9/8 死についてのハドル【第5回 本とオフ会と死】まとめ
ハドルとは。
というわけで今回のゲストはみんな大好きかとうさん。彼がライフスタイルにしている(ように僕には見える)本とオフ会について語ってもらいました。
本はご飯。
かとうさんにとって本はご飯のようなもの。そこから栄養を摂取する。父親が出版の人、母親も本が大好きな人だったので、家に2万冊ほどある本が友だちだった。
電子書籍とちがい、物理の本を触っていると「繋がり」を感じて心地よいんだそう。
読書とは、視覚と感触からのイメージで彫刻を作るようなこと。過去に読んだ本は表紙を見るだけで写真を見るように思い出が頭に描かれ、別々の本が繋がっていくという。
「それもう友だちじゃなくて彼女じゃん」とツッコんだらデュフフフと笑って「いつも持ち歩いてますし。」と理解ある彼くん。
たしかに彼とは何度も会っているが常に本を持っていて勧めてきてたかも。ツレに彼女を紹介するかのように。(僕は読書苦手なので読まんけどw)
オフ会は交流うまくなるため。
予定を合わせたり身だしなみ整えるなどめんどくさいが、会ったことない人に会って面識を広げたい。知らない考え方を知りたい。さいきん遠征にハマってるのもそこから。
本を読むことと、人に会うこと。
僕が読書苦手なのもあるが、僕はなんなら一生もしも本が読めないとしても平気かも知れない。しかし人に会うことができないとしたら、気が狂ってしまうだろうと思う。
僕はさいきん歌を歌うのが趣味で、それは自分が気持ちよくなりたいだけなので人に聴いて貰えなくても良いのだが、(松本零士的な世界観で)もしも1000年無人の星で生きるとしたら歌い続けられるだろうか?とか考えることがある。他にやることもないだろうし歌ってるかも知れないが、気が狂ってるかも知れない。
1001年目になにかしらリアクションを得たら、号泣しちゃうんじゃなかろうか。
読書体験ももちろん素敵な人生経験たりえるが、人に会うことと比べたら……本10冊読むことと人1人に会うこと、だいたい同じくらいの体験じゃない?という僕の意見には概ねかとうさんも同意してくれた。曰く、
死ぬときは死ぬ。
死生観について問うと、1行で即答。うん、だいたい似た考え方なんだよな〜。
本は死なない。だが、人は死ぬ。
かとうさんは母親をさいきん亡くしている。でも彼女はかとうさんの中で生きている。
かとうさんの母親が好きで僕に勧めてくれた詩人オシップマンデリシュタームの詩集は、彼が亡き後に妻が発表したものだと教えてくれた。僕が敬愛するミュージシャン、イノマーのガン闘病日記も、彼が亡き後に妻が発表していることを思い出した。(サムネ画像)
人は死んでも生きている。そしてそれこそが愛であると、かとうさんも言った。最近そのことをよく考えるし、このハドルシリーズで話題になった本「夜と霧」にもそのテーマは出てくる。読み途中なので後日感想を書く。
さて、ここまで
本とオフ会と死について語ってもらった。だがこれらは、かとうさんと面識の深い僕にとってはだいたい知ってた話でもあるし、僕の悪い癖というか、安全にただ台本を(無いけど)なぞるようなハドルになってしまった気がする。この日の夜「ありがとうございました。」とDMが来たので僕はこう返した。
しかし僕はハドルを進行してまとめねばならない。ので、つまんないついでに質問した。これは「死についてのハドル」つまり「死についての作戦会議」だから…。
じゃあ死ぬまでどう生きる?
この問いへの答え
「税金払うまで死ねない。」
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
かとうさんは現在、滞納がありそれを払うために労働を踏ん張っている。だからってww
いやまあ捉えようによっちゃあ、かとうさんは今を生きてるんだな、と良い話風に解釈w
んじゃ今回のテーマ「税金と死」じゃん!
とツッコんでオチがついたところで御仕舞。
かとうさんにはかないません。負けました。
次回、第6回、予定は未定です(●´ϖ`●)
て書いたけど決まっちゃいました!!
コチラでご参加お待ちしております!