」とばかり、「いいねしただけで害意を判断したんじゃない!杉田水脈は伊藤詩織を過去に中傷もしてたから総合的に判断されたんだ!」みたいな論理である。
今回は「いいね罪」を批判するようなポストには、執拗に以下のようなコミュニティノートがついたのが特徴的である。
ともかくも東京高裁の判決時点でも「ちゃんと総合的に判断してるんだ。杉田水脈は『いいね』以外にも伊藤さんに対して揶揄や批判などを繰り返していて誹謗中傷の意図が認定されたんだよ!いいねだけじゃないんだ!」と盛り上がっていた。
例えばこんな感じだ。
「うっかり『いいね』しただけで賠償を求められたわけでない。Twitterで『いいね』なんて怖くてできないなんてデマだ!」「ちゃんと 他の投稿等の背景と総合的に判断してる。明らかな誹謗中傷の意図があり杉田水脈の『いいね』は異常なものである。だから勝手な憶測ではない」と彼らは繰り返す。これは伊藤詩織氏の弁護人も同様であり、「この判決が『いいね』が不法行為になったという先例として世の中に広まっていくのは本意ではない。特定の事例における判断で、人の悪口に『いいね』を押せば損害賠償と言っている判決ではない」などと語っている。
あれ? 「いいね」を不法行為としてしまったことに耐えられないんですか
とりあえず東京高裁の判決時から「杉田水脈がイイネを25回で『執拗』なの?20回ならとかよくて25回ならだめという根拠は?」「11万人(当時)のフォロワーならだめで10万人以下ならいいの?その根拠は?ひろゆきや滝沢ガレソと比べたら杉田なんてゴミのようなアカウントじゃないか」等々、判断基準の恣意性が批判されてきたのだが、実際にはそこには本質がない。そもそも「過去の言動を総合的に踏まえ」などと、周辺の杉田水脈の言動による「総合」判断で、「害意がある」ということが問われた枠組み自体に問題がある。「一体、ほんとうの問題はなにか」――ニワカが書いておくことにした。
なるほどなるほど、確かに単に「いいね」しただけで賠償を求められたわけでない。だが、そうなると、これ一層、おかしな話になると思わないだろうか。
つまり、「ワタクシ達は、右とくらべて賢いでございます」といつも澄ましているリベラル界隈が、こんな単純な論理に気づかないのが恐るべきことであるが、杉田水脈が「いいね」以外にも伊藤詩織氏に対する揶揄や中傷等の過去の発言から総合判断して、「単なる故意にとどまらず、控訴人の名誉感情を害する意図をもって(「いいね」の)押下行為を行ったものと認められる」と判断したということなのだが、ならば――
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ニワカ式note リベラルは窓から投げ捨てよ!
優しいネトウヨのための嬉遊曲。 おもしろくてためになる。よむといいことがある。
和菓子を買います。